何の目的があるわけでもなく、次の約束までの時間潰しで新大久保を横断していた。 もう商店街も終わりに差し掛かるところに 私好みの、変わったスイーツを売っているお店があった。 かぼちゃが乗ったおはぎみたいな食べ物 横目でひと目見て、 「あ、好きなものだ」 と思った。 数歩通り過ぎてから戻ってみると、 店の中は暗くて扉には準備中と書いてある。 でもスイーツは通りに面したショーウィンドウに 入ってるし、 スイーツだけなら売ってくれそうな雰囲気 お店の中にいるお母さんは後ろ
「あなたたちは天才ではありません。一般ピープルです。」 中3の時、担任の先生が政治経済の授業中に言った言葉。 衝撃だった。 当時の私は、 自分が天才かもしれない可能性をまだ心のどこかで信じていたから、 何故そんなことを言うのかとても驚いた。 普通、中学校の先生というものは、 「あなたたちはこれから何にでもなれる。そういう可能性を持ってるのよ!」 なんて風に言うものじゃないのか? そう思った。 でも、先生ははっきり言い切った。 あなたたちは凡人だと。 その当時は
アジアンビューティーと褒められて怒ってしまったことがある。 ・・・ 私は、たまに、年に1回くらい「アジアンビューティーだね」と言ってもらえることがある。 最初はビューティーという響きに心躍り 単純に嬉しかったのだけれど、 数回目に言われた頃から少しずつ違和感を覚えるようになった。 ・・・ 「アジアンビューティーだね」の真意 「アジアンビューティーだね」というフレーズは、「美人だね」と言われるのとは、少し違う意味があると思う。 両者は言葉だけ見れば似ているけれど、
色白は英才教育の賜物だ。 私は大学生だが、周りで肌が白くてかわいい友人たちはだいたい小さい頃からお母さんに言われて日焼け止めを塗ってきたというバックグラウンドを持っている。 その中でも特に色が白く、綺麗さ・かわいさの両方を兼ね備える友人がいるのだが(私は勝手に師匠と思っている)、彼女も小学生の時から毎日日焼け止めを塗ってきたクチだった。 彼女とは留学先のイタリアで出会った。初めて会った時には、かわいらしい日本人の女の子だなくらいにしか思っていなかったが、授業や寮などで行
今日からエッセイを書き始めようと思います。 私が書く文章がエッセイと呼べるものなのかどうかはわからない。誰かを勇気づけたり、背中をそっと押したり、文の中に新しい視点や世界の新しい見方を発見できるような文章が書けるのかもわからない。 でもいつか、 そういう風にいろんな人を支え、大事にされる文章を書きたい。 雑誌やWebメディアや新聞に連載を持って、たくさんの人に自分の文章を読んでもらえるエッセイストになりたい。 だから、 ここnoteで、私が日々経験したり、考えたりするな