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重症脳梗塞からの回復記5ー私を支えた恩師の言葉

「何が幸いするかわからない」

今日は夫の病気とは少し違うことから書いてみます。
若い時、就職試験を二つ受けました。最初の試験に落ちた時、大学の構内を歩いていたら、後ろから車がすーっと近づいてきて、私のそばに止まりました。同じ学科の先生でした。

「ダメだったんだってね?」
「はい。力足りなくて」

「そうか、残念だったね」
「はい………」

「いいか、何が幸いするか分からないから。何が幸いするか、わからないんだからね」

この言葉を思い出すと、今もその時の先生の顔と、夏の夕暮れの空気感が蘇ってくる気がします。気落ちしている私の心中を慮って、わざわざ車を寄せて止めて声をかけてくださった、その優しさが心の中に広がりました。まさに、#やさしさを感じた言葉、そのものでした。

言葉を次の世代に伝える


それから私は、無事に2つ目の就職試験に受かって、高校教師として働き始めました。義務教育から次のステップへと進む大事な時間を共に過ごした私の生徒たち。それぞれのかけがえのない人生において、高校時代はいろんなことが起こります。受験に失敗した、失恋した、etc. 若い教師に若い生徒たちはいろんなことを語り、相談してくれました。

特に人生の進路に悩む若い世代にとっては、受験一つとっても、とても重要なことに思うのは無理もないことです。第一志望の大学に入れなかった生徒がきた時、あるいは、就職したけど辞めたいと思って卒業生が相談に来てくれた時、思い悩む生徒に向かって、私は、自然に「何が幸いするか分からないよ」と語りかけるようになりました。否定でも肯定でもないこの言葉は、不思議なことに、ふっと生徒の涙を収める一瞬を生み出してくれました。あの夏の夕暮れ時に私を呼び止めて声をかけてくれた先生の言葉は、いつしか私の体の一部に入りこんでいたのかもしれません。

再び言葉に救われる


それから十数年が経過して、夫が大病になった時、いろんな局面で私はまたこの言葉を思い出すようになりました。辛い時、行き詰まったと感じた時、ふっと出てくるのがこの「何が幸いするか分からない」です。今はこれだけ大変だけど、何が幸いするかわかんないんだから、と何度自分に言い聞かせたかわかりません。

還暦も過ぎた今、大なり小なりの山も谷もあるけど、人生はそう捨てたもんじゃないなと思うようになりました。家族が重度の脳梗塞になり、体の自由は奪われたけど、その分、できること、動けること、そして支えてくれる周りの方々への感謝も、心から感じるようになりました。案外、人生の危機だと思ったことって、次への展開のチャンスじゃないか、とさえ思います。

こう思えるようになった自分の人生を支えてくれた大切な言葉の一つが、「何が幸いするか分からない」でした。
あの時声をかけてくださった先生に、今でも感謝しています。
先生、ありがとうございました。
そしてご冥福を心からお祈り申し上げます。



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