『空ヲ喰ラウ』劇団桟敷童子

観てきました。

桟敷童子はやるってだけで観に行ってしまうから、いつも事前にどんな劇なのか調べずに行っている。
ところで私は一年ちょっと前まで高知にいた。高知は県の8割くらいが山だ。江戸時代に大阪あたりにガンガン木材を運んだけれど、いまだに山である。
移住界隈では、林業に注目も集まっていた。

空師、森林伐採師の話だった。
怪我だけはしないように、そんな言葉を近くで聞いていた。

春一にピンでスポットライトが当たった冒頭、桟敷童子ははみ出しものの物語ばかりだから、何度も足を運んでしまうのだと気づいた。
だから今回の話の終わりは、そうじゃなきゃダメだったのかと思ってしまう。

空師の組が二つあるところに、お町の方から空師になりたいよそ者が来る。
さらにどうやら森に、何者か=プレデターが入り込んでいる。

パンフレットに、桟敷童子が来年25周年だと書いてある。
物語も、劇団自体も、次の世代を意識した舞台だった。

二つある組の棟梁が原口健太郎なら、「悪役」かと思いきや、稲葉能敬がすごく嫌なヤツを演じていた。原口の力のある「敵方」ではなく、人間が落ちて行ったら誰でも辿り着いてしまう「地獄に引きずり込みに来る」悪。
春一(吉田知生)は、大きな背丈とは裏腹に自信がなく流されやすい。流されて逃げて逃げて、山に忍び込んでいた。稲葉演じる成清が、春一を引きずり込む。杖代わりの金属バッドの視覚効果と、カーンカーンと鳴る聴覚効果のいやらしさがよろしかった。

2007年の軍鶏307から観てきた中で、もりちえが寡黙な役というのはなかったように思う。色の濃い悪役や酒飲んで明るい方の役の印象が強く、ここに来て新しいもりちえが見られたことは、今回の見どころの一つだ。

さて、ではその明るくなる役はいなかったのかと言うとそんなこともなく、古橋妙子役の客演井上カオリが演じていた。個人的に今回一番。

そういえば今回の舞台は現代といっていいだろう。スマホ持っていたし。
桟敷童子で終戦後や炭鉱、あるいはまったくのおとぎ話の舞台の時、社会の主役は男であることがどうしても多かった。(舞台の主役ではなく)
現代が舞台になったとき、女たちは職人にもなるし、組ごと面倒を見る事務方にもなるし、駆け込み寺のような場所をこしらえる人にもなる。
職人か、職人を引退したか、職人を辞めざるを得なくなって落ちて行ったか、男たちより女たちは自由だった。

歩生役板垣桃子は変わらずいい芝居だった。
歩生をひっかき回せるほどの明るさがある妙子と掛け合う姿が、いつもより遠い役ではなかった。頑なな部分もあるけれど、孤立はしていない。そのさじ加減が、春一を育てる、へと繋がっていった。

あのくらいの舞台転換は、久しぶりだったように思う。

春一の生きにくさが、空死に、に繋がってしまうことは、何なら冒頭から予感はあった。
でもさ、春一には生きていて欲しかったよ。
生きろ、って、いつもの言葉が聞きたかったよ。

次回は6月。
劇団桟敷童子WEB (sajikidouji.com)

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