「人を見下し続けた男の末路」


 

<プロフィール>
氏名:鈴木
職業:公務員
年齢:31歳  
家族:妻と娘3人(4歳・2歳・1歳) 
出身地:東京都
趣味:キックボクシング 
 
 
はじめまして。
昔の私は、徹底的に人を見下す性格でした。 
性格はねじ曲がり、友達もできず、勉強もできず、彼女もできず、何も頑張らず、孤独に悩み、真黒な人生でした。
 
そんな私が、気付けば、常に人を尊重・尊敬し、人間関係に悩まなくなりました。
 
なぜそうなったのか、今の自分は過去のどの経験に影響を受けているのか。
改めて人生を振り返り書いていきます。
                      
 
人生の転機は5つあります。
 
全て5分以内に読み終えられますが、
興味のない方は是非、
「⑤  31年間での失恋物語3つと学んだこと」
だけでも、読んでいってください!!
 

①  高校生時代の親友Aとの出会い

小学校・中学校時代は本当に友達がおらず、自分のダメなところを気付づける機会がなかった。
高校生になりAと出会った。
Aは誰にでも均等に接し、人の顔色を伺うことは絶対にしないし、言いたいことは絶対に言う性格だった。
まず知り合ってそうそう
「お前ほんと無口だな」
「話してもつまんないな」
「その髪型変だからやめたほうがいいよ」
「歌下手だな」等、
悪口に近いことをたくさん言われた。
自分では、「無口じゃないし、話せば面白いし、髪型もワックスでツンツンにしてイケてるし、歌もめっちゃうまい」と思っていたので、本当にむかついた。
むかつきすぎて寝むれない日もあった。
ただ、性格が全く違ったことや、人目を気にしない・臆さない性格に惹かれ、共に行動することが多くなった。
結果、3年間共に行動をし、私の世間一般からかけ離れていた感性をだいぶ軌道修正できた。
友達も増えた。
ただ、心の中では、「自分はだいぶ成長した、周りの奴らが全員低レベルにみえる」と見下しており、根本的解決はしなかった。
レベル-100から0になっただけなのに勘違いをしていた。
 

②  新卒入社したゼネコン会社でパワハラ上司Aとの出会い

大卒まで基本考えは変わらなかった。
適当に受けた会社で内定をもらい、何も考えず就職した。
神奈川県をメインに橋梁工事・河川工事・護岸工事・道路工事を行う会社だった。
そこで2回目の転機が訪れた。
社会人2年目に配属された超絶パワハラ上司Aとの出会いだった。
プラス、出会った職人達のおかげで考え方が根本から変わった。

<仕事概要>
仕事内容:高速道路下に巨大調整池を作る工事の監督業務
完了まで:1年半
メンバー:上司Aと私 (時々応援で1人くる)
仕事時間:月曜~土曜日 6:00~0:00 泊り込み 日曜の朝に帰る
 
上司Aに初日から、「お前のその腐った根性たたき直してやる!!テメーの生きた23年を全否定してやる!!」と言われた。すごいこと言う人がいるなぁと感心した。そして本当に毎日胃が痛くなる日々が始まった。
 
基本やられたこと
・毎日朝6時から挨拶代わりの1時間の罵声。
・毎日現場終わり17時の夕礼で平均3時間詰められる
・夜22時から「俺達の昔のころはな~」と過去の話が始まる
・散々時間を取られて、「まだ終わってないのか!」と怒鳴られる。
・確認してもらう書類をその場でばらまかれる
・たくさん酒を飲まされた次の日、二日酔いでめっちゃ怒られる
・木棒でたたかれる
 •たまに応援にくる人がこの環境にびっくりしすぎて毎日励ましてくれるが、「コイツ「励ます価値はない!!」と一喝される。

下請けの職人にやられたこと
・昼休みのたびに呼び出され言いがかりに近い説教をされる(本物の輩で本気で怖かった)
 
半年で私の中の喜怒哀楽が消えた。何も考えないほうが楽だと思ったから。
ただそれでも心が持たなくなり、「楽に死ねないかな」と思うようになった。
ただ、親や友達のことを思うとそうはいかない、なんとかしなければと考えるようになった。
やっと自分が吹っ切れた。
 
悩みに悩んで、行き着いた答えは 「ゴミみたいなプライドは全て捨てる。この現場を生き抜くためだけのことをやる」。
 
具体的にやったことは2つ
(1)相手の良いところしかみない
(2) 自分が0.1%でも悪ければとことん反省し謝罪する
 
今までの自分では考えられない思考回路だった。
この思考が、自分がこの現場で生きていくうえで必要だと考えた。
 
・上司Aの場合
「怒ること自体本当に体力を消費すること。こんな自分毎日時間と体力をかけてくれるなんて本当にありがたい。息子でもない私にここまで構ってくれる。ここで自分を変えないと」と考え直した。
怒られるたびに、「申し訳ありません」から「ありがとうございます」に変わった。
 
・職人の場合
「この人も若いころ同じことやられてたんだろうな。それを耐えて今もいるわけだから忍耐の鬼だな。なかなか同じ経験できる人はいないし出会えたことに感謝しないと。」
と心の底から思うようにした。
 
人に感謝をすることを覚え、「この人はどんな生き方をしてきたのか」という、他人に興味を示す癖ができた。
 
全力で1年半やり抜き、感じたことは 「やっぱりこの仕事は向いていない!」
 
工事監督業務に求められる人物像に私はなれないと確信した。
それに全く楽しくなかった。
 
よし、転職しよう!
 
と公務員の採用試験を受け合格、無事転職できた。
 

③  公務員に転職し、出会った同期達との出会い

人を見下す癖がなくなったように見えたが、年下に対して見下す自分がいた。同期は100人いて、8割が新卒で年下。
「ゼネコンで3年鍛えた自分とは経験値が違う。仕事とは何か俺が教えてあげないと」と先輩面をしようとしていた。
入庁1週目にして、愕然とした。
コミュニケーション能力・スピーチ能力・深い思考能力、とても年下とも思えなかった。
小さいときから積み上げてきた人間達とこんなに差ができてしまうのかと痛感した。それに常にみんな堂々としており、自分に自信を持っている人しかいなかった。
その中でも特に優秀だと思う同期5人と仲良くなった。
働きながら国家資格合格、プロ並みのカメラマンで数々の賞受賞、幼いころからバトミントンが好きで大会に出ている等、人に語れる何かをみんな持っていた。
私は何をしていた?
公務員になって時間ができて、毎日昔の固定の友達とお酒を飲んでいただけ。
なるほど、人は年じゃない、何をやり遂げてきたかだ。
年関係なく人を尊敬しよう!と誓った。
 仕事では年関係なく敬語を使うようになった。
ここで初めて、私も人に語れる何かをやりたい!と模索する様になった。
 

④  26歳で結婚・出産・子育て

見下す自分はいなくなったように見えたが、まだいた。
妻に対してだった。
結婚当初の私の価値観は
「私が普通。私の親が普通。妻は嫁いできたのだから鈴木家のやり方に合わせるべきだ」。
その考えが根本にあり、妻との喧嘩は絶えなかった。
私はよく妻に「本当に亭主関白だね」と言われた。
私の父親も同じだった。
そんな姿をずっと見ていたのでそれが当たり前だと思っていた。
妻は夫の言うことを聞くものだと。
その価値観のずれが私を本当に苦しめた。
第一子出産後から喧嘩の数は桁違いに増えた。
妻は「もう本当に離婚したい」が口癖になった。
これはいよいよマズイと思った。
自分の価値観、喧嘩の理由等考えていることを全て1度書き出した。
悩みに悩んだ。
私が出した結論はゼネコン時代と同じで「一回プライドを捨てる。自分の固定概念を捨てる。自分が生きやすくなることだけを考える」。
 
具体的にやったことは3つ
(1)「人は変えることはできないが、自分を変えることはできる」を毎日口にだした。
→数百という喧嘩の果て、相手の考えを自分が変えることは不可能で、その考えは傲慢だと気付いた。ただただ自分が進化していけばいい。それだけ。
(2)「なんで自分ばかり」ではなく「手が空いているほうがやればいい」という思考チェンジ
→何も言わず手が空くたびに家事育児をしていたら、妻も何も言わずやるようになった。
「なんで俺(私)ばかり」という喧嘩がなくなった。1日がスムーズになった。
(3)妻の親族を大事にする
→絶対に妻親族の悪口を言わない。
妻の育ちに口をださない(「どんな育て方されたの?」等)。
イベントごとはすべて呼ぶ
 
現在、喧嘩は当時の99.9%減になった。
しかし、育った環境が全く違う二人が子供を育てることの難しさを今も痛感している。
これは子供が成人するまで付きまとう課題であり、臨機応変にこれからも対応する必要がある。
まだまだ、自分の固執している考えはたくさんあると思うが、その都度変えていきたい。
 

⑤  31年間での失恋物語3つと学んだこと

 
みなさんは人の失恋話好きですか?私は大好きです。
 
1つの嘘もない私の正直な心情もいれて、今でも思い出すだけで心が抉られる失恋話を3つ紹介します。
私の人格形成を一番変えたのは失恋経験かもしれない。
 
当時の基本ステータス
•童貞
•中高一貫の男子校出身
•6年間女の子と話した回数0
•もちろん携帯内のアドレスも0
•女という存在が目の前にいるだけで緊張し固まる
•ただ思考回路は「自分はモテる。ただ男子校だから彼女いない。機会がなかっただけ。」
 
(1)居酒屋アルバイト先での失恋
高校卒業後、親友Aと一緒に居酒屋でアルバイトを始めた。

バイト仲間は20代後半の夢見る男女達がメイン。

24時に閉まる居酒屋だったの、バイト終わりに何人かで朝まで飲むというのが風習だった。

みんなチャラく、陽キャすぎるため断っていたが、親友Aが行く様になり、私も連れていかれることに。

男子校時代は気にしなかったが、親友Aはめちゃくちゃイケメンで明らかに女ウケが良かった。

高校卒業時には恋愛経験0のコミュ障からお互いスタートだったのにあっという間に経験値が離されていた。

そんな中、我々と同い年の女の子が一人いた。
見た目は地味系だが目がクリクリしていてロリスレンダー、明らかに童貞好みの顔だった。

そんな彼女は高い割合でバイト後の飲み会に参加しており、そこから仲良くなった。

そこからバイト→朝まで飲み→大学→バイト→朝まで飲みのルーティーンを半年ほど続け、私は彼女のことが好きになっていた。

デート経験のない私はアプローチの仕方がわからなかった。

私の全力の勇気でできたことは、バイト先の隣ビルにあるゲーセンのUFOキャッチャーに、バイト終わり誘うことだった。

返事は


「全然いいよー」


それだけなのに本当に嬉しかった。5.6回一緒にゲーセンに行った。

私はそれでデートしている気分になり、勝手に好きな気持ちを爆発させ、人生で初めて告白することを決意。

バイト後呼び出した。

私の方が1時間早く上がったため、待っている時間、コンビニでストロングを2缶買い、飲み干した。泥酔した。

シラフを装い裏路地に誘い、

「俺、○○ちゃんのこと好きなんだよね」

と告白。

30秒間ほどの沈黙後の返答
 
「え、普通に無理」
 
私は大学バイトを1週間休んだ。

しばらくして知った情報で、その彼女は親友Aと付き合っていたのだ。

私が告白した時点で付き合っていたのかはわからないが、そのことで親友Aと大喧嘩、お互いバイトをやめ大学卒業するまで連絡を取ることはなかった。

社会人になってから仲は復活し、毎日一緒に飲み歩き、お互いの結婚式で代表スピーチをし合う仲まで復活。

しかし、現在もその子が話題に出ることは一回もない。

暗黙の了解でお互いなかったことにしている。
 
【感じたこと•反省】
やっぱ顔か…
親友と同じ人を好きになるとどっちにしても辛い
日々メール等で連絡もしてない、デートもしてないで告白するのはバカ
お酒を飲んで告白するのもバカ
 
(2)某ファーストフード店での失恋(1回目)
居酒屋をやめた私はケンタッキーでバイトを始めた。
バイト仲間の年齢層は居酒屋と違い若すぎる。
半分は高校生だった。
私は最年長の部類だったが女子勢力が強すぎていじられキャラになっていた。履歴書の写真が茶髪、前髪で片目を隠していたのであだ名は「鬼太郎」。屈辱以外なんでもなかった。
(こんなはずじゃ。。。ここで彼女作るつもりだったのに。。)と後悔していた。次のバイト先早く見つけないとな…と考えていた。
その中で1人のギャル系女子高生に絡まれた。毎日頻繁にメールが来て、遊びにいきたいなどよく言われた。
失恋したばかりで卑屈になっていたのでふざけてディズニーランドに誘った。
返事は
 
「いきたい!」
 
私は
 
まじ??

と電車の中で舞い上がった。
予定があわず、日程は2ヶ月先になった。
しかし、前回の経験を活かし、毎日メールをしていた。
よくメールも返してくれ子だった。
バイト中もよく休憩中に話をし、気づけば好きになっていた
その時は突然きた。
ディズニー予定日1週間前に突然のメール

「ねーねー!前から気になってた人と付き合うことになった!本当にうれしい!」
 
全力で    

は??     


となった。
悲しいやら恥ずかしいやら悔しいやら色んな感情が出て大学を1週間休んだ。
彼女は気にせずディズニー行く気だったみたいだが、ピュア童貞は気持ちが追いつかず、その子とのメールはそれで終了。
当日はお互い連絡を取らず、完璧になかったことになった。
 
【感じたこと】
女子高生に弄ばれると本当に悲しい
メールを毎日していても気があるわけじゃない
勝手に舞い上がると自分が傷つくだけ
自分を好きと言ってくれる人はいない
ただ、こんな私と遊んでくれようとした女の子もいるのかと希望が見えた
 
(3)某ファーストフード店での大失恋(2回目)
その女子高生とは普通にグループ内で遊ぶ様になるくらいまで何事もなかったようになった頃。
バイト中、狭い休憩室で休憩していたら、急に1人の女の子が大号泣しながら部屋に入ってきた。

え??こんな子いたっけ?

新人で、どうやらクレーマー客にボロクソ言われたらしい。
さすがに何も言わないわけにもいかず、「どうしたの?話聞くよ?」と下心全開で食事に誘った。
すんなりOKをもらった。
食事中、ディズニーシーに誘った。
すんなりOKをもらった。
実は先ほどの女子高生の時、彼氏がいようが関係なく経験として行くべきだったと本当に後悔していた。
この子も一年前までJKだし誤差の範囲内!後悔を晴らす!そんな意気込みで当日が来た。
 
年下なのに何故かチケット代を払ってくれた。
女性に慣れていない私でも話題が途切れることがなく、時々腕も組まれた。
本当に人生で1番楽しい時間だった。
ピュアな私はもうとっくに好きになっていた。
漫画「君に届け」の爽子に似ていて顔もタイプだった。
そこから月1回デートするようになり、水族館•遊園地•映画•お台場等たくさん遊んだ。
しかし、私は告白できずにいた。その子に彼氏がいたから。
しかも同じバイト先で私が可愛がっていた後輩だった。
私と知り合う前から付き合っていたし、私もそれは最初から知っていた。
そして、その彼氏は、私と彼女が隠れて遊んでいることも知っており、店長によく相談していたらしい。
知らないうちに、泥沼化していた。
周りはどうなるのか楽しんでいた様にもみえた。
そして、私は好きな気持ちが募る一方、彼女はもうディズニーほどのテンションを見せることはなかった。

もう後には引けない!!

と思い、知り合って7.8回目のデート後に告白した。ちゃんとシラフで。
1週間時間が欲しいと言われ、1週間後呼び出され、きっちり振られた。
しかもその振られている最中の現場を、バイト内で1番チャラくて口の軽い男に目撃された。
もう全て終わったと思った。
大学を1ヶ月休んだ。ひたすら寝込んだ。
シフトを出す時は、その子の予定をこっそり見て被らないように調整した。
たくさんいじられた同い歳の女子達に「鈴木は彼女いないんだから悪くない!彼氏がいるのに遊びに行く方がどうにかしてる!」と何故か励まされ、虚しくなった。
 
【反省】
「○○されたら脈アリ!!」と書いてあるサイトは全部嘘!
全部ケースバイケース。
私が見たサイトは「ディズニー行ったら99%脈アリ」。
告白というのはもうそもそも付き合っている状態に近く、ただの確認作業なようなもの。告白で一発逆転なんてあるわけない。「告白の仕方で付き合える確率が変わる」というのも全部嘘。
デート中以外のコミュニケーションそこを大事。バイト中とか日々の連絡とか。私は完全に疎かにしていた。
モテるやつは彼氏彼女がいようとモテる。途切れない人がいるのはそういうこと。

 
(4)失恋まとめ
彼女がいない自分が、順番で選ばれる日が来るだろうと本気で思っていた。ありのままの自分を好きになってくれる人が突然目の前に現れると。自分が本当にモテないことを早い段階で知れて心の底から良かった。

 

⑥    まとめ

小さいころから「この地球上の主人公は私だ」と本気で思っていた。
そうではなく、一人一人が主人公であり、だからこそ尊重しあわなくてはいけない。
5つの経験から、心の底から人に興味を持ち、感謝を伝え続けた結果、人間関係に悩むことはなくなった。結婚できた。子供も3人産まれた。
31歳にして、ようやくすべての歯車が上手く回り始めた。
これからは過去のコンプレックスとしっかり向き合い、解消し、自分の本音に忠実に生きていく。


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