鮮やかな解法

通常の解き方に泥臭さを感じ始めてからそろそろ8年ほどが経つ。
公式丸暗記を大の苦手とする僕は、こうして問題を斜めから見る癖が染み付いた。
おかげで右目の視力は左目よりも0.8低く、大学時代には運転免許を取得するためだけに眼鏡を買う羽目に遭っている。

さて、難問を最もスタンダードな手法で解決するには、計算力・体力・精神力が必要なのは言うまでもなく、勉強の「基礎体力」みたいな言われ方をすることもありそうだ。
面倒臭がり屋で売っている僕としては、なんとかして労力を最低限にできる方法を探す、探す、探す。
シラミはもちろんつぶすし、脳ミソはいつもフルスロットルだ。

子どもたちに指導する際は、受験の難易度帯によって問題へのアプローチを最大でπほどずらす必要があることもある。
泥臭さも厭わない。
公式を暗記した方がいいものもあるし、公式なんて全くいらないものもある。

「鮮やかな解法」と言われるものは、十中八九後者である。
果たしてそうだろうか。
『思いついたヤツが勝ち〜!』みたいなのを全ての人に押し付けるのは少し不公平な気がするのだ。

つまり何が言いたいかと言うと、特にこれと言って主張はないのだが、
各々が一番楽にやれる方法をとるべきであって、その中には公式丸暗記が全然近道にならない人もいるということは発信していきたい。
当たり前なことを今一度考え直してみることが学問の本質だと思うのだ。

斜めから見ているせいで意地悪な表現ばかり使われていることは暗黙の了"解"である。

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