1、捨てられた少女エスタ・タカ
私はエスタ・タカ。
ウガンダのキジョン村で生まれた私は、祖母に
「あなたは私たちの家族ではないよ。」
と言われました。
私の双子の兄アントニは飢えと病気で3ヶ月で死にました。私は母親を知りませんでした。
私とアントニが生まれて9ヶ月のときに父は、「おまえは家族では無い」と言って家を出てゆきました。
父は母が別の男性と関係した子供だと言いたかったのでしょう。
それで祖母は残った私を5才になったときにカンパラ市内に連れて行きました。
そして「水を買ってくるからこのベンチで待ってて、エスタ」と言いました
わたしは長い長い時間を泣いて待ちましたが、祖母は帰って来ませんでした。
ひとりの男性が近づいてきて「なぜ泣いてるの?」とたずねました。
すべてを説明すると彼は私を彼の家に連れて行きました。
私はそこに泊まり彼の家族はとても幸せそうで良かったです。
そして1週間がたったころ彼は仕事で家をしばらく離れることになりました。
すると彼の妻が私の服を脱ぐように言いつけ、殴りながら水を注いで、彼女は私に質問しました。
「あんたの母親はだれ?」
私はほんとうのことを話しましたが彼女はそれをぜんぜん信じません。
毎日殴られ、家の掃除、衣類の選択、料理、をさせられつづけました。
妻の夫が帰った時だけ妻は私を洗い新しい服を着せました。
そして彼に何か話したらあんたを殺すと言いました。
彼は私にたずねます
「元気にしてたかい?」
わたしは「はい」と答えました。
路上に住む
そうして2年が経ち私は7才になりました。
ある日、妻は私にごはんを作りなさいといいました。
わたしは火の上に洗ったお米のお鍋を置き、外で服を洗濯している間にお米が燃えて焦げ臭くなってしまいました。
妻は非常に怒り出し
「なんで燃えてるのを知らないの?」
「この焦げたご飯を食べてみなさい」
と言いながら硬いコップで私を叩き始め、
ナイフを取って私の耳の一部を切りました。
血が止まらず妻は近くの診療所へ連れて行く前に、
「あんたは絶対に話すんじゃないよ」
ときつく言われました。
医者が包帯を巻いてくれましたが。
もう我慢できずに、私は数少ない自分の服をかき集めてその家から、その夜逃げ出しました。
そして行くあての無い私はカンパラのスラム街に住むようになったのです。
深夜にスラムに着いた私を待っていたのは、
14~17才くらいの女の子たちでした。
彼女たちは私の紙袋を盗んで逃げたので私は追いかけました。すると
「あなんたはどこに行くの?」「どっから来たの?」
といろいろ質問したので私は私の事情を全部話しました。
彼女たちは紙袋を私に返して
「一緒に来る?」
と言ってくれました。
そこからお金になる生活方法を彼女たちから教えてもらったのです。
それはいろいろな悪いことでした。
ほんとうに路上生活は簡単ではありません。
生き残るために、盗む。嘘をつく。
通りを歩く人はみんなお金を持っているように見えました。
つづく・・・・
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