第23話 授賞式

 マイクを通して講堂に朗々と響く声に、緊張が和らいでいく。

 日本絵画大賞展の授賞式は、都内の美術館の講堂で行われた。
 特別賞以上に入選した十五人が壇上に上がって、それぞれが壇上で審査委員長から賞状や副賞を受け取っていく。
 その光景が、なんだか学校の終業式で見た光景と似ていてちょっと笑ってしまった。

「続きまして、東京都知事賞。自由表現部門。夏目アリスさん」
「はい」

 名前を呼ばれて立ち上がる。起きた拍手は終業式のそれよりは多くて、そういえばここはそういう人しかいないんだった、とちょっと気を引き締める。まぁ気を引き締めたところで何が変わるというわけでもないのだけど。

「同じく、東京都知事賞。写実表現部門。森白雪さん」
「はい」

 透き通るような声がした。
 思わず振り返ると、すらっと背の高い女の子だった。目がくるりと大きく、すっきりした鼻立ちと相まって人形のように見える美人さん。首に掛かる栗色の髪は毛先がほんの少し外にカールしている。紺のジャンパースカートと薄い橙のボレロを学校の制服らしくきっちり着こんでいて、胸元の黄色いリボンがワンポイントになっていた。高校生くらいかな。
 思わず見とれていると、背中をポンと押された。

「ほら、行くよ」
「あ、はい」

 そういえば呼ばれていたんだった。少し早歩きになって階段を上る。
 壇上は本当に終業式と同じような感じで、立っている人が校長先生じゃないくらいの違いしか見つけられなかった。二人並んで観客席に一礼した後、わたしから賞状を受け取る。

「賞状。東京都知事賞。自由表現部門。夏目アリスさん。あなたは、第四十二回日本絵画大賞展において頭書の通り優秀な成績を収められました。ここにその栄誉を称え、これを賞します。平成三十二年一月七日。日本絵画大賞展審査員、八雲光」
「ありがとうございます」

 賞状の受け渡しまで、終業式と変わらなかった。その後、副賞で絵の具セットを貰ったけれど、油彩絵の具だった。うーん。ちょっと苦い。まぁお母さんいるし、使うだろうけど。
 受け取って一礼して、女の子と入れ替わる。両手が埋まったまま待っているのもなかなか間抜けだったけど、仕方がない。

「賞状。東京都知事賞。写実表現部門。森白雪さん。以下同文です」

 以下同文の場所まで同じなんだなぁと思いながらぼんやりしていると、今呼ばれたその名前に聞き覚えがあることにようやく気付く。モリシラユキ、モリ・シラユキ、

「白雪さん!?」

 壇上で声を上げてしまった。
 賞状の受け渡しの最中でビクッとなった白雪さんの背中と、見えはしないんだけどわたしの背中に集まってるお客さんの視線を感じて、体を小さくする。

「あ、すいません」

 声も小さく謝罪した。
 わたしがようやく気付いたことに気付いた白雪さんと、ひとまず壇を下りた後、

「白雪さんだったんですね!」
「遅くない?」
 ツッコまれた。

「初めまして、アリスちゃん」
「はい、かっこいいです!」
「ありがとう」

 快活に笑う白雪さんは、お母さんの友達、森しづかさんの娘さんで、どことなく遺伝子を受け継いでる気のする見た目だった。背が高かったり、鼻がすらっと高かったり。髪が栗色なのは染めてるのかな。

「しづかさん来てるんですか?」
「うん。どっかにいる」

 そう答えると、白雪さんはじっと私の顔を見つめた。賞状と絵の具を抱えたままなので、顔は触れないんだけど、

「な、何かついてます?」
「いや、こんなかわいい子だったんだなーって、思って」
「あ、ありがとうございます」

 お世辞だとしても嬉しかった。可愛い、か。それこそしづかさんくらいにしか言われたことがない。

「天才だって思ってたから、どんな変な子なのかと思ってた。凄く普通。普通に可愛い」

 その言葉に、言葉が詰まる。
「わたしは、天才ではないです」

 少なくとも、わたしはそれを名乗れないくらいの経験を、去年の夏にしたのだ。

「あら、天才って言葉嫌いな人?」
「もっと才能がある人が、身近にいるので」
「あー、なるほどね」

 白雪さんはそう言うと足をパタパタさせた。皮の靴が床を叩く音が心地よく響く。
 そうして、足元を見ながら白雪さんは喋る。

「私さ、天才はたくさんいてもいい派なんだよね」
 それは、初めて聞いた派閥だった。

「たくさんですか」
「うん。私からしたら、こころさんも天才だけど、アリスちゃんも天才。そんでもって私も天才」

 白雪さんは「こころさんで」真上を、「アリスちゃん」で私を、「私」で自身の胸を指さしながら言った。ウチのお母さんが真上のその感覚、判る。

「私ね、アリスちゃんに会うのは初めてだけど、絵は前から見たことあったんだ」
「あ、はい。聞いてます」
 以前しづかさんと話したとき、それこそ名前を初めて聞いたとき。私のファンだと聞いていた。

「いつ頃だったかな。三年くらい前なんだけど、水彩コンテストなのに、水墨画みたいな、白と黒だけで書かれた絵があってさ。佳作とか優秀賞にカラフルな絵が並んでる中で大賞だから一番真ん中に展示されてて、それがなんか世界の中心って感じですごく好きだったんだよね」

 三年前、というと一年生の頃か。んー、あんまり覚えてないな。

「モノクロなのにさ、真ん中の花だけが凄く色づいて見えて、薔薇なんだから赤いイメージなのはそうなんだけど、でももっと明るい、火みたいなイメージがパッと出て来てね? モノクロだし、静物画なのに、心がアツくなるようなさ」

 自分の絵は思い出せないけど、引っかかるものが一つあった。そのイメージは、去年の夏に見た、白雪さんの絵を見てわたしが思い付いたものと近い。

「それって」
「あ、判る? ファン冥利に尽きるねぇ。そ、去年の国際コンのわたしの絵はあれをモチーフにしてんの。ま、油だし、もうだいぶ前だからイメージも曖昧な、オマージュって感じで」

 だから良かったのかもしんないけどさ、と白雪さんはけらけら気持ちよく笑う。この辺り、しづかさんと同じだなあと何となく思った。

「アリスちゃんのあの絵が、じっと見つめてると絵が描きたくなってくるような、そんな絵だったのよ。それを見て『見た人に絵を描かせたくなるような、こんな絵が描きたい』って三年前の私は思ったわけ。だから」
 ビシ、と私に掌を向ける。

「そう思ってからずっと、夏目アリスは私のライバルだよ」
「ライバル」
 ファンではなく。

「ファンでもある」
 向けられた右手は握手だった。賞状を左手に移して、右手を差し出す。

「だからさ、そんな風にアリスちゃんを認めてる人がいるってのは、知っといてほしいなって」
 握った白雪さんの手は柔らかく、そして力強くわたしの手を握り返してくれた。

「私は、水彩だったらこころさんよりアリスちゃんの絵の方が好きだよ」

 そう言って笑う白雪さんの笑顔にはまったく裏表がなくて、なんとなく心が温かくなるのだった。

「よー、やってるね若いの」
「お母さん」
「しづかさん」
「うむ、しづかさんじゃよー」

 しづかさんは今日は紺のパンツスーツの上にグレーのチェスターコートを羽織っていた。冬の正装と言えばこれ! といった感じで決まっていて、格好良すぎる。本当に「お母さん」なんだろうか。
 白雪さんの隣に並ぶと、結構似たところがありつつ、その違いも明確になった。格好のせいもあるけれど、白雪さんはしづかさんと並ぶと女の子らしい可愛らしさが目立つようになるのだ。発見だ。

「若いの?」
「そりゃあ、都知事賞最年少だよ君。あんたは二番目」
「そりゃあ、そうだね」

 言われてみればそうか。お母さんが9歳で最年少ってことばっかり気にして自分のことを見ていなかった。
 わたしのことを、認めてくれる人がいる。
 覚えておこう。

「あ、そうだアリスちゃん。あとでお父さんに税金の話とかちゃんと聞いときなさいね」
「え? ぜ、税金ですか?」
「そーよ、アリスちゃん今日賞金出てるんだから。親に管理任せるとか危ない事やめときなさい? せめて手伝ってもらうくらいにしとかないと」
「あ、はい! そうですね」

 そんな、現金の話題で思い出してしまって恐縮なのだけど。

 そうか、今わたしは、
 あれだけ憧れた、画家の世界に立っているのだ。

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