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いま依存で苦しんでいるアライさん達へ

こんにちはなのだ。得たイさんが依存症治療のためにアライさん界隈に戻ってきてから3か月が経ったのだ。

12ステッププログラムに取り組んでいくうちに、界隈の内外で依存から回復を目指す人や、依存に耽溺するフレンズとの繋がりが広くなってきたのだ。得たイさんはこれを嬉しく思うのだ。

ところが最近、セックス依存症を診断されたフレンズが日付を指定して自殺を示唆して界隈から消えてしまうショッキングな出来事があったのだ。

得たイさんは、そのフレンズが診断された段階で自助グループへ繋がればと思ってメッセージを(リプライで)伝えたのだ。しかしそのメッセージは伝わらなかったかもしれないのだ。既に自殺予告の日は過ぎていて、そのフレンズがどうなったのかもう誰にもわからないのだ。しかし得たイさんは、彼女が生きててくれることを信じたいのだ。

そしていま、ほかの依存症のフレンズが何人も壊れていくのを見ているのだ。得たイさんの見ている範囲の中で、またアライさん界隈の中で誰かが音もなく死んでいくのがもう嫌なのだ。また他のフレンズに生きる希望を捨てないでほしくて、この記事を残すのだ。


得たイさんも自殺未遂をしたのだ

実は得たイさんも、自助グループに繋がる前に自殺未遂に及んだことがあるのだ。

得たイさんは2年前、片想いしていた女性(以下、セルリアンと呼ぶのだ)に告白して失恋したのだ。告白の際に発達障害をカミングアウトしたのだが、その際、それ以前の得たイさんの言動に配慮が足りなかった点(謝罪済み)を蒸し返して誹謗中傷してきて、あまつさえ無実のストーカーの濡れ衣を着せてきて警察沙汰になったのだ。得たイさんは「"幸せになることが相手への復讐"(という前向きな発言)はストーカー規制法に抵触する」という警察の支離滅裂な理論より冤罪に遭い、その後弁護士により事実上の無実の太鼓判を押されたものの、人生に絶望して新小岩駅で飛び込み自殺しようとしたのだ。

よく「自殺する人は少し元気が出てきた時に死ぬ」と言うのだが、それは少し違うのだ。実際には本気で自殺を決意すると(死ぬための)元気が湧いてくるのだ。あれは何かに取り憑かれたような感覚で、その心地良さで死に一直線に向かうのみなのだ。幸いにして得たイさんは自殺当日、知り合いから会おうという連絡をもらったことで事なきを得たのだが、今思うとあれほどおぞましいことはないのだ。


得たイさんは救いの手を一度逃したのだ

そして実は得たイさんは、セルリアンに振られるよりも以前に、当然の事ながら希死念慮が出るよりも以前に、津島さんの「セックス依存症になりました」を読んで自分がセックス依存症じゃないかと疑っていたのだ。思い当たる節がありすぎるし、自助グループのこともこのマンガで知ったのだ。だけど、その時は得たイさんがたまたま問題行動を起こしてなかったために、唯一相談できる友達に話しても「今やってないなら依存症じゃないから大丈夫だよ」と丸め込まれてしまったのだ。得たイさんは結果としてその時に自助グループに繋がることができなかったのだ。

あの時、得たイさんはその友達の言うことを疑って自分で自助グループに行くことを決めて繋がれたはずなのだ。行動を起こせたはずなのだ。しかし、友達がそう言うなら大丈夫なんだろうと思ってしまったのだ。あのときその機会を逸してしまったがために、得たイさんは助からなかった(はずだった)のだ。

得たイさんはいま奇跡的に生きていて自助グループに繋がって回復しているのだが、本来は自助グループに繋がれないまま死んでいる身だったのだ。得たイさんはいま希望を持って生きているけど本来は既に死んでいるのだ。死人が生き返って必死でフレンズに助かってほしいと訴えているのだ。

思うに、いま自助グループに繋がれるチャンスがあるのなら、この時がそれぞれのフレンズにとっての分岐点かもしれないのだ。冒頭のフレンズも、得たイさんが自助グループのことを伝えた時が分岐点だったかもしれないのだ。得たイさんはそのことを身をもって知っているのだ。

アライさん界隈は、死にゆくフレンズの希死念慮を尊重はするのだけど、それを行動に移すことを誰も止めることはできないから、本人の意志に任せるしかないのだ。それでも得たイさんは、死の淵から生還した一人としてそれを止めたいのだ。だからハイヤーパワーに祈って、その結果として神からのメッセージによりこの記事を書いているのだ。


自助グループに繋がれない理屈

本当は理屈なんてどうでもいいからさっさと自助グループに行ってくれと声を大にして言いたいのだが、敢えて理屈の話をするのだ。

依存症は精神疾患なのだ。言葉通りスピリチュアルの病気なのだ。スピリチュアルな考え方(目に見えない希望とか言葉の力とかそういうありふれたもの)が信じられない、目に見える現実しか信じない病気なのだ。だから治療法はスピリチュアルしかないのだ。

12ステッププログラムは、人間が本来は成長の過程で自然に身につけるべき生きるためのスピリチュアルを、仲間とともに理論と訓練(ワーク)によって身につけることにより生きづらさの根本を解消し、依存を手放す治療法なのだ。

そういう治療法なので、ところどころ宗教的な(具体的にはキリスト教ベースの)理論が説かれているのだ。ただこれは、どんな信仰を持っている人でも、あるいは無神論者でも回復できるようにプログラムが組まれているのだ。だから安心して受ければいいのだ。

メンタルヘルスの現場は、自助グループを軽視しているように思うのだ。本当はメンクリで薬を処方するのもカウンセリングも、自助グループありきで初めて効果が出るものだと思うのだ。

回復の中心は自助グループなのだ。人が人を癒すのだ。依存症者を治せるのは依存症者だけだと津島さんも仰られているのだが、今までの人生で受けてきた仕打ちをすべて正直に話せるのは、自助グループだけなのだ。

くどいようなのだけど、依存症はスピリチュアルから離れてしまう病気なのだ。現実主義なのだ。現実しか信じられない……だから宗教っぽさを受けつけない人もいるし、またはそれぞれの都合に囚われてしまうこともあるのだ。それが最終的に「自分はまだ大丈夫」になってしまうのだ。

寝取られ性癖に苦しむアライさんの寝取られクロニクルのアライさんも、やはり性的倒錯(寝取られ性癖)と共依存により一度自殺未遂をしていて、今は既に界隈を去ってしまっているのだ。依存は人の心を骨の髄まで蝕むのだ。治療法を知らないことが、ここまで人を壊してしまうのだ。

理屈ではいくらでも説明できるのだ。しかし未知の救いの体験に勝ることはできないのだ。


アライさん達に救いを

冒頭のフレンズも得たイさんも、自分がこのままだと助からないことに気が付かなかったのだ。だって現実主義だから。目の前の自分の都合と現実しか信じられなかったから。神が、そしてハイヤーパワー(「自分なりに理解した神」の配慮による、自分を超えた大きな力)が出していたサインを見逃してしまったのだ。そういう経験があるから、無駄になるかもしれないと知りつつも、自助グループに行ってほしいと言わずにはいられないのだ。

きっとそれぞれの都合はそれどころじゃないかもしれないのだ。あるいは、難しそう、面倒くさそうに思うかもしれないのだ。だけど、依存症は死に至る病気だということを覚えておいてほしいのだ。

きっかけや動機はなんでもいいから、とにかく自助グループでの回復に繋がってほしいのだ。かく言う得たイさんも、女性のおしっこを見るのをやめる気が一切ない(それで苦しむことはしたくない)から自助グループで回復に繋がることを強く望んだのだ。実際それで回復しているから結果としてはこれでいいのだ。それにその正直さが回復に有効なのだ。

得たイさんの性癖は人格なのだ。それを男性に性癖ジャッジされて誹謗中傷されようとも、それを素敵だと言ってくれる女性が何人もいたから自助グループに繋がれたのだ。依存はその人にとって必要なものだから、そしてグループの仲間たちは、まだ回復に繋がっていない依存症の人たちも「仲間」だと思ってるから、それを絶対に否定しないのだ。

どうかお願いなのだ。一人でも多くのフレンズが回復に繋がってほしいのだ。得たイさんはハイヤーパワーに祈り、自助グループで待っているのだ。

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