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"Tsundoku-積読"

さて、初回のnoteには末尾に「これからこのnoteでは…読んだ本のことを等を書き留めていきたい」と記載したが、さっそくその予告を無視して「読んでいない本」について今日は書き留めることとする。

買ったけど読んでいない本。いわゆる「積読(つんどく)」というやつだが、私はこの「積読」という言葉があまり好きではない。

”積む” という言葉と読書の ”読” を重ね合わせ、なおかつ ”積んどく(積んでおく)” の ”どく” に読むという言葉をうまく掛け合わせているこの造語。

積読。

あまりにも出来すぎている造語であるために、この「上手いこと言ってるでしょ?どうよ!?上手いと思ったんなら、みんな使っていいよ!」風の空気感が私はなんか好きになれない。というより嫌いだ。

ここ5年~10年の間に急速に広まってきた感があるが、どうも口に出して使用するのが憚られる。世にこの言葉を送り出した名付け親の誰かが、今ごろ日本のどこかで「みんな使ってくれているか。ふむふむ」とニヤついている姿が脳裏に浮かび、私がこの造語を口にするのを躊躇わせるのだ。

なんてことを思いつつ「積読」についてGoogle大先生に聞いてみたところ、Wikipediaというやや信憑性に欠ける情報源ではあるものの、このような記載を確認した。

1879年の小雑誌「東京新誌」に「ツンドク家」「ツンドク先生」の記述があることが確認されている。他にも内田魯庵の随筆「ツンドク先生礼讃」のように、明治から昭和初期には仮名で「ツンドク」と表記されていた。

うげ!!!

なんと!!!明治時代から存在する言葉なのか!!!

確実に平成生まれかと思っていた!

ずっと年下の後輩かと思って接していた同僚が、実はかなり年上の大先輩だったようなこの感覚。なんか申し訳ない。

今、世にこの言葉を送りだした誰かが「みんな使ってくれているか。ふむふむ」と思っている場所は、この日本のどこかではなく、あの世でということになるのだ。ごめんなさい、積読さん。

ということで、大先輩ということなら話は変わってきます。「積読」という言葉。これから躊躇いもなく使用させていただくことにいたしました。便利だし。

で、さっそく今回は私の積読している本について書き留めていきたいと思っていたんですが、今回はこの本を紹介することにいたします。

『データの見えざる手』 矢野和男:著

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副題は「ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則」となっている。ウエアラブルセンサとは、例えばリストバンド型のような人に装着できるセンサのことだ。

このセンサを利用し、100万人以上の行動を計測。身体活動や位置情報、センサをつけている者どうしの面会等の情報をビックデータ化し、そのデータから見つけ出した人間や社会の「法則」や「方程式」について記している本である。とても興味深い。

目次を見て、気になる項目を下記へ羅列してみる。

 ・「よく動く人=仕事ができる人」と言えるか
 ・人間の活動の限界は熱力学の公式によって表せる
 ・幸せを感じていることをセンサで測ることができる
 ・休憩中の会話が活発だと生産性は向上する
 ・活気ある職場にすることが経営の重要項目になる
 ・運と出会いを理論化、モデル化する
 ・人間のやるべきこと、やるべきでないこと

どうやらウエアラブルセンサのビックデータによって人間の動きと幸福度や仕事量、運などとの関連性がわかるようで、それによって見出した人間や社会の「法則」や「方程式」から、我々が社会生活を営むうえでどのような行動をすべきかの指標のようなものが記されているようだ。

これほど興味深いこの本がなぜ積読状態となっているかの話となるが、何等かのブログかTwitterで知ったであろうこの本、メルカリで購入したものの、あらゆるページが雑にピンクの蛍光ペンでマーキングされており、読もうと思ってもテンションが下がってしまうことがその理由だ。メルカリの購入ページには何もマーキングのことが記されていなかったため、この本を手にすると、読もうという読書欲よりも出品者に対する怒りが上回ってしまうために、今まで本から気持ちが遠のいていたということである。

なので、今回積読本を紹介した理由は、ここで本を紹介することで自分自身の読書欲を向上させて、読むためのきっかけになればと思ったからだ。

今後積読本を紹介する理由は全てこの理由となるため、これからも今回のように雑に読んでいない本を紹介していきたいと思う。

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