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ちきりんは何故これほどまで必死なのか


「人と違っていてもいい」

「自分の頭で考えよう」

なぜちきりんはこんな啓蒙を続けるのか。

なぜちきりんはこれほどまで必死なのか。

それはちきりんが不幸せだからだ。

生きていくのに十分な富を得て、セミリタイアをし、煩わしいことから解放され、自由気ままに生きているにも関わらず彼女が不幸せだからだ。

なぜちきりんが不幸せなのか。勘の悪い人はよく意味が分からないだろうから、もう少し噛み砕いて説明したいと思う。

まず、ちきりんは知能が高い。それが全ての悲劇のはじまりだったんだ。

ちきりんに限らず、知能が高い人たちって、結婚とか、出産とか、世間の一般大衆が当然だと思って行っていることに対していちいち疑問を持ってしまうんだ。

頭が良いから、頭で考えて、世の中が当然だと思っている事柄の非合理的な部分や矛盾とかに気づいてしまうんだね。
知能の高い人ほど、遺伝子の存続といった生物学的な呪縛から自由な傾向にある。
彼らは本能ではなく、自分の頭で考えることができるんだ。
低学歴で頭の悪い人間ほど、若い頃からぽんぽん子供作るのはそういうこと。

人間が不幸を感じる時って、どんな時だと思う?それはやっぱり、孤独な時なんだよ。
人はどんな時に孤独を感じると思う?それはやっぱり「周りと違う」ときなんだよ。

これは「周りと違う」ことが良いとか悪いとかじゃなくて、人間は「周りと違う」ことで不幸に感じるように遺伝的にプログラミングされているんだ。
というのも、ヒトがまだ狩猟採集を行っていた時代、群れから離れて孤立することは死を意味していた。
人間の脳の構造はそうした時代からほとんど変わってなくて、群れから離れないようにすること、すなわち、周りと同じであることで幸せに感じるように最適化されているんだ。

ある調査によると、世界で最も不幸なのはロサンゼルスなどの大都市で生きているホームレスだと言われている。そのホームレスたちよりも過酷な生活をしているインドのスラム街の人たちよりもはるかに幸福度が低いという。
なぜか。それはホームレスたちが自分たちが世間の敗北者で「周りと違う」ことを否応なく認識させられているからだ。
一方で、インドのスラム街の人々の幸福度がさほど低くないのは、自分たちの周りの人々も皆、貧困で「周りと同じ」だからだ。


頭の良いちきりんは世間の価値観に迎合できなくて孤独だった。故に不幸せだった。
不幸せだからといって、今更、世の中の馬鹿たちのように思考停止することもできない。
それは今までの自分の生き方、考え方を丸ごと否定することになる。

ちきりんにできることは一つしかなかった。

それは、馬鹿な人間たちに啓蒙することで、多様な価値観を持ってもらい、「周りと同じでなくてもいい」という考えを全ての人間で共有することで「周りと同じ」になることだった。

だからちきりんは必死なのである。ブログも更新するし、twitterでも呟くし、本も書くのである。

しかし、残念ながらどんなに「自分の頭」で考えても人間は幸福にはなれない。
なぜなら、幸福とは「考える」ことで見出すものではなく、ただそこにあるものなのだから。

それでも、ちきりんに出来るのは、「そもそも人生って幸福にならないといけないの?」って自分の頭で考えることだけなんだ。


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