【(r)adius】の目

【(r)adius ラディウス】

radius――半径、その頭文字が()で囲まれている。
主人公リアムが半径15m以内の動物を死に絶やしてしまう範囲を表しているようだ。

車の事故から目が覚めたリアムは、近づいてきた車に助けを求める。減速しながら近づいて来た車が、ゆっくりと路肩に突っ込んで行った。何が起きたかと運転席を覗くと、運転手が息絶えていた。通報するも、自分の名前が思い出せなかった。運転免許証で自分の名前を知った。
歩いて辿り着いた飲食店では、店員も客もテーブルや床に顔を突っ伏し倒れていた。丁度通りかかった車がまたもや追突し、やはり運転手が死んでいた。
リアムは袖を千切って顔を覆い、家に向かう。

この辺りまで、リアムはほとんど台詞がない。散りばめられたアイテムでわたしたちはリアムと一緒に少しずつ状況を理解していく。

家に着いたリアムは、大量の死者が既にニュースになっているのを知る。
家の近くで農作業をしていた男に、「家へ帰れ」と窓越しに注意を促すが、やはり男は死んでしまった。

翌朝のラジオが流れる中、リアムが現状分かっていることをノートに書いていくシーンは、日常わたしが行っている動作にも関わらず、情報が多い状況をさらに観ることになる。強気なシーン。

家の外のうるさいカラスに少しずつ近づいて行ったら、ある距離でカラスが死んだ。そこでリアムは口に当てていたハンカチを口から外す。
訪問者が現れた。ジェーン、と呼ばれているやはり記憶を失った女。リアムと一緒に事故に合ったから、リアムを訪ねれば自分が何者か分かるかもしれない、と突撃してきた。
何故か、ジェーンが近くにいれば犬が死ぬことはなかった。

ジェーンは切羽詰まっているという背景もあるけれど、それにしても男の家を訪ねて家の中をゆっくりじっくりあちこち漁り、PCのパスワードを聞き出そうとするなど、演出に分かり得ない不気味さを感じた。
瓶の蓋を開けて匂いを嗅ぐシーンは、匂いの記憶を求めていたのだろうか。

リアムとジェーンは車に乗って、断片的に思い出す記憶を追っていく。

15ⅿと説明されているけれど、実際作中で15ⅿという具体的な数字は出て来ない。ジェーンと離れられる距離も15ⅿなのかが、微妙に遠い距離で推測が難しい。15ⅿは50フィートだそうだ。
最初にリアムとジェーンが倒れていた場所は唯一植物が炭化したかのように黒く広がっている。動物には即効性があるけれど、植物には時間が掛かるのだろうか。それが白濁した死者の目と関係があるのか。
物語は何故そんな状態になってしまったか、よりも、自分たちは何者なのかという部分に焦点が当たっている。
だから思いも寄らぬ方向に舵を切っていく。


というわけで、ここからは更に映画のことを語っていってしまう。


わたしのお気に入りは、サムのあるシーンだ。

サムというのは、ジェーン、本名ローズの夫で、ジェーンは一年前に行方不明になっていた双子の姉リリーを探して家出をしている最中だと言った。
離れるわけにいかないという制約の元、親密になっていくジェーンとリアムに、サムは大変不快な思いをしている。だから警察に通報したりした。
そんな中で、サムはローズのことをノートに書き留めていた。「私はピザが嫌いだったの? そんな人いる?」「食感が モチモチだから 君が言っていた」いつかの会話をなぞるようなやり取りに、サムはただローズを思う顔をする。

作品の中で、唯一日常が紛れ込んだシーンだ。
日常に帰ったかのようなやり取りで、サム(ブレット・ドナヒュー)がいい芝居をしているのである。

再び大量に死んでしまった警察や近くの人。
リアムは自分の隠れ家にローズと向かう。
今度はリアムの大事なノートを暖炉から見つけるジェーン。
行方不明者の貼り紙と、どうやって彼女たちと出会い殺したかを書き留めたものだった。
殺したくないと嘆いていたリアムは、シリアルキラーだった。

バディーになっていた後、殺人者と次の犠牲者という関係がその前に築かれていたことに、ただ純粋にリアムを憎むことも出来なくなって、ローズは怒りの向け所を失う。

記憶を失うきっかけになった事故は、リアムがローズを殺害しようとして車の中でもみ合った時に起こった。
双子の姉を殺害し、自分を次のターゲットにしようとしていたことを知ってなお、数日間共にいた記憶がリアムを極悪非道な人間と憎しみに駆られ猟銃を手にしてなお引き金を引くことはできない。
ここがシリアルキラーリアムと、殺人者になれない者の分かれ目だ。
それはシリアルキラーではないリアムを、引き裂くことになる。好んで殺害していた以前と望んでいないのに殺してしまう能力を手に入れた今。

リアムが15ⅿ以内で殺した生物はみな、白濁した目が特徴だった。
物語の最後は、濁らないリアムの目で終わる。

リアムに救われる道は残されていなかった。
リアムが元々シリアルキラーでなければ。
ただ何となく、リアムはジェーンを人殺しにはしたくなかったのじゃないかと思った。自分を殺害することで、ジェーンは人殺しになってしまう。

脚本がしっかりした作品なのだろう。
台詞ではなくト書きで説明がなされていて、役者がそれを身体化している。
別にピザの話が重要なわけじゃないんだ。
重要じゃない話を掛け合うことで、重要な関係が浮かび上がる。それは本人たちよりも、他者が目にする関係。
動画が大量に作られる時代に、喋る、以外の全ての表現を体現する役者と、役者を活かす脚本が練られた作品だ。


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