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mother's history No.16 娘の気持ち、親分からず。家族会議は決裂。 

それにしても、時間か足りないのか。
勉強に身が入らない。
そのことは、よく分かっている。
自分で、でも人一倍自分を応援したくなる。
その気持ちは、しおらしい。

ここでいう旅行は、修学旅行なのかな?
こういう時こそ、娘の気持ちを分かってやらないといけない。
娘の気持ちは、人の目、友達の目などを気にする。
そして、ちょっとしたプライドもあるし。
こういう時にこそ、微妙な価値観が養われるのだな。
家族の応援は、成長を育む力になるし。
思春期は、大事な時だともう一度考えてみよう。
果たして、涙が自分んをどれだけ強くしてくれるかな?




2月9日
2時間目に、数学のデストがあった。もうゼンゼンだめだ。だいぶ勉強して行ったつもりなのに、ほんとうに図形にはよわい。方程式が一つ出てきたがとれて40点ぐらいかなと、思った。大きな声で点数を言われたらいややな。
夕方、夕食を5時30分ぐらいに終えてから、妹と母は窓のとこの雪のけに行った。妹はたらいをひっぱってもって行き、母はそのたらいの中にゆきを入れる。二人とも6時30分ほどに家に入って来た。母はよく働いた。
そして、インスタントしるこをみんなでした。私がおもちを焼いておいた。とってもおいしかった。
私は、妹の分も米かしいだり、茶わんあらったりしなければならなかった。
夜9時ごろまでテレビ見て眠った。
また今日も、ゼンゼン勉強しなかった。これでは、数学もいい点数取れるはずがない。

2月10日
少しかぜぎみで、のどがいたいしはながつまって、おちついていられない。
父が、十時ごろ帰って来た。お陰でミカン二つほど食べれた。会社でもらった来たのだそうだ。ごろべさんへ、お菓子を私が持って行った。前に電話かかって来たのを言いに来てくれたからだ。
夜、お風呂わかしたので、みかんの皮たくさん入れたがあんまりいいかおりしなかった。もっと少しの湯だけなあかんのやな、と思った。
かざけがするから、お風ろ上がってすぐねた。目ざまし時計を3時ごろろにして、3時に起きたけどとっても寒かつたのでふとんの中で、勉強しようと思ったのに勉強の用意しただけで、またスースーと寝てしまった。
どうせ寝るなら、はじめから寝ればまだ楽だったのに、とってもおかしかった。
そして、私はとてものんきなと思った。本をかかえてねていたんだもの。
おかげで、今日の英語のテストもできないだろう。

2月13日
どうにか電車が、通るようになった。
今日一時間は一生わすれられない事をしてしまった。一限目の数学の時間だった。ずっとあたって来て私の順番の時、「4a2πーa2π」と出たのを4と答えたり、2と答えたり、もう頭に来ていたらしい。
山本先生は、「電車が通ったらあかんのだろう。歩いていた方が頭が良く回転する。アメリカでは、みんな歩きましょうと、そういう運動がはやっている」と言って、頭を三、四パツたたかれてしまった。「3a2π」と答えなければならなかったのだ。とてもしゃくで、とめどもなくなみだが流れた。でも、なれてるから、どうともなかった。
今日、山本先生はとっても不きげん、たくさんの人がたたかれた。河合さんかってだ。後で「豊田佐吉は何した人だ」と聞いた。また、私があたたったので「織機を作った人」と答えた。
でも、今日みたいにはじかいた日はなかった。これからもないであろう。
 〇九州の記念切手が入る。

2月14日
学校帰り、電車の中で赤松先生にあった。私を見て首をふったのでだれかなと思ったら、赤松先生だったのだ。私が「今日は」と言ったら、「やあ、こんにちは、すわりなさいね」と言った。
私がならった時は、まだ独身だったから、ガツガツだったが、お嫁さんもらいになってから、少しお太りになつたようだった。少しかっぷくついたんかな。赤松先生のとなりに座っている時とてもかしこまっていた。
帰りは「さよならー」と、そういってわかれた。よく、赤松先生私ってわかったのかな、小さい時から顔があんまりが変っていないのかな、と思った。
夕食、カレーライス。二はいも食べた。今「二十四のひとみ」にむちゅうだ。小石先生は、とてもいい。ほんとは大石先生だけど。背がとっても小さいから、小石先生とあだなつけられたのだ。私も、背が低いから、とつてもしたしみがもてる。
私は、二十四のひとみは大好きだ。

2月20日
今、とても腹が立っている。母がパーマかけに行った時からせぶっていたボストンバックを買って来た。それがまっ黒でまえのとあまりかわらない。黒いのなんて、まっぴらだ。
おりたたみ式というだけだ。あんなの、いくら新しいかってお古みたいでいやだ。はじめ私は やっと織田まで行って買ってくれたのだから、文句言うの悪いと思ったのだが、とってもぐちいわずにはいられない。 
母は、兄を呼んで来た。兄は「前のといっしょやね」と言った。母が「これ、学校通学ようのカバンにもなるんや」と、言った。「ああ、これはいい。芳美となかまでつかおさ」と、言う。私とっても腹たった。外にいた父まで窓からのぞいて、「また、これといっしょやほりゃ、もつと小さいのなかったんか」と言ったり、「これ、昭久しゅうしょくしたりするのにいいな」といったり、母の方についたり、私の方についたりして言った。父の、いちばん腹たった言葉は「何で黒いやんにゃ」と言ったり、「ほんなもん、りょ行にいかんかっていい」と言っている。本気で言っているんでないと思っても、目になみだが溜まって来た。
母は母で、「これいやんなら、学校へ持って行ってるカバンもって行きなさい。赤くていいわ」と言う。私は「父ちゃんのジャンパーのチャックみたいに、こんなにようけチャックあるのはすぐにこわしてしまう」と言ったりした。
母が、妹に「秋代ちゃん、このカバン持って大阪へ旅行せーったら、行く?」と聞いたら「大きすぎる」と言ったので、思わず笑ってしまった。そんなあたりまえだ。「それより、色が」と言ったら「あれでいい」と答える。この言葉は、また私の気にいらなかった。
母は、なんで、黒が好きなんだろう。こんなもの1,200円ほど出して買うねうちがないと思う。後で母が「旅行の積み立てしてないんでしょ」と聞いたので「なあも」と言ったら、「そんなら行かんかって、いいんにゃほら」と言った。「そんなら行かんとけば、いいんにゃの」と言ったら、また涙がにじみでて来た。でも、かがみの前でなみだの顔を見て、ニコッとわらってから「先生に、親がいったらあかんて言うから、いかないんですっていうや」と、言ったら「山本先生に、芳美はカバンが気に入らんと言って行かんのです」と言うという。
「そんなもん、受け持ちの先生でねいや」と言ったり、すごいけんまくだった。
「どうしてもゼツタイ、カバンをかわしてやる」!

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