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ネットのために生きるな

「遊ぶために生きるな」と「インターネットやめろ」の合わせ技。

転職して安定したはいいものの、どうも腑抜けているというか仕事中にもネットのことが頭に浮かんでしまうことが多い。「周りに勝たないと生きていけない」という緊迫感がなくなり、人生を楽しむ余裕ができたという見方もできるが、自分がダメになっているという危機感が頭から離れない。

仕事を真剣にやらずに職場での評価が落ちれば、いずれは生活が成り立たなくなるというのは言うまでもない。では生活基盤に影響が出なければいいのか、というとそれも違うと思う。目の前のリアルに向き合わず「やり過ごす」ことばかりを考えるのは、ネットが生きがいになるのと同義であり、価値観も全てネットに染まっていくのではないか。私はそれが怖い。

先に言っておくと、ネット関連のビジネスで生計を立ててるとか、本当にリアルで行き詰っている人は「生きるためにネットをしている」ので別な話。ここで私が問題にしているのは「リアルはつまらなくて肉体的・社会的な部位を維持するためにだけある」という態度のこと。現実に対して面従腹背しているという言い方もできるか。

もちろん世の中の趣味はネットやオタク文化ばかりではなくて、釣りバカやゴルフ狂も趣味のために生きている人種だ。ただネットやそれと距離の近い界隈には、昔からあるような遊びと違ったメンタリティの汚染があるように感じる。私がネットにハマっていた2000年代は自らを社会不適合者と自嘲する向きが多かったが、今では「リアルのほうがおかしい」ような意識すらあるように見えるのは私だけか?

そういった「反リアル」な精神性は、リアル社会で一旦排除された以上、大なり小なり根本的に人類社会と相容れない性質を持っているはずだ。もしかするとリアル含めた今時の若者のメンタリティを表しているのかもしれないが、自世代とのズレに苦しんでまで若者に迎合する意味はないだろう。この辺ひっくるめると、「もういい年なんだから」に収束していく気もする。

あとnoteでもゲーム制作でも、ネット上で活動を行って反響が得られると達成感が凄まじい。いや私は全然なんもしてないのだが、こんな少量でこの効能はまさに劇薬だ(耐性なさすぎると言われればそう)。実際のところは、地味で面白みも何もなく、思った通りになど進まず、自分の手柄にもならない日々の仕事のほうが世間的には、いや自分自身にとっても価値がある。

ではネットを全て投げ捨てろというのか、というのはちょっと違ってて、人生をより楽しむため・補完するためにネットを活用するのは間違っていないだろう。リアルで感じるモヤモヤを共有したり世間体を気にしない発言をするのに使うのも、ある程度ならいいと思う。とにかく心が、魂がネットに引かれた結果リアルから離れるのが問題なのだ。

いや仕事に集中しろってだけの話なんだけど、「ネットのために生きるな」って心の中で唱えたらだいぶコンディションが良くなったので記事にしてみた次第である。

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