ことばのナイフ

『ことば』
自分に向ければなぜかすぐ凶器になってしまうもの。



逆だろ、と思う。
すぐに人を傷つけてしまうものだから注意しましょうって習うはずだから。



でもぼくは最初に述べた通り、自分に向けるとすぐに凶器になってばかりだった。



これまでぼくは、ひとを讃えるために誰かを褒めるのではなく、ひとを蔑まないために自分を戒めることばかりしてきた。


正直ぼくは勉強が誰より得意だったし好きだった。

だけど誰かから褒められることなんてほとんどなくて、

むしろ妬まれたり、

『勉強ばかりしているとロクな人間にならない』

だとか、

『勉強ばかりせずにもっと遊べ』

と言われてきた。



先生からも厄介者として扱われた。
なぜなら先生は何も教えなくても解ける生徒には何も準備しておらず、
しかし放置するわけにもいかず、
ただ厄介者でしかないからだ。



なんなら、わざと低い点数をとった方がみんなと仲良くできたし、
平和主義を極端に押し付けていた当時の教育下では自分が人より得意なことを出さない方が、
道徳的に正しく思えた。


だからなのか、自分を下に下に落とすことばかりが板に付いてしまった。



時は進んで高3、学力を使って都会に出ようと思った。
東大には落ちた。後期で阪大に拾ってもらった。



しょせん一教科で全国一位をとっても、そこには無数の一位がいるし、全教科合わせると全国千位にも入れなかった。


井の中の蛙だった。



25歳までこの自分を落とす生き方を続けてしまった。



だけどアラサー。
ここで変わろうと思った。


そんなタイミングできっかけもできた。



だからこれからは、ぼくはことばを自罰的に産み出すのではなく、他愛的に産み出すことにした。




最近よくぼくのそばにいてくれる人は、人にかけることばの一挙手一投足が慈愛に満ち満ちている。


そしていま一番欲しいことばをかけてくれる。



実は君は人の心を読むことが極端に苦手で、ことばが出てくるのも遅い。


それでも、次の十数秒後のひとことでも、待ちたいと思える。


ひとことひとことを大切にしているからだと思う。



そんな君を横で見ていて、ぼくがただ自己保身的に話しているだけなことに気付く。




ことばのナイフを常に自分に向けながら歩けば自然とみんな気を遣ってくれる。




たまに誰かにグサッと刺してしまってもその分治療もぼくがして、、それでもいいのかなと。。

ことばはナイフにもなりうるけど、ちゃんと相手に向けていこうと。



カッコつけているが、まあつまりただの一種の惚気話であって、

まあ、ことばを大切にしようと思った、ただのそういう話だった。

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