OJはどうしてGジャンが怖くないのだろう――『NOPE』

 二回目の視聴を200㌔先のIMAXで済ませてきたため、ここから先は全てネタバレです。ご注意ください。


 SFのような顔をして、生物パニック映画。
 初見ではエンジェルと一緒に恐怖体験をしていて、エンジェルと一緒に「この撮影に何か意味があるのか 地球を守るみたいな(うろ覚え)」という疑問を持ったままだった。
 特にOJが、何を考えているのか思っているのか分からなくて、これはどういう物語だろうかと最後まで戸惑っていた。何か見えていないものがある。
 あと、あの物語の終わり方にしては、エンディングが何で怖い感じで終わるのかさらなる疑問を抱えて、もう一度観に行かないととすぐに思った。
 
 家に帰ってからあれやこれやの批評や感想が入って来て、ハリウッドから消されてきた黒人、見る見られるという差別、視線の物語という見方を知った。
 
 生半可な知識でその構造について語れないし理解も追いつかない。
 できればその角度からの視線に捕らわれずに映画を観たい。
 妙な緊張感で挑んだ二回目は、物語の進行が分かっている分エンジェルよりも冷静に映画を追えた。そしてそれは、OJの視線と重なった。
 
 OJは、驚くことはあっても、たった一度子供たちのいたずらに「俺は降りる」と言ったすぐ後も携帯のカメラをそれに向けて、逃げようとしなかった。世話もあるし。
 生物として生物の視界の下に入った時、捕食されるかもしれないという恐怖は確かに感じていた。けれどそれはGジャンの明確な行為に対して抵抗する術がないという歴然とした力の差があったから。Gジャンの傘の下にいない時、OJは必要以上の恐れを抱かなかった。
 OJはずっと、何が起きているか見てきた。Gジャンが生き物であること、Gジャンが苦手なもの、Gジャンの捕食から逃れる方法、それは全てOJがGジャンを見ていたから分かったこと。
 
 分からないから怖い、という形で差別が発動することがある。
 悪意とは呼べないけれど、恐怖となって、目を逸らし存在を視界から消してしまう。
 エムが幼い頃、父親に全然相手にされなかった、だけどOJに視線を送ってもらった短い回想シーンがある。あれはOJがエムという存在を見ているという合図。
 OJは決してGジャンを倒そうとは言わなかった。それは本来この物語の目的ではない。誰もがそんな存在を認めないであろうGジャンを撮影することで存在を示すことが目的だった。ここにいると。
 OJはずっと、存在するものとしてGジャンを見続けていた。
 
 Gジャンの撮影は大きく四回に分けられる。
・監視カメラ(あのカマキリが一般的なカマキリか疑問に思う)
・ホルストのIMAXカメラ(収まっていたかもしれないのにホルスト毎食べられちゃった)
・視界が悪そうな銀色メットのYOUTUBERが持っていそうなカメラ(Gジャンに向ける前に吹っ飛んでしまったけれど)
・ジュープのところの記念撮影用のカメラ
 
 Gジャンが破裂した後すぐ、現地中継が始まった。信じられない光景を見た、というアナウンスだったから、撮影はおそらく間に合っていないだろう。(その場合、ご覧になりましたかこの信じられない光景を、という語り掛けになるだろう)
 
 本当ならこの物語はホルストの撮影が成功したところで完結していた。
 けれどGジャンを実際に見る前の撮影は失敗している。Gジャンという存在をその目で確認する前だったから。(これは最初のラッキーの撮影失敗と同じパターン。ラッキーやGジャンの都合を存在しないこととしている。ホルストは腕のいいカメラマンか?)
 その後はもう、Gジャンの捕食から逃げるのみだった。
 エムはジュープくん人形(と勝手に呼ぶ)でGジャンに深いダメージを与えようとしたわけではない。結果として撮影のためのエサにした。Gジャンが存在している証として。
 そして破裂したGジャンは写真に残されなければいけなかった。Gジャンに捕食された存在の証明としても。
 
 最後に、エムが霧掛かったゲートの向こうにOJとラッキーを見た。
 エムは、一度目を向けた後、二、三秒ゆっくりと目を閉じた。カメラのシャッターが閉じたように。その先にOJがいた。
 見たいものがその先にあったのなら、あんなにゆっくり目を閉じれないのじゃないかと思ってしまった。
 あるいは最後の姿を焼き付けるように。


 エンディングはやっぱりちょっと暗い気持ちになって、まだこの物語は終わっていないんじゃないだろうかと思っていたら、語られていない存在があるとのことでまだまだNOPEから目が離せないのである。

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