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"大侵寇"イベントへの率直な意見と綺伝ネタバレ

"うちの三日月"はどこに行っちゃったんだ、"あちらはあちら、うちはうち"じゃなかったのか。ということですね。レイドはまぁ楽しかった。三日月宗近が台詞を言うだけならまだ自己解釈の付けようがあった。けどあの"エンディング"はダメだった。"うちの本丸"でなければね、胸アツ演出、大好きなやつだけどね。大好きな類型なのに乗れなかった。そのくらい重症。

ただ、その種の思い入れを抜きにすれば、よくやったなぁという称賛がある。そして偶々か知らないが、すぐさま綺伝ライブ配信だった。

「迷いは変化。繰り返しから脱け出すことに繋がる」というようなことだったか。孝高様の台詞で腑に落ちた。

同じことだけをいつまでもやってるわけにはいかないんだな。前線にいる者には、先へ進みたいという情熱もあるだろう。

そして大人の事情ってやつもあるだろう。ユーザーの"情"を重視する運営であることは刀帳仕様変更の騒動でよくよくわかったので。思うことは表そう。三日月さんがあれほど"伝えろ"と言われているじゃない。

さて綺伝。核心・演出ネタバレするのでこれから観る予定の人には読まないで欲しい。


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これも率直に、ストーリーは科白劇と同じだな…長義が黒田孝高に引っ掛かりを覚えたところだけが大きく違う。やはり孝高様の正体は…

そっちかァーーーー!?
すごい驚きの展開だった。黒田と言えば、という思い入れを逆手に取られたな。長義に問い詰められた時あえて「へし切長谷部」の名前を出したことといい。見事。

その彼の破壊描写は心臓に悪かったけどね。長義には本人でないという確信があったのか、それともこんなところに堕ちているくらいならいっそ、という無意識の思いがあるのか。

そもそもあれは、本人の意思が背後にあるとして、闇落ちなのか。无伝の「如水」が登場して、三日月を円環から救い出すというようなことを言った。見ていた私の中に現れた感情は"歓喜"だった。一方で、喜ぶことか?彼らは敵対勢力ではないのか?という、己の直感に対する疑問。

現時点で考えがまとまっていないのだけど。山姥切国広は、三日月を救うために歴史改変はしない。という確信は持てる。持っていいと思う。

直感的に「如水」の一味を救いの手と思った、この直感にはあまり自信がないが、捨てきれなくもある。

三日月を救うためなら敵の手を借りてもいいと思っているのは、見ている私ということなのだろうか。いやそれはない。

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