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これが普通なら普通はちょっと、微妙だ

こんにちは。Natsuです。早いもので、「典型的な躁鬱病です」と診断されてから1ヶ月が経ちました。皆様におかれましてはご健勝のこととお喜び申し上げます。

診断されてすぐの動揺っぷりはこちらをご参照ください。

未だに、自分が病気だという意識はあまりなく、本当に一生薬飲み続けなくちゃいけないのかな…どこも痛くないのに…という思いもあります。しかし、「病識がない(自分が病気だという自覚がない)」というのは双極性障害の躁状態の患者の特徴らしいので、それをプロから言われちゃうともうこっちは何も言えず、少なくとも数年はおとなしく服薬するしかない訳です……。

言い始めたらキリがないんですけど、この「自分のことを病気と思っていないのが特徴」って、実際に病気でないただの元気な人も病気にすることができるすごい条件(善悪はさておき)のようにも思えます。

わたしの場合は一応既往があるので揺るぎない診断なのかもしれませんけど、それでもそもそも飲んでいた薬の量は本当に少ない量でした。現在の主治医からも「エビリファイ(ずっと飲んでいた薬)この量(1.5mg/日)って小学生が飲むくらいの量ですよ。成人に対してこの量で、正直何に効いてるかわからないですが、むやみに減薬して何かあっても困るので、とりあえず飲み続けてください。今後様子を見てエビリファイはなくしてもいいと思います。」と言われています。

自分が処方されている薬の量が、飲んでも飲まなくても変わらないかもしれないくらいの量であったことは勿論知っていました。それでも、院生時代お世話になっていたトルーマン先生は、わたしの心身の辛さに双極性障害という名前と、処方薬という目に見える救済の方法を授けてくれて、定期的に話も聞いて見守ってくれていました。本当に病気かどうかわからないものの、それが何よりの治療なのだろうと、言葉にしないまでもお互いにわかっていたと思いますし、成人に対してトルーマン先生が(トルーマン先生はわたしが医大の院生であることも知っていました)微量の薬しか処方していなかったのは、その表れでもあるんだろうと解釈していました。(単純に治療方針が今の先生と違うだけだったら、すみません。笑)

だから、辛い思い出のある場所から離れて、新しい場所で自分らしく楽しく生活し始めてから、もう「薬」も「病院」もいらないと思って、やめても大丈夫そうならやめてもいいや、と薬を飲むのをやめていたというのが真相です。書いていて顔が赤くなるくらいのリアルガチ真相です。わたしが、自分は病気ではないと思う・セカンドオピニオンが欲しい、と言っているのは、そうであってほしいという社会的不都合を排除したい願望だけでなく、こういう理由があります。

仕事を休み始める少し前、わたしはこれまでの人生で最高潮に悩んでいたし、怒っていたし、寝られなかったし、働いていました。躁状態ですねと言ってしまえばそれまでです。そうなのかもしれません。(躁だけに!)

わたしは怒りの感情に近づくのが大嫌いで、自分が怒られるだけでなく、他人が怒られているのも見たくないし、自分が何かに怒るなんてもってのほか、ちょっと口が過ぎることはあるものの、基本的には温厚で穏やかな性格だと自分では思っています。なので、当時自分が大きな怒りの感情を抱いていること自体が、すごく嫌でした。

自分が本当に、己の信念にそぐわないことに対して怒っていたのも、「このまま無理していたら身がもたないなあ」とわかっていながら、眠れなくても働いていたのも、疲れても毎日最後までオフィスに残っていたのも、全部全部自分の努力だと思って積み重ねていたのを、「そういう病気の人だから」で片づけられてしまうことの、その後何を言っても「そういう病気の人だから」と(無意識であっても)フィルター越しにしか話せなくなる(と自分で思ってしまう)ことの悔しさを、忘れることができませんし、二度と味わいたくありません。

表向きは薬を飲むのが嫌だとか、面倒だとか、医療費がかかるだとか言っていますが、「自分は病気じゃない」と言いたい・認めてほしい一番の理由は、わたしがしてきた「努力」を「症状」にしないでほしいという強い願望があるからです。その願望が強いのは、これからも努力をしてなりたい自分になりたいからです。

これからする努力や頑張りまで、「症状」に落とし込まれたくないからです。

などと書いていると、有識者から「あらあらいかにもな躁状態の方が何かいかにもなことをおっしゃっているわ」「そうやって治療や服薬をやめてまた問題を起こして病院へいらっしゃるのよね」と思われるのであろうことはわかっています。そして、今飲んでいる3種類の薬(エビリファイ、バルプロ酸ナトリウム、ラモトリギン←New!)を断薬するのも心身にとってリスキーなこともわかっています(前に飲んでいたのはマイルドな効果のものを少量でしたが、今はそんなことないので…)。どんなに不満があろうと、認めたくなかろうと、いい年した大人ですし、医師の指示に従って治療はちゃんと受けます。

わたしは「一度医師の言うことを聞かずに独断で服薬治療を中止させた結果病状を悪化させた」典型的なダメ患者としての前科がありますので、今回は、どんなに不服でも自分の感覚よりもプロの判断と統計学を信じて従順に指示に従い、不明点があれば自分で判断せず必ず確認し、優秀な患者になると決めています。

実際、毎日日誌をつけるように、22時に寝て6時に起きるように、毎日1時間以上散歩をするように、何か異変があれば自己判断しないように、などの医師の指示にもしっかり従っています。受診の際には、前回の受診から今日までの生活のサマリーと、今日話したいことを事前にふせんに書いて持っていき、そのアジェンダをもとに話し、家に帰る前に近くのカフェで医師に言われたことを手帳に記録する徹底っぷりです。

標準治療をした上で、医師の言うことを素直に聞いて行動する優秀な患者として、自分の要望(「セカンドオピニオンが欲しい」「減薬したい」「転院したい」など)を聞いてもらいたいのです。

わたしの感覚がひたすらに間違っていて本当に死ぬまで服薬が必要な患者だったとしても、モチベーションが何であれ医師の指示に従っていて悪いことは何もありません。ただの優秀な患者になるだけです。

そんな訳で優秀患者生活を送っていますが、ある日体調に異変がありました。その日はものすごく眠かったし色んな事にやる気がなくてほぼ1日布団にいました。

それをわたしは、鬱期に入ったのではないか、と考え、病院に電話し指示を仰ぎました。そして翌日以降も注意して自分を観察していますが、意外にも特にどうということはありませんでした。今も、元気です。

いつも通り眠いながら起きて、朝からぼんやり頭が痛くて、手帳を書いて、トーストを食べて、部屋を掃除して、本を読んで、散歩をして、お茶を飲んで、のんびりして、だらだらして、Twitter見て、Instagram見て……。

具合悪いなあと寝ていた日(11月7日)が、いったい何のきっかけとなる日だったのかわかりませんが(ただ疲れていただけのようにも思える)、その日を境に今日まで、「何かを作りたい」という気持ちは前ほど湧いてきません。指標として、6日までわたしは裁縫に明け暮れていたのですが、それを全然する気にならないのです。なんか面倒臭くて。だからといって他の家事がおろそかになるわけではなく、各種タスクは普通にこなせています。バババババッと脳内がアイディアに埋め尽くされることもなくなって、長い時間本を読めます。(本当に何も作りたくないのかい?と己に問いかけると、パプリカの飾り切りピクルス製作なんかは普通にやりたい気がする…けれどそれは創作でなく作業だしなあ。)

noteは相変わらず長文ですが、わたしは鬱々としている時も鬱々日記をズラズラ書いていたので、あまり指標になりません…。

だから、今はきっと鬱になったのではなくて色々落ち着いているのだなーと思っています。これが、薬の作用によるものなのか、時間の経過によるものなのか、その他の要因によるものなのか、気候の変化によるものなのか、人間の生活はパラメータが多すぎて全然わかりません。診断されて薬を飲み始めてもまだ1ヶ月しか経っていませんし。

主治医のお言葉を思い返すと、きっと今の状態が、目指すべき「普通」の状態なのでしょう。この状態が普通(フラット)であり、この状態を長年キープすればそれはもう寛解なのかもしれません。

今この状態のわたしは、「本も読めるし色々できるし、人とも話せるし、この状態が続くんだったら何も困らないしそれでいんじゃね?」と持ち前の穏やかさでこの状況を肯定しています。

これがずっと続いたら、ただ穏やかなわたしがずっといる、それだけなのですが、まだ先週までの記憶が残っている頭では、今の状態を「ちょっと、微妙だ」と思わずにはいられないのでした。

まあそのうち、気にならなくなるのかもしれませんけど。そしてこのnull point を経て、本当に長いトンネルに入るのかもしれませんけどね。

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