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推しに何度も救われてる人生

こんにちは、noteで思う存分ひとりで長文語れることに味をしめたオタクです。
感情が高ぶると長文で語りたくなるけど、なかなか対面やTwitterとかでは語りきれないので便利ですね。
今回は特定の推しの話ではなく、自分の中の感情を整理するために描きます。


突然ですが私はいわゆる「オタク」と世間から呼ばれるタイプだと思います。

今思えば10年前くらいから、色んな推しがいて、何かしら大好きなコンテンツがあってそれを追いかけています。

今も前記事までに書いた丈くん・なにわ男子だけでなく、好きなアニメや漫画もあって、推しが何人もいて、好きなゲームもあって、野球も観るの好きだし、割と色々なコンテンツを追いかけて推しを愛でています。

ちなみになにわちゃんにハマるまではほとんど現実世界でオタバレしていませんでした。
本当に一部の仲のいい友達くらいです。
基本的にその友達と喋るか、ネット上で呟いたり交流したりしてました。

ただジャニーズは女性相手だと比較的バラしやすいので、相手がオタクじゃなくてもカミングアウトすることがたまに出てきました。

オタクじゃない人からはよく、
「そんなにハマれるものがあって羨ましい」
「そんなに好きになれるのがすごい」
「推しっていう概念が分からない」
「自分や現実の身近な人以外にお金や時間を使わない」
などなど、色んな意見をよく頂きます。

なんとなくは思っていたし良く考えればあたりまえなんですが、みんなが皆オタクではないし
好きなコンテンツがなかったり推しがいない人だっていました。

そもそもなんで私がオタクなのか、推しがいるのかと言われても
別になにか意識してハマろうと思ったわけでも、推そうと思ったわけでもないので
正直何も答えられないんですよね。
気づいたら推してた、気づいたらハマってたとしか言えなくて。
気づいたらオタクと呼ばれる人種になってました。

どこからがオタクなのか、自分の程度はどれくらいなのかは明確にわかりませんが、オタク気質の自負はあります。

物凄く好きだと思うと、一気にそのコンテンツに深入りします。
漫画にハマると全作オトナ買いしたり、アニメは一気見したりグッズ買ったり、周りにびっくりされるくらいきっかけがあると一気にハマることが多いです。

推し活という言葉もいま流行ってますが、私は割と日常生活全体的に推し活な気がするんですよね。
なので逆に推し活という言葉を使わないです。
しいていえば意図的に推しの聖地・ロケ地等に訪問した時くらいですかね…?使うとしたら。


私からすると好きなコンテンツがない、推しがいない現実だと、この社会で生きていける自信が無いんです。冗談抜きで。

逆にオタクじゃない人は、辛い時をどうやって乗り越えているんでしょうか。

仕事であったり、人間関係であったり、自分自身に対してであったり、辛いこと、泣きたくなること、逃げたいこと、社会から消えたくなることだって多いじゃないですかこの現実世界。

恋人、友人、家族など周りに大切な人がいても、その人が24時間365日いつでも自分を助けてくれる訳では無い。
大切だからこそ助けを求められない時だってある。
汚い自分を見せたくなくて、上手く振る舞いたくて。嫌われたくなくて。迷惑かけたくなくて。

どんなに泣きたいほど辛くても、何も出来ないほど身体が重くなっても、1人きりで乗り越えないといけない時ってあると思うんです。

普通の人は自分だけの力で自分を励ませるのでしょうか。
自分で自分のために何かをして、自分を満たしてあげられるのでしょうか。
それとも何かの趣味をして気を紛らわすんでしょうか。
そもそも辛いことも、そんなに気にするようなことでは無いんでしょうか。
私には無理でした。

でもそんな時、推しを見たら気が紛れるんです。
元気が出たり、嬉しくなって楽しくなって。
辛いことが待ってる日でも、例えば好きなアニメの放送日だったりインスタライブがあったり、新作動画が出る予告があればそれを糧に乗り越えられることもあります。

何度も何度も推しの人たち、推しのコンテンツに救われました。

何も出来なくてただただ泣いてる時でも、推しをぼんやり眺めるだけで気が紛れて落ち着いてくる時もあります。

冗談じゃなくて、本気で「推すことは生きること」だと思っています。

推し以外から生きる糧を貰ってる人もきっと多いと思いますが、
私は自分で自分を心から愛することも、仕事を心から楽しいと思うこともできないし、人と関わるとエネルギー吸われて疲れるタイプだし、家族とも、特に母親とは表向きの関係だけで心から仲良くはないです。
どん底の私を支えてくれて、生かしてくれてるのは一部の人達と趣味、推し。

気を許してる大切な相手ですら、どうしても反射的に気を使ったり自分の思うことをそのまま伝えたり表現したりできないこともあります。
ましてや気を許していない、一線を超えてない人に対しては本音で話すことの方が少ないくらいで。
できる限り面倒なことになりたくなくて、嫌われたくなくて、相手の期待に応えようとするので
自分の本音が何なのかどんどん分からなくなるし、自分の感情をそのままあらわにすることがなかなか難しいです。

でも、趣味に没頭してる自分、好きなものを好きなだけ好きな時に見てる自分、推しを推してる自分の感情は間違いなく本心で、
この姿の自分は間違いなく自分だな、と思えます。
あんなに感情が昂って、その感情を表に出せるあの幸福感。
最高です。

趣味ができてオタクになったのは高校生だけど、今思うと中学生の頃なんて月に何回も吐いて腹痛起こして泣いて眠れなくて、今思うとろくな人生歩んでなかったな。
あの時なんて周りにほとんど信じられる人がいなくて、自分でもよく生活してたなと思います。
根拠もないのになんとなく「そのうち死ぬんだろうな」という気持ちで過ごしてました。命を断ちたい訳では無かったはずなのに、ぼんやりとそう思ってたからこそ逆に生き延びてました。
なんだかんだ、20数年無事に今生きてるんですけど、あの頃にも推しというものに出会いたかったなあと強く思います。


あと、1年ほど前、私は色々な人間関係がこじれたことがきっかけで心をとことんやられてしまい、一時的に精神科に通ってました。
本当に症状が酷かったのは2〜3ヶ月だけですが、その時は無気力で趣味が全くできない状態になりました。
大好きな漫画やアニメを読むことも、グッズを買うことも、SNSを見ることもしませんでした。
ただただ時間消費する日々。
ご飯もあまり食べられず何キロか体重も落ち、なんとか働きながらただ日々を過ごすだけ。
ゲームだけは友達に誘われてやってましたが、どうしても心ここに在らずな状態だったり。

あれから通院したり周りの人に支えられて幸いにも今ではほぼほぼ健康に復活できたのですが、本当に心がやられてしまうと何も出来ないんだなと思いました。
趣味すら楽しめなくなったり、何も出来ないことが怖かったです。

今は今で辛いことも沢山ありますが、死にたいとは思わないです。
やりたいこと、見たいこと、沢山あります。
死にたくないです。
そう思えるだけ、昔よりよっぽど幸せです。


私は現実世界では割と周りに外面良く振舞ったり猫かぶったりしてしまって
ありのままの姿を見せたり本音で会話することがすごく苦手です。
だけど、趣味に没頭してる時は何も考えなくていいんですよね。
自分でしたいことをして、楽しんで、本当に心からやりたいことができるんです。
周りに迷惑かけるようなことをしない限りは、誰にも怒られなくて、誰にもガッカリされない。
感情豊かで、ぐだぐだ語りまくるような人間ですが、まさにこういう場で吐き出したって怒られない。

といっても、社畜しながらの生活なので
学生の頃ほど新しいコンテンツに手を出したり
時間を使うことは難しいです。
でも限られた、今の大切な趣味や推しはずっと大切にしたいと思います。

多分一生、何かしらのオタクなんだろうな。

自分のことは相変わらず好きじゃないですが、趣味を満喫してる自分は自分らしくいれていると思うので、そんな自分は今後も大切にしたいなと思ってます。

オタク最高

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