【小説】[8]AI的感覚(『僕のファーストテイク』)

"超人"への憧れは、アニメ漫画の主要テーマでもあるように、特におかしな思考ではない。僕の場合、キョンシーやロボットが憧れの対象だったというだけ。"それ"として生きれば、苦痛を感じないだろうという……。

また、おそらく"この感覚"は、共感性の高いものではないかと認識している。僕の佇まいが、飄々としている印象を与えていたのかは分からない。だが、よく相談を受けることはあったため、おそらく他者は、僕の佇まいに理想と近い"何か"を見出していたのではないかと。

理由はどうあれ、どうやったらうまくできるかなど、一緒に考える機会は多かったように思う。この"相談"という行為。他者はどういう感覚で行っているのだろうか。

僕が相談を受けた時、そこに"感情"はなかったように思う。昔で言えば、検索エンジンがその例として近かったが、今で言えばチャットAIの方が適切な気がする。
"利用者"は何かしら困りごと、調べたいことを尋ねてくる。そこにどんな感情があるかなんて知らない。だが、AI側は機械的に"配慮"を演じる。どんなに批判されようと、AIが提供可能な情報を相談者に提示する。
僕が相談を受ける時の感覚は、そんな感じだった。

"相談者"には何か困りごとがある、という前提で考えた時、そもそも"困る"とはどういう感覚だろうかと悩んだことがある。"生きようとする人のための感覚"と、僕なりに結論付けていた時期もあったように思う。
"相談"で求めているのは"生きるための解決策"のようなものであって、僕が悩むような内容は僕が生きる上で特に"解決策を必要としない"。僕の悩みごとに対しての行為は、"論議"や"討論"、"談義"という感覚に近く、決して"相談"ではない、という理解をしていたが、人によっては"それ"を"相談"として認識する人もいた。

僕は、そうした人達と相容れることは難しかったと記憶している。
その理由を僕はどう説明していただろうか……。

すぐに答えが出ない時、僕は"オーバーヒート"や"フリーズ"を起こしているのだろうと思っている。
別の"僕"との接続がうまくいっていない……というより、検索に時間がかかっているのだろう。"探せばあるはず"という感覚が"今の僕"にはあった。

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