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うまく見える写真ではなく本当にうまくなりたい人に。

注:うまく見える写真が撮りたい人はお引き取り下さい。残念ですがあなたの知りたいことは1ミリも書いてません。これは写真が本当にうまくなりたい人向けです。


写真が本当に上手くなる方法。
それは「上手く見えない写真を撮れる」ようになることです。

先に答を太字で書いちゃいました。おしまい。


言葉遊びに聞こえるかもしれません。簡単な説明で理解いただけると思います。その前にミスマッチでお手間を取らせてもいけないので再び書いておきますね。

「パッと見、目をひく写真」「上手ですねと皆から言われる写真」を撮りたい人は、ここから先を読んでも、ちっともためになりません。

ネットにたくさんあるノウハウを身につけて、誰かに似た写真を量産して下さい。大丈夫、すぐできるようになります。人にほめられて承認欲求もバッチリ。それで満足ならそれでいいじゃないですか。私すっかり飽きたけど。

さて、こちらに残って下さってるあなたは、たとえば…

「写真が上手くなりたい」と思って始めたけど、どうもなんか違う。もっと心が揺れるような味わいのある写真が撮りたい。わたしらしい、わたしにしか撮れない写真を撮れるようになりたい。

(あるいは)コンテストに出して入選や入賞するけど、どうしても金やグランプリが獲れない。私の写真に欠けているものがありそうだ。

(または)何を見ても「どう撮ればいいか」すぐわかるようになった。周囲からも写真が上手とほめられて、そんな写真ばかり撮り続けてきたけど最近ちょっと飽きてきた。

おもにそんな方面に向けて話を進めていきたいと思います。

わたしは書道にあまりくわしくないのですが行書?草書?何が書いてあるか読めない崩し字の書がありますよね。教科書や書道展や居酒屋の壁なんかにも。あれ見てなんとなくすごいなーって思うんです。

ぼてっと落ちた墨、字の間の「かすれ」それ失敗じゃない?と思っても、それすら作品なんですね。

あれを下敷きに上から半紙でなぞり書き。「こんな感じでかすれさせたらいいんだな」「ここは墨を多くつけて滲ませるのね」似たものができます。

何が違うか。気分ですね。書いた人もそうだけど、作品にこめられた想い、そこから来る筆の運び。その結果発生する、にじみやかすれ。

そこで「にじみ」や「かすれ」を真似しても、作品にこめられた想いは伝わってこない。だってうわべだけ真似てるだけですから。

「写真が急に上手くなる方法」というのがあった場合、それらはほとんど、見せかけのテクニックを教えているにすぎません。もちろんそれを聞いて実行すれば、なんとなく上手そうに見える写真が比較的すぐ撮れるようになります。教えた人も教わった人も満足。

これは断言しておきますが、ネットを含めて世の中にあふれる大半の写真は、この「なんとなく上手そうに見える写真」です。これについてはまた別の機会にお話しします。

東京に写真美術館があります。そこに一度行ってごらんなさい。古今東西の名作と言われる写真。なぜか作品の前から立ち去りがたい。単純に「きれい」とか「かっこいい」では済まされない。強いて言えば「美しい」唸るような声で出てくる写真。

あなたが日頃ネットで見る「わーきれい」「かっこいい」写真とくらべてどうでしょう。印象の深さが違うと思いませんか。

それって世界レベルのプロの作品だから、私たちの身の回りにある写真とレベチで当然じゃない?…あなたはそう思うかもしれません。

そこじゃないんですね。プロとアマの差、誰のために撮るか、何のために撮るか…これを語り続けると難しいところまで進んでしまいますが、けしてあなたに撮れないことはない。むしろ「あなたの写真はあなたしか撮れない」んです。

「こういう場合はこう撮るべき」という呪縛から、まず逃れましょう。

写真は「いつ」「だれが」「なにを」「どんなふうに」「撮ろうが撮るまいが」まったく自由なんです。「ここはこう撮るのが正しい」自分に足かせしてるのは自分自身なんです。早く呪縛を解いて自由になることをおすすめします。

写真が本当に上手くなる方法は「上手く見えない写真を撮れる」ようになることだと書きました。(大切なことなので三度目です)

街を歩くあなたが「いいな♪」と思って、カメラを取り出して写真を撮る。「いいな♪」見て感じたまま写真に撮れたなら。その写真を見た人もあなたと同じように「いいな♪」と感じてくれるかも。そう思いませんか。

あなたが視て撮った瞬間と、鑑賞者がその写真を見た瞬間。人も時間も場所も全然違うのに、写真を見た人が、撮ったあなたの気分を共有して共感してくれる。自分の写真でそんなことが起きたらステキだと思いませんか。

「いいな♪」と感じたら、カメラ構えてシャッター押すまで、その感覚のまま脳内フリーズさせる。「見た感じそのまま写真に撮ろう」と試みてください。ほんの数秒の間に人は「うまく撮ろう」とか「わかりやすく撮ろう」「こっちから撮ったほうが」すぐ考えてしまいます。それをやめて、見た感じそのままに、ただ単純に断片的に。

なんかへんな写真!最初は思うかもしれません。見せられた周囲の人も戸惑うでしょう。でもそれでいいんです。これは練習。書道だと「とめ・はらい」筆使いの練習。それを見て「いいね♪」となかなか言えませんよね。

単純でいい。断片的でいい。「これは○○です」と写真で説明しなくていい。比較になるものを画面に入れなくていい。ほんとうに自分が「はっ」と反応した瞬間の「見た感じのまま」を再現することに技術を費やしてください。

そう、ここで撮影技術が出てくるんです。撮影技術はあなたの写真を高らかに謳い上げるためのものじゃない。華美に派手に誇張するために使うものじゃない。技術はあなたの視覚を裏で支え、見た感じのままを再現するために使います。

技術を使いすぎて写真表面に浮いて見えてくると「上手い写真」にしか見えなくなります。あなたはあなたが見たイイカンジの光景を写真に残したくて撮ったんでしょう?なのに写真に残ってるのはあなたの腕前。「どうです私、写真がうまいでしょう」としか語ってこない写真をあなたは撮り続けたいですか。周囲の人はそんな写真を見せられ続けたいでしょうか。

1日1枚、気になったものを撮る。最低でも1枚。1日もかかさず10年撮り続けたらあなたは写真家になっています。たったそれだけで!? ええ事実です。私も師匠に同じことを聞きました。そして10年続けると私も写真家になっていました。

見た感じのまま撮ろうとしてください。それ以上でも以下でもなく、あなたの見た感じそのままを忠実に再現しようと日々努力してください。一日の終わりにその日撮った写真を見る。それを毎日繰り返すことで、あなたは必然的にフレーミングや露出に厳しくなっていくでしょう。後処理で覆い焼きや焼き込みの必要性に気付くでしょう。

そう。カメラは「あなたが見た感じそのまま」は絶対に再現してくれないんです。そのために補整が必要になってきます。

補整方向は2通り。見た目以上に華美に派手に誇張していくと、ただの上手そうに見える写真に近付くでしょう。それは一瞬、人目を引きます。しかしそれは濃い味付けを「おいしい」と勘違いするようなもの。慣れていくとだんだん味付けを濃くしていかないと気が済まなくなります。

無益な流行に流されないで、いつの時代にも通用する味。あなたはあなたの味を追求しましょう。あなたが見て気になったあの感じ、あの「はっ」とした、見た感じそのままを、ただ単純に再現しようと練習してみてください。

すると。

それがどんなに難しいか、どれほど技術が必要になるか身をもってわかるでしょう。撮れば撮るほど、撮った写真を見返せば見返すほど、見た感じに近付けようと後処理すればするほど、道のりの困難さに気付くでしょう。同時にあなたはもうその道をゆっくりと上っています。

「見た目以上にうまく見える写真のほうがよっぽど簡単じゃないの!」あなたは叫びながら、日々淡々と自分の世界を紡ぎ続けるでしょう。

写真は一生続けられる趣味です。定年後に写真を始めた方々が高い機材を買ってコンテストで入賞を狙う。ある人は植物、ある人は野鳥…そういった写真の楽しみ方ももちろんあります。しかし撮影者の名前を隠せば誰の写真かわからない。ひどい言い方をすれば「よくある写真」に埋もれてしまいがち。

あなたしか撮れない、あなたらしい写真。あなたらしさは、奇抜なことをして注目してもらうのではありません。ただ日常の暮らしの中から「はっとした」そのときそのまま見た感じのままを捉える。再現する。それらの日録写真を何枚か並べることで、見る人の心の中に自然に気配が立ちのぼってくるんです。

その「あなたらしさ」は、あなたの写真を見た人すべてが気付きます。しかし残念なことに、あなただけには見えません。それが本物のあなたらしさなんです。

最後にベテラン役者さんの話。
(何度か書いてるのでもう見たよって方はごめんなさい。)
朝一番に来て何度も稽古して、本番終わった客席から「あのいいかげんでだらしない人、ふだんもあんな感じじゃない?」「稽古なんてちっともしてないそのまんまの感じだよねー」お客さまが笑いながら帰っていきます。血の滲むような努力の末の自然な演技と誰も気付かない。「あんなに毎日稽古してるのに!」腹が立って本人に言いにいくと、怒るどころか「嬉しい。そりゃ最高の褒め言葉だねぇ」

写真が本当に上手くなる方法は「上手く見えない写真を撮れる」ようになることです。四回書きましたが、おわかりいただけましたでしょうか。

写真には「上手い写真」と「イイカンジの写真」の2種類あると思います。

ほとんどの人は、わかりやすくて目立つ華美で派手できれいでカッコイイ「上手い写真」の話をします。私は人となりが伝わってくる「イイカンジの写真」が好きなので、そっちの話が多いです。だって「上手い写真」に見えただけで、その写真はちっとも「上手くない写真」だと思うので。

世の中にもっとイイカンジの写真があふれたら楽しいと思いませんか。