自分は正常だ!とメンクリに乗り込んでったらただの躁鬱だった話

こんにちは。Natsuです。ここのところ、色々ありまして、本当に色々ありまして、働いていた会社を長期でお休み中です。仕事の詳しい話はもちろん書けないのですけど、本当に色々ありまして(もう、色々としか言えない…)、「こんな働き方してたら体壊すだろうなあ」と思いながら無茶を続けていたら、本当に病院送りになりました


しかも、精神科


ヒェ…ってなりますよね。ヒェ…ってなりました。

産業医から受診を勧められて行ったわけですけど、本人としてはかなり不服で(産業医とも色々あった)、直前に心配して電話をかけてくれた友達に「めちゃめちゃ元気だよ!たぶんメンクリ行っても、『元気ですね』って言われるだけだわ!」と豪語していたほどでした。

それで、実際に診察を受け、医師に対して仕事についてや、なぜわたしが自分自身を健康だと判断するのか、結構必死に説明しました。必死だったのは、担当医師の反応が全然なくて心配だったからです。

わたしの話が終わると、医師は間髪入れずに

「典型的な双極性障害ですね」

と言いました。

きっと、わたしのしていた話は本当によくある患者の態度で、医師はそんなもの見飽きていたので、大したリアクションもなかったのだろうと思います。(いや、ありふれた患者であっても初診くらいは傾聴の姿勢とって欲しいですけどね…)

その後、仕事について、自殺の防止について、今後の治療方針などについて説明を受けました。

特に仕事の話は結構考えさせられる内容でした。

医師の話では、双極性障害(躁鬱病)の患者は、研究分野やデザイン、アートの分野で活躍している方が多いのだそうです。因果関係は分かりませんが、そういったクリエイティブな才能を持っている方が多いとのこと。わたし自身、研究もアートも、プレイヤーとして興味を持っています(アマチュア前提です)。今している仕事も、ジャンルとしてはなんとも表現しづらいものの、不定型でクリエイティブなものを扱っていて、そこに面白さを見出していたので、医師から「クリエイティブな仕事に就くと能力を発揮して大きな結果を残せる可能性が高いです」と聞いた時は一瞬ぬか喜びしました。

医師はこう続けました。「ただ、そういう仕事に就くと、病状はどんどん悪化し、最終的に自殺する方がとても多いです。価値観は人それぞれですので、そういった仕事に就くなとは言いませんが、今後お仕事を選ぶ際の参考になさってください」。

ええええ……。マジすか………。

自殺という行動の善悪はさておき、病状が悪化して自分が苦しむのもまわりを苦しめるのも嫌です。でも、やっぱり根本的な欲求としてなんらかの創作には打ち込んでいたいので、これはなかなかに難しい課題を突きつけられてしまいました。

自殺防止については、わたしは別に希死念慮ないですのでひとまず読者の皆様ご安心ください。「面積を持たない点になりたい」は思うんですけど、死にたいは思ったことないです(逆に安心できない注釈をつけるメンヘラの図)。

治療方針については、服薬と定期的な通院をすることになりました。


基本的に、「治療するべき疾患かどうか」の基準は、それのせいで困っている解決したい課題があるかどうか、です。わたしは現在食事も睡眠も社会生活もそこまで困っていません。そのことを医師に今一度アピールしました。ここでもやはり必死ですが、必死になるにはわけがあります。双極性障害であれば文字通り死ぬまでずっと精神科の病院に通わなくてはならないのです。そんなの、めちゃくちゃ面倒くさいです。仕事や生活様式を選択する時も自分の好みだけでなく病状のことも考慮しなくてはならなくなります。これもまた面倒くさいです。「あ、やっぱり診断ミスだったわ。あなたは躁鬱じゃないです」と医師が言ってくれることだけを期待して、再度色々アピールしました。

わたしの話を無感動に聞き終えると、医師は

「うん、躁状態の時はね、ご自身は何も困っていないんです。代わりに、周りの方々を困らせているんですよ」

とだけ言いました。

この言葉を、否定することはできませんでした。自分のことだってよくわからないのに、人が困っているかどうかなんてもっとわからないし、と言いつつも、若干の心当たりも、ありました。

わたしは自分が病気だと意地でも認めたくなかったわけですが、逆にわたしの意地以外の要素(主訴、来歴、家族歴、業務内容など)から導き出される結論はたしかに「典型的な双極性障害」でした。これを否定する材料をわたしは何も持っていないどころか、「わたしは元気なんです、仕事もできるんです」と必死になっていて、病気の意識が全然ないその姿そのものが、いかにもな躁状態の躁鬱患者でした。

そうなのか、そうだったのかな、そうなのかもしれないな、そうなんだろうな、と状況は理解しつつも、感情としては認められないまま、診察は終了しました。

会計時に見せられた超シンプルな診断書には、明朝体で

傷病名: 躁鬱病

と書かれていました。ああ、そうなんだ、わたしは病気なんだ、仕事を続けられないほどの患者なんだ…とポヤポヤ考えながら帰りました。なかなかに動揺していましたが、事故らなくて良かったです。

これが昨日のことです。

一晩経って、朝食後に処方された薬を飲んだらすごく眠くなって一眠りして、「社会復帰したくば体力維持のために毎日必ず散歩してください」との指示に従って散歩して(「社会復帰」という言葉を聞いて、自分は今「社会」にいないんだなと悲しくなった)、なんだかすごく疲れたので寝て、晩ご飯を食べて、風呂に入って、明日は月曜日だけど相変わらずわたしは何もすることはなくて…とか考えていて、まあ頭の整理のためにも、ちょっとテキストに起こしておこうかな、というのが現状です。

本当にわたしが病気かどうかについては、たぶんほぼ間違いなく医師の診断が正しいです。もしもボーダーだったとしても、ボーダーであっても念のため服薬と通院をする判断は適切です。

今回のエピソードも、本当に教科書みたいな再発症例だと自分でも思います。

そう、突拍子もなく躁鬱と言われて驚いたみたいな書き方をしましたが、実はわたしは過去に同じ病気の診断を受けていたことがあります。薬も飲んでいました。

じゃあなんで今こんなに困惑しているのか?っていうのは明日以降書きます。

色々、あるんですよ…(ほんま今日そればっかやな)



【追記】続きました↓




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