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記録写真を撮るということ

写真界隈の人々には、「ルールにばかりこだわって芸術を見失った界隈はいつか打倒される」と言って、飛行機や鉄道の記録写真に熱を燃やす人々をバカにするような発言をする人もいる。しかしその人々もまた、「芸術」という括りに縛られているに過ぎないのかもしれない。私はスナップ写真を始めるまで、趣味は鉄道一筋で13年ぐらいはやっていたと思う。そして今でもたまに鉄道撮影に行く。最近は風景を絡めるのも好きになったのでそういうのもやっているが、鉄道写真と言えば定番は「編成写真」である。編成写真は連なる列車の編成美をどれだけありのままにかっこよく見せるかという分野で、鉄道開業から150年もの間、数々の写真で研究されてきた分野であるのだが、その研究の結果、様々な構図のルールがあるのもまた事実だ。そして鉄道界隈を知らないものはその写真に色々と芸術という観点からケチをつけていくわけだ。もちろんその考えはご勝手にという訳だが、鉄道・航空機・自動車・船舶などの写真とは写真から派生した分野ではなくその被写体を好む人々の記録手段から派生したものであることを忘れてはいけない。

芸術を見るならロマンチックに客車列車のテールライト
なんてのもひとつの味だろう。

記録写真の礼儀って?

記録写真のルールはよく古典的で形式的過ぎると揶揄される訳だが、彼らはそもそも写真に芸術を求めているのかと言うと分からない。というか私はないと思っている。結局その存在をどこまで生かし残して行けるかだと思う。ってそんな偉そうなこと言ってどうするんだってとこだ。

よく分からなくなってきた。いったんおわり。
(考察思案07)

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