あの夏、この夏。

 花火大会が開催する。
 もう15年前のこと、稽古を早めに切り上げてもらって、みんなで座る場所もないまま河原を歩きながら花火を見た日を思い出す。

 自棄になっていた十代後半から二十代半ばの頃、何かをしないといけない、何かを演劇にしていた。何のビジョンもなかった。売れたいとか、いつまでにどうなりたいとか。ただ自分がまともに就職できるわけがない、とあの頃は本気で思い込んでいたし、今では確かにそうだなと思う節がある。
 だけれど学生じゃないから、学業に該当する何かを、しないといけない。そう、ただそう思い込んでいて、その先が演劇だった。

 あの夏の話です。

 最初の頃は別々の稽古が多くて、これでもかってくらい同じシーンを繰り返していました。
 背を向けた人に、少し離れたところから呼びかけるシーンがありました。
 私は頭でっかちで、どうやって呼んだらいいか、これでいいのか、準備ができているのか、身勝手な都合で、全然声が出ませんでした。稽古場でそんなことをしたら、注意されるものでした。相手の準備がもうできているのだから、応えなさい。
 だけどあの夏の稽古場は、私を待ってくれました。

 時間が経てば経つほど、どうしてだろうと思う。どうして待ってくれたのだろう。

 相手役のベテラン俳優に甘えすぎて、自分が何も見えていないだけなのに酷いことを言って、本当にもう、どうしようもない子供でした。
 親世代ほど年の離れている座長と主演俳優に、そんな面倒まで見てもらって過ごした夏でした。

 そういうことがあったから、とりあえず信じる、ということができるようになりました。私が変な方向に突っ走ろうとしたり、間違ったことをしたら、きっと誰かが止めてくれる。それまでは、黙々と進み続けようと。
 そうすると困ったことにダメ出しが減っていって、本当に大丈夫かなと不安にもなるものです。演出はよく見ているから、「そのまま続けて」と声を掛けてくれました。

 そういう夏を、23歳に過ごしました。

 本番一か月前は、朝・昼・夜一日三回の通し稽古をして、くたくたになって。くたくたの帰り道に自転車に乗った酔っ払いのおっさんに絡まれたり、それを松葉杖をついた好青年に助けられたり、ドリカムの「TREU,BABY TREU」をリピートして聞いていたり、稽古場兼自宅だったから、お昼ご飯を作ってもらったり、稽古終わりは稽古場で飲み会したり、夜の通し稽古の前に花火があることを座長に言ったり。

 ぎゅうぎゅうの電車に乗って、花火を見に行きました。

 あの稽古場では、具体的な身体の動かし方を言われて、それが体に馴染むまで繰り返し繰り返し同じシーンを演じました。音が鳴るからそれに反応するんだ、人が出てきたら驚くんだ、山なりじゃなくて真っ直ぐ声を届けて。

 座長はその後、若くして亡くなってしまって、もうあの演出は聞けない。

 ゴールは山の上にあって、それぞれ違うルートを通ってそこを目指している。だからそれぞれが違う指示を受けて不安に思うかもしれないけど、ちゃんと辿り着くから。

 それが座長の演出で、そういうことを伝えてくれる人だった。

 なぜあのライトが黄色いか分かるかい?

 座長も長く付き合っている、座長よりベテランの照明のおじいちゃんがお酒の飲みながら言った。誰も分からなかった。
 なぜ死んでしまったのか、台本に描かれていないシーンを組み立てて、黄色いライトにしたのだと聞いた。

 どうしようもなく子供だったあの夏、たくさんのプロフェッショナルと仕事をしていたのだと、十五年も経って気づく夏でした。


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