見出し画像

プロフに所属,学歴,資格を書くほど

プロフィールに所属,学歴,資格を書くほど愚かなことはないと私は思います。それらはこれから読むあなたの文章に先入観を与えてしまう。もちろん今それをしてる人に向けて言ってるわけじゃないよ。人それぞれ自由だからね。

逆に言うと、それらを書いてある人は「自分の文章に先入観を与えたい人」でしょう。信頼感や安心感、良かれと思ってされてると思うんだけど、読者には真っ先にその姿勢そのものがあからサマーに伝わってしまうことに留意したい。

コロナの情報が氾濫したとき、医師が書いた文かどうかは大きな判断材料になりました。けれど「医師の中にもいろんな人がいる」理解が広まった時点で効果は剥落。「医師だってヘンな人はいる」当然の結論にプロフに書いてあろうが何の役にも立たないと気付く人が増えました。

医師ばかりじゃない。弁護士、心理カウンセラー、フォトグラファー、ライター…あらゆる名乗り肩書きはネットの海で信頼を失っていく。弁護士はともかく、大学の心理学科さえ出てない心理カウンセラー、賞をいくつか獲りました、インスタでフォロワー○万人です、それだけで「お仕事はこちらへ」と書くフォトグラファー。今、売り出し中のライターさんも「お仕事はこちらへ」と書く人が多い。

実はこの「お仕事はこちらへ」が本物を見分けるポイント。売れっ子ならどこかで誰かとつながって連絡先くらいすぐわかる。ネットで仕事を請ける暇は無いくらい忙しい。とはいえ最近ネットで発注される案件も増えてるらしいですね。相場を聞いて安さに驚くけど。

自身のブランドイメージの確立、ネットコマースへの誘導…twitterやnoteなどSNSを使って発信する目的が確固としてある人たち。そんな人には私は正直さほど興味がありません。むしろ所属,学歴,仕事がしっかりしてる人ほど SNSは広告に使わず息抜きに使ってるイメージ。

肩書きを名乗って「わたしこんなにすごいです」と言う人は、さらにすごい人からどう見えるか考えたことがあるでしょうか。(え、このレベルでそれ名乗っちゃう!?)しばしば思う。シロウトの人は間違っちゃうだろうな。喜ぶだろうな。知って役に立たない知識。技術は必要な時に使えるかどうかが大切なのに。

貧相で役に立たない鎧のように、それらは身につけた人の自己満足でしかない。

プロフィールに所属,学歴,資格が無く、けれどお人柄が伝わってくる文章。そんな人との出会いはすばらしく楽しい。ふだん出会えない年齢やタイプの人と交流できるネットはすばらしい。書いてる内容もさることながら、文章の端々に人となりが感じられて、立春の穏やかな太陽のように心地良い。

2023.2.4 立春