ガチ恋とは何なのか?その状態と付き合い方

※この記事には新しいバージョンがあります。そちらも合わせてご覧ください。(2023/5/14)


アイドルや有名人につきもののガチ恋について話をするのだ。アライさん界隈でも、風俗嬢のフレンズがガチ恋客の相手をしなければならないことで悩んでいるようなのだ。

ガチ恋とは何か

Weblioによれば

「ガチの恋」、すなわち、冗談めいた意味合いではなく真剣に恋愛感情を抱いた様子を述べる言い方。とりわけアイドルやタレントに(ファンの域を超えて)本気の恋愛感情を抱いてしまった状況を指して用いられることが多い。

らしいのだ。

ただこれだとアイドルや有名人が相手だから、ファンと立て分ける意味で「ガチ」という名前がついているという説明に過ぎないのだ。ここで言いたいのは「そもそもなぜガチ恋するのか」ということなのだ。

よく聞くのは、ガチ恋したほうは考え方に問題があったりすることが多いのだ。

ガチ恋オタクがいかにやばいか考察した

・彼氏がいるとわかってから応援する気が全くなくなった
・アイドル声優という立ち位置なんだから彼氏を作るって行為が理解できない。
・彼氏作っておいて応援してねーって言われても…ねぇ?
・売れたいのにそういうリスク取るかね?
などなど…どういうわけか彼らの中には「裏切られた」という感情がわいてしまうらしいです。こんなに応援してんのに!どうして!!

ガチ恋が叶わない表面上の理由はネットで探せばいくらでも出てくるのだけど、問題はそこじゃなくて「被害者意識」だということに、このブログの管理人は気づいてるようなのだ。

小早川明子著・「ストーカーは何を考えているか」という本のまえがきにはこうあるのだ。

ストーキングは 、自分の正当性 、特定の相手に対する強烈な思いと怨念にも似た感情――そこにはセクハラやパワハラにはない 、加害者の特徴があります 。 
①確固たる心理的動機があり 、正当性を妄想的に信じ込んでいる 。
②相手を一方的に追いつめ 、迷惑をかけて苦しめていることを自覚しながらも 、相手に好意を持たれる望みをかけている 。
③その望みが絶たれた時 、心のバランスは憎しみに反転し 、自殺または相手を殺害することもある 。
ストーキング事案の当事者たちはしばしば加害 ・被害意識が曖昧で 、特に加害者は歯止めなく ①~③の階段を駆け上がりやすいのです 。

ガチ恋が叶わなかった時にはストーカー化することもあると言われるのだが、ガチ恋とストーカーに共通しているのは、被害者意識にあるのだ。つまり、自分と他人の区別がついていないということにあるのだ。

自分と他人の区別がつかない、自他の境界線が曖昧というのは、こういうことなのだ。

・他人の価値観を尊重できない(自分と同じでないことが許せない)
・人は人、自分は自分と考えられない(他人の言うことを自分のことのように思ってしまう)
・他人を自分の思い通りにしようとする(依存的傾向、支配欲)

つまりガチ恋とは、自分と他人の区別がついていない状態で恋をしてしまうことなのだ。これは常識や意識の問題じゃないのだ。感情なのでどうにもならないのだ。

なぜガチ恋してしまうのか

この「自他の境界線が曖昧」という傾向は発達障害の人に多いようなのだけど、発達障害でなくても、自己肯定感の低いフレンズがこうなってしまうようなのだ。その鍵は、親子関係にあると思うのだ。

ガチ恋は、男性の立場で言い換えるなら「母親を欲している」状態の子供なのだ。両親がいわゆる毒親で、子供の頃に母親に甘えられなかった故に、親子関係を卒業できないまま大人になってしまったのだ。親子関係の卒業とは、親子の近しい距離感を学ぶことによって、他人との近すぎず遠すぎない適切な距離感が取れるようになるということなのだ。親子の距離感を他人である異性との関係に持ち込むのがガチ恋なのだ。

ガチ恋は自分の身を守る愛欲行動

ガチ恋予備軍になるかならないかは、親ガチャで決まるのだ。親に大切に育てられた強いフレンズは、適切な距離感で他人との関係を築いて恋愛結婚をするのだ。

親に大切に育てられなかった、いわゆる毒親持ちのフレンズは、自分と他人の境界線を引くために親子関係と向き合わなければならないのだ。ただ、大抵はそんなことは無理なのだ。だから、一時的に自分を受け入れてくれる人間関係のベースキャンプが必要なのだ。このように自分の状態を知って回復し取り戻す方法は、少し前にTwitterで話題になった「愛着障害」の記事を書いた岡田尊司はかせの著書に詳しいのだ。

岡田はかせは、東洋経済オンラインの記事で「愛着障害は死に至る」と書いているのだ。自分が子供の頃に愛されなかった故に大人になっても愛される価値がないと根づいてしまっていることが、肉体と精神を蝕んで救済が得られず、死に至ってしまうのだ。

人間は自分を守る本能的な行動として愛欲行動を起こすのだ。ちゃんと愛されたフレンズの場合、困った時には然るべき手段と目的を以て愛欲行動を起こし、助けを得ることができるのだ。

愛されなかったフレンズは、愛欲行動のレベルが子供で止まってるのだ。それ故に他人との距離感を間違え、異性に接してしまうのだ。その結果のひとつがガチ恋なのだ。

ガチ恋の解決方法

結論から言うと、ガチ恋しない方法はないのだ。なぜなら、親子の親密な関係を築くことは、どんな生き物にとっても必要不可欠なものだからなのだ。健全な親子関係と自立のための反抗期はセットで通過儀礼なのだ。

乱暴な言い方だけど、強いフレンズも例外なくガチ恋しているのだ。幼少期に両親(特に母親)にガチ恋した経験があるから、精神的に強くなって人生成功しているのだ。それができなかったフレンズは、親以外の誰かにガチ恋しない限り成長することはできないのだ。

ただ、ガチ恋は対象が人でなくても起こり得るし、その時には名前も変わるのだ。対象が物や行為だった場合は依存症なのだ。物や行為には人格がないから回復が難しいという厄介な問題もあるのだが、それはまた別の話なのだ。

対象が他人の時でも名前が変わることがあるのだ。不特定多数の異性に独占欲を発揮した場合はメンヘラという名前になるのだ。自他の境界線が曖昧という点ではガチ恋もメンヘラも本質は同じなのだ。

また、他人を助けること(そういう仕事やボランティア)、あるいは文章を書くことや表現すること、創作活動にガチ恋した場合は、適切に自分を回復できる可能性があるのだ。多くの文豪は親に恵まれなかった故に問題行動を起こしまくった経験を持ち、大人になってから創作活動で自己回復していったのだ。太宰治や夏目漱石などが有名なのだ。

ガチ恋は本能的な愛欲行動だから、自分の意思で対象を決めることはできないのだ。だから異性にガチ恋したとしても、それ自体は悪いことじゃないのだ。むしろガチ恋そのものは否定してはいけないのだ。通過儀礼である以上、ガチ恋の否定は人格否定なのだ。

もし自分がガチ恋したら・されたら

ガチ恋されたほうに意識してほしいのは、自分の身を守ることを最優先しつつも、それを否定しないことなのだ。愛欲行動を否定されると死に至ってしまうから最悪の場合凶行に及んでしまうのだ。そうならないために相手を理解してあげる必要があるのだ。あるいはサクッと警察や弁護士に任せてしまうという手もあるのだ。最悪なのは我慢してそれが限界に達したらネットで喚き散らしたり煽ったりすることなのだ。

ガチ恋予備軍の対策としては、好きなことをやるのだ。つまり人以外のガチ恋対象を探すのだ。ただし既に異性にガチ恋している場合、ある意味諦めるしかないのだ。事案化を覚悟して自分と向き合うことが最善策なのだ。

生きづらいフレンズのみんなに、良いガチ恋が来ることを願うのだ。

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