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飛行機が山におちた夜、「ようし、ぼくはがんばるぞ」と言った少年

実は、これを書いているのは、三日前、不思議なことがあったからです。私は、一日一話、物語を創作しています。その日浮かんだのは、たったひとりでロケットに乗って宇宙を飛んでいく男の子のお話でした。お父さんもお母さんも猫たちも地球で燃えてしまったのです。地球から遠ざかりながら男の子は、言いました。「ようし、ぼくはがんばるぞ」と。

少し経って気が付いたのです。
これは、あの男の子の最後の言葉だったことを。

37年前の今日、ある山に飛行機が落ちました。
私が、まだ8歳のころのことです。

飛行機に乗っていたうち、生きのこったのは、4人だけです。

その中に、非番で乗り合わせていた客室乗務員の女性がいました。

彼女の証言があります。

墜落の直後、あたり中から「はあはあ」という荒い息がしていたそうです。その時、「おかあさーん」と叫ぶ男の子の声が聞こえました。でも、お母さんらしい人の声は聞こえません。

それから気を失って目覚めたとき、また男の子の声がしました。
「ようし、ぼくはがんばるぞ」と。

それからまた気を失って、目覚めると、男の子の声はしなくなっていました。

次に気づくとあたりは明るくて全く静かでした。

生きているのは私だけかな、と思いました。でも、声を出してみたんです。「がんばりましょう」という言葉が自然と出てきました。返事はありません。「はあはあ」いう荒い息遣いも、もう聞こえませんでした。

『墜落の夏 日航123便事故全記録』吉岡忍氏

この証言を読んでから、わたしは、時に、心の中で唱えます。
「ようし、ぼくはがんばるぞ」と。

今日が、その日だったことを、忘れていました。
男の子の言葉で生まれた共振が、今も地球に、残っているんですね。

その物語を読んでみてください。

【地球のキセキ】

ひろし君は、光の速さで地球から遠ざかっていた。ロケットに乗って。たったひとりで。

ロケットの窓からは、地球が見えた。円い窓に映る地球はもう青くはない。
ひろし君が日本の、東京の、練馬区の、小さな公園の近くのアパートで、お父さんお母さん猫たちと暮らしていたとき、テレビの向こう側で核爆弾が爆発した。

科学者のお父さんは、アパートの屋上に実験用の小さなロケットをしまってあった。ひろし君だけをロケットに乗せてお父さんは空にたくした。

ひろし君たちの空で核爆弾がさく裂したのは、わずか五分後だった。ひろし君はシューっと飛び立って、爆風に乗って舞い上がった。

みんな燃えた。小学校もアパートもお父さんもお母さんも猫たちもすべて。
窓からは海を越えて飛び交う核ミサイルの軌跡が見えた。青い地球は瞬く間に火の玉になった。

ひろし君はロケットがどこに向かっているのか知らない。ただ飛んでいく。

ロケットには小さな望遠鏡があった。窓から地球をのぞいたひろし君はアッと声をあげた。地球はひとつじゃなくて、赤い地球の向こうに玉を連ねたネックレスのようにいくつもつながっていた。

ひろし君は、ひとつだけ向こう側にあるまだ青い地球を見た。日本の、東京の、練馬区の、小さな公園に標準を合わせる。アパートの前でお父さんがひろし君とお母さんにカメラを向けているのが見える。ひろし君はピカピカ光るランドセルを背負って胸を張っていた。もっと見たい。そう思った瞬間、お母さんの胸につけたミモザのコサージュが光の中に遠ざかった。

ひろし君は、もうひとつ向こうにある地球に標準を合わせた。小さな公園のブランコに座ってうつむいて携帯電話を見ている女の人がいた。女の人はチューリップをさかさにしたような赤いスカートをはいていた。スーツの男の人が走って来て頭をかきながら女の人にあやまっている。女の人が笑顔で男の人を見上げると、男の人は女の人の手をとった。そして、ふたりで手をつないで公園を出ていく。揺れたブランコが光の中に遠ざかった。

ひろし君はいくつも向こうにある地球を見つめた。海辺にしゃがんで何かを探している女の子がいた。女の子は、白い巻貝を見つけると立ち上がった。ひろし君は、女の子を、いつか古いアルバムで見たことがあった。女の子は、貝殻を耳にあてると目をつむる。

「おかあさーん」

ひろし君は思い切り叫んだ。

女の子は、おどろいた顔でこっちを見た。お母さんとひろし君は望遠鏡越しに見つめ合う。白い貝殻がぼやけて光の中に消えていった。

「ようし、ぼくはがんばるぞ」

ひろし君の声が宇宙に溶けた。ひろし君は飛んでいく。真っ暗で冷たい宇宙をたったひとりで。温かなこころを抱えながら。

大谷八千代


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