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福島で3.11の日を迎える(後編)

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4 東京電力廃炉資料館

富岡町を訪れたもう一つの目的は、「東京電力廃炉資料館」に行くこと。元々は原発のPR施設だったというその場所は、ヨーロッパ風のレンガ造りで、屋根には風見鶏が回っていてお洒落な建物の中にある。館内ツアーの冒頭で流れる動画はこんな風に始まる。

「私たち東京電力は、福島県の皆様に、大きな負担とご迷惑をおかけしました」
「安全に万全を期していたと思い込んでいました」
「私たち東京電力は、深く反省致します」

その他の災害伝承館や資料館とは根本的に異なる、「私たち」という主語と「皆様に」という目的語。そして謝罪の言葉。幾度も幾度も、何百何千人の人に向けて、この動画が謝罪を繰り返してきたのかと思うと不思議に感じる。

展示の内容それ自体に移って見ると、前半では原発事故のプロセスを詳しく説明したもの。13年前に繰り返し報じられていた、燃料棒の溶融や電源喪失、水素爆発に至った経緯が語られて、当時の記憶がよみがえってくる。その頃大学生だった私は、文系ではあったけれど原発に関する授業を受講して、どうにか理解しようと頑張っていた。

ツアー後半では、現状原子炉がどうなっているかと、今後どのような作業を行なっていくかが伝えられる。きっと開館以来、内容を洗練させてきたのだろう。説明は要を得ており、とても分かりやすかった。とはいっても、そうした情報のほとんどは、ウェブサイトや書籍でも確認できるものだろう。

それでも私は、この場所に行くことをみんなにお勧めしたい。できれば、原子力災害伝承館とセットで訪れて欲しい。その理由はやはり「私たち東京電力」という主語にある。

館内スタッフの何人かは若く二十代に見えて、つまり原発事故の起きた時には入社前だったはずだ。それでも入社した今は「私たち」という謝罪する主体に含まれている。組織が「私たち」という主語を使って謝罪するって、どういうことなんだろう、と考えさせられる。それに、原発の電力を使って過ごして来た関東在住の一人として、その責任のひとかけらが自分には無いときっぱり言えるのか。無いと言えば欺瞞になりそうだし、あると言っても責任の取り方を答えられないのでは意味がない。

あるいは:ここでは「東電が福島県民に」謝罪する、という関係があるけれど、例えば韓国や中国の生産者は放射性物質や処理水の放出に関して、「日本人」へ責任を問うことをしている。こうなると謝罪を求められているのは私を含む日本国民全員になる。

……とまあ、とてもシリアスになってしまうのだけど、その責任論は宿題にするとして、技術的なところで廃炉はやはり大変そうに見えた。というよりも、全てが前例の無い作業だから、どんな計画も確実とは言えない。試して、上手くいかなければ改良して、という、もちろんロードマップはありながらも、先が見えない部分も大きい様子で、そこが難しそうだ。その意味で、アップデートされた情報を発信し続ける廃炉資料館にも大きな意味が託されているのだと思う。

5 ソング・オブ・ジ・アース

富岡町からJヴィレッジに移動して、例年行なわれている音楽イベント「Song Of The Earth」を見に行く。個人的に楽しみにしていたのが、Tokyo No.1 Soul Set の渡辺俊美のステージ。震災以降避難指示が出ていた川内村の出身で、福島に関わる沢山のイベントに出演している……というのは最近知ったこと。『Dusk & Dawn』って初期のベストアルバムを何度も聞いたなあ。

で、オザケンの『今夜はブギー・バック』をHalcaliと一緒にカバーしてるんだけど、このステージではゲストMCにYoung Donutsを迎えて披露。盛り上がって「ダンスフロア~に華やかな光~」と一緒に合唱していたら、このヤングドーナツさんがのラップ部分をオリジナルアレンジしてて、これがもう最高に良かった。オリジナルの「プラスモーチキン」ってリリックが「ファミチキ」に変わってたのはマジ泣けたっす。

実はこの日の夜のこと──とあるお店に晩御飯を食べに入ったら、この渡辺俊美チームと偶然隣り合って、「あ、バックドロップくん!」(「バックドロップ」と書かれたキャップを被って最前列で踊りまくってたので覚えられてました)と声をかけて貰えて嬉しかった。ただこの時ですね、その後の数日間後悔する出来事もありまいて、上記「ブギーバック」の話が出た時、Young Donutsさんに「最高でしたっ!!」と感想を伝えたんですが、いやいや、この時私が言うべきだったのは──「泣けたっス。いやマジ泣けたっス。フリースタイル具合にマジ泣けたっス」だったのに! うわー! 修行が足りない!(何言ってるか分からない人はすいません)

「せっかくがYoung Donuts来てくれたから、ドーナツが出てくる曲をやろうかな」と始まったのが「誰かが」。曲がかかった途端、私はぼろぼろに泣いてしまう。作曲はチバユウスケ。昨年亡くなった世界最高のロックンローラーだ。Rossoというバンドのライブを二回程見に行ったことがある。ライブではじめてダイブをかましたのもそのときだった。もう聞けないんだな、チバが見れないんだなあ、とこのときになって初めて実感した。

トリのホテルニュートーキョーの演奏もすごかった。toeの山嵜さんゲストで「あれ、世界壊れちゃった?」ってサウンドのギターも最高でしたが、ホーンセクションが吹きまくるとこが凄すぎてぶっとびました。

6 黙祷と、「ここにいる」こと

14:46分、震災の時間には、屋外のピッチに集まって黙祷。

さっきブラザー・コーンのステージで一緒に踊っていた小学生くらいの女の子たちが集まって来て、お母さん方に「その場所に立ってたら、絶対ジュンさんに『前まで来て』って言われるよ?」「えー、やだ! ここが良い!」なんて話をしていて、それでキャンドルジュンが壇上に登ると、案の定「みんなもっと前に、ぎゅっと集まって!」と言われてしまい、すると彼女たちは一目散に壇の前まで進んでいった。

「毎回ね、黙祷をどうやってやろうかって迷うんですよね。海の方を向こうとか、並んでみようとか。でもこうやって、みんなで丸くなって、ぎゅって集まって黙祷するのが、ソングオブアースらしくて、いいなって思います」
そう話す司会、福島で活躍するアナウンサー、鈴木美伸さんの目にも涙が光っていた。

キャンドルジュンの長いスピーチが始まる。「鎮魂や慰霊のために灯しているんですかとメディアに聞かれますけれど、違います。主役は、亡くなった人たちです。続けているのは、亡くなった人たちと話すからです。みんなが、安心して、もう大丈夫だね、安心できるね、と思えるように、それまで灯し続けます」

震災は終わったことではなくて、現在進行形であるということ。ただ、今年は元旦の能登の震災があるから、それが強く意識される機会でもある。彼は今能登で支援活動をしていて、向こうで被災した人たちもこのイベントに招いていた。

「能登の人に、いま私たちはこれだけ元気だから、前を向いてって言いたい。必ず元気を取り戻すからって」

ただ、実は一番印象に残ったのは、結構当たり前の呼びかけ:「また来年も、この場所に来てください。もっともっと大勢の人に来てほしい。友達を連れて来てください。日本中からこの場所に、集まって欲しい」というもの。

ここまであれこれ書いてきたけれど、震災から十三年が経ったいま、考えたいことは様々にあって、福島であればそれは原発のこと、最終処分場の土地の問題が現在進行形としてある。津波の被災地ではその教訓、災害に備えようという記憶の継承があって、それから「復興」に関わることもまだまだある。食べて応援、観光して応援、被災した地域を訪れてお金を落とそう、なんてのもそう。「震災の記憶を風化させてはならない」という呼びかけは、そうした意味ある行動へと関わってくる。

ただ、そうした具体的なものに限らなくて、こうして震災の日などを期に「私がそこを訪れる」ことそれ自体が、実はとても重要なことなんじゃないかと感じた。SNSで追悼の言葉を発信するだけでなく、「ここにいる」ということが、言葉を越えたメッセージになる。

「震災を忘れない」こととは、個人の記憶に留まらなくて、その出来事が確かに大きなものとしてあったのだと──もちろん痛みや苦しみが大きかったとして、けれどそれが虚無やナンセンスではないと、改めて確認すること。被災地から離れた場所にいる人が、このことを共有するためには、実際にその地を訪れることが重要なんだよな、とそんなことを思う。今回の旅で、被災した当時の話をたくさん聞かせてもらうと、なおさらにそう感じる。

現存在は自分の過去であり、また過去を在る

(ハイデガー『存在と時間』)

歴史は「こういうことが起きました」という事実でなくて、生きている人間が動いて、意味を紡ぎ続けることで生まれてくる、そう考えたハイデガーの言葉がこれと響き合うように思えた。

おまけ。いわきの夜明け市場で出会える常連猫のクロ。かわいすぎた。


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