bloodthirsty butchers 吉村秀樹さん追悼

(2013.6.13 mixiの日記より)

一番好きな、一番影響を受けた、この人たちがいなかったら路上も絶対していないであろうし、自分で曲を作ることも出来なかった、そんな僕の中で最も偉大なミュージシャンbloodthirsty butchersのフロントマン、吉村秀樹さんが先週急死した。46才だった。

実際まだ信じられないという気持ちの方が強く、オフィシャルのHPを開けたり閉じたりしている自分がいる。訃報のトピックが消えていて欲しいと願って何回もクリックしている。

受け止めること出来ない、とかじゃなくて、実感がないというか、感情が溢れすぎてどうにも行き場がない。
生きていくということは辛い経験を耐えて、それにより強くなって、周りの誰かを支えてあげれる人になるという事と思っている。

だからこんな感じで立ち止まってなんかいられない。
だが実際あまりにも突然のことで訳が分からなくなっているというのも間違いじゃない。自分でもびっくりしている。それぐらい偉大な人だった。


そんな靄の中、先日中之島公園でアコースティックギターでブッチャーズの曲を歌った。(←ナッツ、ありがとう)
歌ったら、歌ったで、そんな靄な感情はある程度の答えを導き出した。『絶対、日記にこの思いを置いていくべきだ』と。
うまく書けないのは承知の上で、実際mixi上でこう言った事を書くのもどうかと思うのだけど、逆に自分が出会ってきた人達、今現在も親交のある皆さんに読んでいただきたいと正直思う。どうしようもない日記になるかもしれないが読んで欲しいと思う。僕のバックボーンにはいつもブッチャーズの姿があって、これからもそれはあり続ける、そんな面倒くさい人間の長い作文を今から始めます。




bloodthirsty butchersの曲を初めて聴いたのは、高校2年の夏。当時フォークソング部(軽音)に所属し、周りのみんなは当時流行っていたメロコア(AIRJAM系やエピタフ系)にのめり込み、もちろん僕も何の自我もなくそれに没頭し、メロコアのコピーバンドを組むようなそんな高校生だった。そんな折、ケーブルTVのスペースシャワーTVで『MAD』というそういうパンクやメロコアシーンのミュージシャンのPVを流す30分番組を毎回録画していて、そこでたまたまブッチャーズの8月という曲に出会った。



初めて聴いた時、『変な歌やな、サビはどこなんだろう?』と。でも映像の色合いとか感傷的な歌詞とか、なんか繰り返し聴く度にだんだんと良くなってきて、同級生に聞いても『そんなアーティスト知らない』しか帰って来ず、友人にCDを借りることもままならぬまま、CDショップに出かけたのを覚えている。
行ったCDショップは、梅田ロフトの最上階にあったWAVEで、着いて早々に、メモ書きしてきていたこの覚えづらいバンド名を探した。
棚前まで来ると、コーナーには何枚かアルバムがあり、とりあえず『8月が入っているアルバムを買おう・・・いや、お金がなくてそれしか買えない』とアルバムを手にとっては裏ジャケ(大抵裏ジャケに曲名が書いてある)を見て8月を探した。

そして出会ったこのアルバム。

http://www.amazon.co.jp/KOCORONO-bloodthirsty-butchers/dp/B00005F7NC/ref=sr_1_19?ie=UTF8&qid=1370265485&sr=8-19&keywords=bloodthirsty+butchers

『kocorono』

裏ジャケを見て驚愕した。『おっ、曲名が2月~12月という11曲入りって!!(1月は?)』 
でもこういうコンセプトチックなのって嫌いじゃない、むしろ好きだから、正直興奮した。とりあえず購入した。とりあえず貧乏だった。

店をあとにし、ロフトを出た早々に、兄貴部屋から勝手に持ち出してきたSONYのCDウォークマンにkocoronoを入れた。
2月のイントロが流れて、吉村さんのボーカルが聴こえてきた時、『めっちゃ歌下手くそやな』って正直思った。即、8月にクレジットを変え、帰宅しながら8月ばっかり聴いてた。

それから1か月ほど、他のアーティストの音楽を聴いて、購入したkocoronoは8月ばかり聴いて過ごした。

夏休みも終わって、しばらくしてテスト期間に入った。僕は苦心の末あみだした、昼夜逆転スタイル一夜漬け勉強法(朝から夜まで寝て、21時ぐらいからひたすら寝ずに朝まで勉強し、そのまま寝ずにテストを受ける)で、しかも棚からコンポの前にCDを山積みし、再生ボタン以外触らないイヤフォンながらスタイルをプラスするような、大間違いな勉強法で一人の夜を過ごしていた。

そして深夜kocoronoの出番になり、

いきなり刺さった。

2月が刺さった。






なぐさめあうわけでもないし、ただ夜も君もひとりで
今を生き抜く為


勉強する手を止めさせられた。


感動して泣くとかそういったことじゃない。ただ僕は実際何に対しても無知で、何に対しても経験不足で、感情を溢れさせて泣くには若すぎた。
この曲には想像を絶する切なさと、それに耐え抜いて生きていかなきゃいけない気概を感じた。

純粋にそういった類の刺さり方をする音楽に初めて出会った。


ただ、一人の夜に、そんな音像に委ねた時からある感情が芽生えては消え、芽生えては消えていくことになった。
多分誰しもが思っている事、
『誰も自分のことはわかりはしない』

そんなどうしようもないマイナスなことをずっと感じていた。多感な時期で、当時読んでいた村上春樹も手伝い、あまりしゃべらなくなった。
抜け出そうと思ってもぬかるみのように足が重く、抜け出せなかった。

それは今となってはとても貴重な経験だったと思う。

感情を吐き出す為に、曲を書きだした。
歌詞や曲のヒントを紡ぎ出す為に、小説も書いた。『あいうえお作文』(例えば、あ:明日、とタイトルを付け、文章を書く。400字詰めで1枚~6枚程度の46タイトルの文章群)も繰り返し部屋にこもって書いた。

友人と路上で歌いだし、数々の出会いと別れを経験した。
一人で路上する時は、自分の歌は極力歌わず(自分で造ったものの歌えなかった)、ほぼブッチャーズの曲を歌った。当時ブッチャーズの曲はカラオケにはなかった。(現在でも1、2曲程度)
たまにお客さんが立ち止まってくれて、『オリジナルですか?』と聞かれ、『bloodthirsty butchersってバンドの歌なんです』と言っても『知らないです』の一点張りだった。

ブッチャーズと言うバンドはコミュニケーションのツールにはならず、さらに自分に孤独感を与えるようなそんな位置のバンドだった。当時、僕の周りには、判で押したような分かりやすい音楽が溢れていた。
だからこそ、容赦ないブッチャーズの音像が何も介さずにストレートに飛んできていた。

ブッチャーズはさらに僕の音楽の幅を広げてくれた。こう言ったらお門違いな事かもしれないけど、彼らの事が好きなミュージシャンが沢山いることがすごく励みになった。そんなミュージシャン達の音楽に触れ、いっぱい素敵な音に出会えた。そんな音楽家達でさえも周りは知らなかった。

ブッチャーズの良さは説明しづらい。ある日、いきなり雷に打たれたような衝撃に襲われる、って何かのレビューに書いていたけど、実際そうかもしれない。

僕なりに感ずるに、彼らの音楽には気取っている所がない。純粋無垢に正直に、心の感情をストレートに音楽に現している。工場で大量生産されているような類の音楽が多い中、彼らの音楽には、ネジ1本1本にいたるまで丁寧に取り付けられ、例外もなしにすべてに手垢がついている。

演奏もさることながら、歌詞も秀逸である。
一回読んだだけでは『???』な歌詞が多いのも確か。純文学を読んでいるかのような透明感があったり、ある時は、怒りや苦悩といったどうしようもなさを書きなぐる歌詞もあり、とても面白い。

『無造作に色が舞う、斬新な姿、未完成』 by 未完成

『僕を呼んだような気がして 蝉の声は響く』 by 7月

『躓きにあおられ、さかしまに絵を眺め、見つめる一重まぶた、君の事が好きさ』 by -100% NO,2


好きな歌詞は幾らでも出てくる。


歌が上手いアーティストなんて掃いて捨てるほどいる。歌が上手い人なんてさらにもっといる。カラオケで100点取れる人も98点取れる人もいっぱいいる。
吉村さんがカラオケ歌ったら50点とれたら良い方じゃないか。

音楽の本質は歌が上手いじゃない、と思う。ドレミファソラシドとかじゃなく、その人の感情の起伏なんだと思う。
どれだけ赤裸々に出せるんだろう。どれだけ恥ずかしがらずに自分の訴えたい事を相手に言えるのだろう。シャイなんでうまく言葉では言えないかもしれないけど、遠慮はなしで、音楽に乗っけてみました、聴いてください的に、心の底から言えるアーティストって一体どれぐらいいるんだろう。

弟が僕の影響で中学からギターをやり始めた時、僕は弟にブッチャーズを聴かせた。あいつは今も尚現役で頑張っている。『いったんぶ』というバンドでギターをやり、作詞作曲もやっている。いったんぶはライブで全国各地を回り、タワーレコードやHMVにもCDを置いてもらえるようなバンドになった。
多分弟の原点にもブッチャーズの音楽は流れていると思う。
吉村さんが死んだ時、電話口で『兄ちゃん大丈夫?』と心配された。とりあえず『スペシャで追悼番組あるが、実家のDVDレコーダーの使い方分からんから教えろ!』と言っといた。あいつはその日広島でライブだった。



ずっと聴いてきたバンドだったけど、初めてライブに行ったのは2010年。正直行くのが怖かった。ずっと溜めこんでた暗黒面を一気に開放するって勇気がいった。だけどもう行くしかなかった。
レコ発ツアー・十三ファンダンゴで、一曲目は『散文とブルース』という歌だった。




『今にすぐにでも
崩れそうな空がはざむ
舞い上がるのか散文よ
ブルースも忍び寄るが
飽きのない苦痛とも
競り合うのか散文よ
いたいけなブルースは
すぐに泣きだしそうだね

この世の果てまで 僕を連れてって
悲しみの向こうへ 僕を連れてって
嘆きのごとく ブルースが鳴る 散文が舞う』


部屋に閉じこもり、苦悩や悲しさや訳の分からない不安な気持ちと闘いながら、歌詞書いたり、曲を作っている時の情景がフラッシュバックしてきて、わき目も振らず号泣した。
アンコールで7月を聴けて幸せだった。



その後、大阪でワンマンライブがある時は駆けつけた。




2012年の12月9日、大阪Pangeaというライブハウスでのワンマンがあった。
その日、会社の資格試験で尼崎の海沿いの工場にいた僕は、試験の時間が長引き、開演までギリギリの状況だった。駅までトッキューで向かい、文字通り電車に飛び乗って、心斎橋の駅降りてダッシュして、息が切れる中、何とか間一髪間に合った。
その時、アンコールで演奏したのが大好きな『時は終わる』という歌だった。




そして、この時のこの曲が、僕が吉村さんの姿を見た最後になった。




ここまで書いてきて吉村さんには感謝の言葉しかない。曲が終わる度に『どうもありがとう』と口癖のように言っていたことを思い出す。

大切な存在がいなくなるという事はとても悲しい事だ。いやとても悲しいなんて言葉だけじゃ表わせない複雑な感情がある。メンバーならなおさらである。
特に、吉村さんの奥さんで、ギターの田淵ひさ子さんは小さな息子さんもいて、心中を察するに本当に辛い。頑張ってほしい、としか言えない。
bloodthirsty butchersはずっと聴き続けるし、残ったメンバーも今と変わらず心の底から応援したい。音楽はずっと残る、それが音楽の素晴らしいところだ。


吉村さんのかきむしるようなギターが好きだ。真似して弾いてみるけどやっぱり真似できない。
また今度路上で真似してみよう。今だったら少しはそれっぽくなるかもしれない。

日記を書き始めた頃より、さらに感情が溢れてる気がする。溢れているがそれは負の感情じゃない。何でも出来そうな気がする。
でも早く寝て、明日の仕事に備えなきゃいけない。明日もけっこうやる事が山積みだ。生きるってそういうことなんだろうと改めて思う。やるせなさを感じていても、外には見せないそんな力強さが必要なんだろうと思う。実際そうやって生きてきたし、こんな僕にでも嬉しい事に頼ってくれる人もいる。それはbloodthirsty butchersの音楽に触れていなかったら、成せなかった事だと思う。ブッチャーズを好きになって本当に良かったと思う。



吉村さん、何か用がありましたら、僕のギターを揺すってください。


本当にありがとう。




今流れている曲: 時は終わる / bloodthirsty butchers


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