【ブログ】『天気の子』 ネタバレあり感想
映画『天気の子』を見てきたので、その感想を書いていきます。
まず、とても面白かったことは前提として書いておきます。素晴らしい作品であると感じたからこそこうして筆を執っているのであって、批判するつもりなど毛頭ありません。この記事を読んだ人にもう一度映画館に足を運んでいただければと思っています。本当に、めっちゃ面白いです。一度は見る価値があります。見て、話す価値があります。
・セカイ系という評価
『天気の子』は、いわゆるジュブナイルでありセカイ系の作品です。ゼロ年代に日本のサブカルチャー文化に大きな影響を与えたセカイ系は、その影響を強く残しつつ2010年代にはその数を減らしていきました。それをこの2019年にセカイ系の新しい形として再構築されたのが『天気の子』です。セカイ系の定義についてはここでは触れません。気になる方はググってください。
新しいセカイ系と言いましたが、構成としては新しい形という点は多くありません。よく言えば王道です。「セカイを救うか、ヒロインを救うか」。それを今世界的に話題の新海誠が改めて提唱したということで色んな所に影響はあると思います。それが「セカイ系の普及と再考」です。
そもそも、セカイ系の物語はゼロ年代の日本のサブカルチャー文化に端を発した物語の形式で、世界中に類似の作品は多々あれど認識としてはサブカルチャーの範囲を出ていません。ぶっちゃけた話をすれば、セカイ系が衰退したと認識しているのはセカイ系を経験した「オタク」だけなのです。そこに改めて投げられたこの作品、今までセカイ系に触れていなかった人々には新鮮さを以って迎えられるだろうし、ゼロ年代を懐古するオタクにはセカイ系の再来として新たな考証の余地を与えます。オタクは皆「あの頃」が好きなんです。「俺たちの青春」が好きなんです。
第二次セカイ系ブーム、それを生み出す可能性を秘めた「一石」としての価値はとても大きいと思います。
・新海クオリティの美術
新海誠の風景描写に関しては改めて言うまでもないことですが、今作でもそれは十分に発揮されていました。
天気、ということで雲や雨、空や海の描写が多いんですがそれのどれもが素晴らしいもので、科学的考証の深さなども見えるものが多く、やはり新海クオリティという視聴者の期待を裏切らない最高の品質があります。
また、前作『君の名は。』であった「田舎と都市の感覚の違い」を浮き彫りにするだけの都会の描写も素晴らしく、この世界は現実の延長なのだという感覚を強く覚えます。「どこかで見たことのある景色」ではなく「現実にある景色」としての認識を視聴者に与える、それが新海誠の風景描写力です。ここ、テストに出ます。
・魅力的なキャラクター造形
良いセカイ系作品は魅力的なキャラクター無しには生まれません。「自分」の等身たる主人公の帆高。「運命の相手」の具現であるヒロインの陽菜。主人公を支える側の大人は、あくまで「自分の延長」として様々な葛藤を抱えています。そして対立構造となる「セカイ側」の人物達。今回はその代表として梶裕貴演じる高井刑事を中心に描かれます。
基本的に新海作品ではキャラクターの行動の理由がファジーに、しかし必ず描かれます。『天気の子』は島から出る理由という主人公の鬱屈がテーマであり、鬱屈と雨を関係させる記号論、そしてその果てに晴れを探すというその行為は正しく作品の主軸を示しています。主人公は自分の鬱屈を晴らす象徴として晴れを欲しがった。それは文字通りの晴天ではないし、晴れ女でもない。精神的な鬱屈を吹き飛ばしてくれるヒロインが必要だった。そんな話ですね。
世間的には主人公の行動理由に関してもう少し語るべき派と、無くてもいい派がありますが、私はもう少し「鬱屈の理由」には触れてもいいのかなとは思いました。東京に来て以降の行動理由はほとんどが陽菜なんで判るんですけど「なぜ東京に出るに至ったのか」についてほんの少し「きっかけ」を描いてもいいのではないかと感じました。『君の名は。』におけるテッシーの行動理由。「腐敗のにおいがするな」。そんな一幕だけでも、欲しいと思いました。
個人的には前作キャラクターの登場に違和感ありです。ファンサービスなのは判るんですが、必要かと言えばそうではない気がします。別に出しても出さなくても物語の本筋に関わらない、あえてそのキャラクターである理由が大きくない所なので、削ってもいいと思ったんですよね。テッシー達みたいに「出てた?」ってなる程度のバランスが良いと思います。このおばあさんの苗字「立花」っていうのか…孫がいるのか。結婚したのか。もしかして? くらいの。
・拳銃と手錠の意味
作中で違和感の強く残った要素がこの2つです。
主人公がセカイに追われる理由になっている拳銃。これがあまりに強すぎるんですよね。主人公が世界と対立する構造は物語として必要なものなんですが、物語のためにその理由を後付けしているように感じてしまって。まぁ偶然によって主人公が追いつめられるのは物語の性質として正しくはあるのですが、ここが何かしらの意味を持っているともっといいなぁと見ながら感じていました。
類似として、終盤に登場する手錠なのですが、天上に上った後も腕に付いているのを確認した時点で「あ、これは陽菜に片方付けるんだな」と思いましたし、落下している間ずっと「早く付けろよ何してんだ」と思いましたし、最終的に付けなかったところを見て「使わんのかい」って思いました。使わんのかい。
この二つ関しては下記の冲方丁さんのブログを参照してほしい。私が感じたことを拡大して詳細に記されています。一見の価値あり。物語に意味を持たせるってこういうこと。語る必要は無いんです。意味を持たせるだけでいいんです。
・声優問題
気にしてる人がいるみたいなので一応触れておきますが、ほとんど気になりませんでした。須賀さんも夏美さんも魅力的な声に支えられた魅力的なキャラクターのままエンディングを迎えます。気になったのはアヤネちゃんとカナちゃんと平泉成さんくらいだよ。
・好きなセリフ
「――陽菜さんを見てる……」
「人間歳を取るとさあ、大事なものの順番を、入れ替えられなくなるんだよな」
「そこまでして会いたい子がいるってのは、私なんかにゃ、なんだか羨ましい気もしますな」
「姉ちゃんを返せよっ!」
この4つ。一番好きなのはセンパイのセリフ。込められた感情の大きさが段違い。冲方論によるとさらに上がる。最高だったのかもしれない。
・RADWIMPS
今回の楽曲も本当に素晴らしい。
一番好きなのは、「祝祭」か「グランドエスケープ」。でも「愛にできることはまだあるかい」もすごくいいし、「大丈夫」の涙腺特攻具合は知ってても回避できないレベルだった。「風たちの声」の”これからはじまる感”は流石RADWIMPSと言わざるを得ない完成度。どれも素晴らしい。CD発売中だし、itunesでも配信しているのでぜひ買って聞きましょう。
・賛否両論に関して
そもそも、賛否両論のない作品など存在しようがないので、賛否両論という言葉は「非が目立って見える」場合に使われるということはあえて書いておきます。
で、セカイ系という評価を受けたこの作品が受け入れられるかに関してなんですけども。
物語自体は面白く、とても魅力的な作品なので良い評価は多いと思いますが、新海監督もインタビューで述べている通り賛否両論ある作品になっていると思います。理由に関しては、セカイ系というジャンルがもともと抱えているところなんですが「エンディングがハッピーエンドと言い切れるものではないから」です。
新海監督のインタビューにもある通り、もともと新海監督の作品は、見るはずのない人たちは見ないタイプの映画で、『君の名は。』で観客のスケールが大きくなっているんです。そんな中に投じられるということもあってセカイ系に初めて触れる層が珍しさを感じるのは当然とはいえ、それを受け入れられるかは難しいところがあります。私は好きだけどね。
・各種セカイ系作品との比較
前述の評価を受けて、『天気の子』を好きな人は『イリヤの空、UFOの夏』も読んでみてほしい、とかそういう安直な誘導はやめておいた方がいいと思います。どっちもとても素晴らしい傑作なので比較に上がるのはまぁ判るんですけど。「天気の子と似たような話だ」と『イリヤの空』をお勧めすると、印象が割と異なってしまいます。セカイ系ってのは「世界を救うか、女の子を救うか」の二択を迫られる話ではありますが、どちらを救うかしっかり選んでその通りになる作品だけではないんですよね。
ただ、セカイ系というジャンルに興味を持ち、調べ、自らの足で辿り着いた作品を読んでみるという行為は非常に価値のあるものなので、その際には私も自信をもっておすすめの一冊として『イリヤの空、UFOの夏』をお勧めします。本当に面白いので、ぜひ。紹介動画はこちらです。
・違和感
最後に私が作品を見終えて感じた違和感に関して話しておきます。これは私の感覚の問題で、この記事の中でも最も整理できていないものです。
セカイ系というジャンルには慣れています。ハッピーではないエンディングを受け止めることも何度もやっています。それでも、このエンディングを見たときに大きな違和感がありました。
それは「現実が変わってしまった」という違和感です。
前作の『君の名は。』は、初めからファンタジーが強かったんですよ。架空の、糸守という隕石湖のある町の女の子が、東京の男の子と入れ替わるところから始まる物語は、初めからファンタジーとして受け入れられました。現実ではないところからのスタートなので。
けれど、『天気の子』は東京が舞台です。非常に緻密な描写で、現実に存在する東京をほぼそのままに描いています。渋谷があり、代々木があり、新宿歌舞伎町があり、高島平があり、田端があり、現実をすぐそこに感じる描写がなされていました。雨が長く続くという要素はあれ、あくまでそれは現実の延長として受け入れられました。『天気の子』は序盤の世界観を見せるにあたって、ファンタジーよりもリアルが優先された作品だったんです。
そしてだからこそ、最後に東京が水に沈む様を見て「リアルがファンタジーに浸食された」感覚が強く出たんです。今の今まで私がいた現実の東京が一瞬でファンタジーになってしまった。そこに、強い違和感を感じてしまった。
のではないかなーと軽く考えています。
「リアルとファンタジーの区別がつかなかった」ということですね。
この感覚が万人に共通するものだとは思っていませんが、私がそういう感覚を覚えたということだけは書いておきます。
それだけの描写力が、新海誠の作品なのだと。
以上です。では、もう一度映画館へ足を運ぶとしましょう。
「世界を救って、女の子も救う。そんな強欲さこそが今時のヒーロー像だろ」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?