【雑記】大好きな物の中で大嫌いな事
【前置き】
今回は、「合わないな」と思う方も多くいるかもしれません。そして、あくまでフィクションである事を前提とした話であることはご理解いただけますと幸いです。
【本題】
僕は昔からどちらかと言えば勧善懲悪を好みます。特に物語や映画、小説、アニメなど作り物の世界でくらい良い人や良い行いが得をするので良いじゃないかと思うところがあり、悪者には退散いただきたいという気持ちが強くあります。
ちなみに、漫画や映画などでアクションがある場合で男性より遥かに強い女性がいて、戦闘のシーンで劣勢な様子を見ることはあまり好みません。男性が、女性がということではなくて、異性がダメージを受けている様があまり得意ではないのです。
似たカテゴライズではありますが、女子格闘技などはまた別になります。スポーツであれば、公正なルールに基づいて両者が合意した上で試合を行なっている為、単純に技術や気持ちを見ることが出来るし、場合によっては良い試合をと両選手を応援することもあります。
そんな勧善懲悪派の僕ですが、俗にいう悪人に対して「いや、そこは犯罪者としてやり切れよ」と思ってしまうことがあるのです。
そんな悪人や犯罪者、なかなか出会うことはないと思いますが、とある世界でよく見かけるのです。
ヒントは、船越英一郎さん、名取裕子さん、池上季実子さん、などの大物俳優。皆さん、ご存知でしょうか、ご存知ですよね?……ね?
そう、泣く子も黙るサスペンス大御所の皆様です。
少年の頃から、昼頃になると不穏なオープンニングに惹きつけられ、目を向けると、すでにポップな音楽に無駄話をしている登場人物、とにかくエロ漫画並みにシーンがぶっ飛んで、思春期並みに登場人物の感情が爆裂するのがサスペンスの醍醐味で、主役はサスペンスの水も甘い知り尽くしたベテランの大物俳優陣、もはや助演男優賞もしくは女優賞でノミネートされないのがおかしいくらい使い回される出演者の皆さん。特に、女優さんに関しては犯人と被害者、主役の奥さん、ほっこりシーンの居酒屋のママと馬車馬のように登場されており、犯人占いを演者さんで出来るほど。
僕はそんなサスペンスが少年時代から大好きでした。
船越さんはモンハンのラージャン並みに激昂しつつ諭します。犯人は、最後のターゲットを羽交締めにするようにしてナイフを突き付けます。船越さんは、さらに悲しそうな顔で犯人に話しかけます。次第に犯人の突き付けたナイフは角度が傾き、終いには、膝から崩れ落ちるのが常です。
大物女優さんの場合には、大方、突き付けられた刃物に恐怖しながらも、正義に奮い立たされるように、犯人を憎悪に飲まれる前の姿見に戻そうと、時には正しさを、時には後悔を、時には涙を犯人にぶつけるよう説得をし、最終的には、膝から崩れ落ちるのが常です。
そして、少年時代から勧善懲悪に傾倒する僕は、その犯人の崩れ落ちた膝の傷を心配しながらも、ようやくエンディングのおとぼけが見れると安堵出来るのです。
「いやー、犯人ちゃんと見つかって良かっ……て、演者的に犯人あの人しかいないのに、最後の一人以外ターゲットみんなイッてるよなー、ていうか、どう優しく見積もってもいつでもラストのターゲットイケたよなー」
そんな主観と客観がごちゃ混ぜになりながらも僕はいつも同じ結論に辿り着くのです。
「そんなことしても被害者は喜ばないィィッ」の一言で首に突きつけたナイフ下ろすくらいなら、最初からやらなきゃ良いのに。
そもそも、人の命を奪うなんてとんでもない覚悟がいるはずで、その結論に行き着くまでも、その行動を起こしている時も、その後何かしらの作業をしている時も、何度も考えたことだと思います。
こんなことして何の意味があるんだろう。
人の命を奪うくらいだから、大切な何かを失ったと考えられますが、仇討ちを良しとするか否かは事前に考えるでしょうし、もし万が一目の前で大切なひとが悔しい、悲しいと言いながら、倒れてしまったとしても、それは自分の大切な人に復讐をしてほしいわけではないと思います。
もちろん、それらも理解した上でそれでも敵をとらねばならぬ、と至ったはずです。
それなのに、それまで色んなケースを見てきた主役の皆様が、時には怒りながら、時には悲しみながら、時には涙しながら、お前の気持ちも分かる、だが待てよと諭す訳です。
主観でしか現代文の問題を解けない僕はそれを聞いていつも思います。
確かに自分だけが悲劇のヒロインというわけではないのですね、そうですね……まぁ、そういうこともあるんですね。でも、何故僕の想いを他の何かの枠組みに押し込んではめて、分かった気になってるんですか?気持ちが分かったからと言ってちょっと待つ意味が分かりませんけど、そこに整合性はありますか?
と犯人の気持ちなると思うのです、それぐらい犯行に至るまでに悲しい想いをしている犯人も多いのです(あくまでフィクションの話です)。
それなのに、犯人の方は、俺が間違っていたと膝からトクーンと泣き崩れます。
いやいや、間違ってるのは最初から分かってましたよね。僕はこのあたりからパニックに陥ります。ただ、二時間ドラマの尺も関係してすぐに連行され、事後報告があり矢継ぎ早にエンディングのほんわかおとぼけシーンへ。主役とヒロインのお兄様とお姉様がお戯れになられているのを眺めているとその気持ちもスコールのように晴れてしまうのですが。
とにかく、大体があと一人。
あと一人、トクーンすれば、復讐は完遂され、初めてその時、始めたことに意味を持たせることが出来ると思うのです。
もちろん、上手くいかずという場合もありますが、サスペンスの世界では八割型、喉元に突き立てるまで行けます。もう、クシャミでもしようものなら完遂出来るのです。
大体の犯人は、このゴールに向けて数年かけて準備をし、エジソンかニュートンかノイマンかというレベルで奇策を考えます。
それでも、途中で膝トクーンします。
そして、ふと思うのです。
それって、別の方向で頑張ればよかったんじゃない?
ちょっとオカルトですが、自分が大切な人に再会した時に″頑張ってたね″と言ってもらえるように、それだけの行動力と時間と覚悟を別の方向に使えたのであれば、被害者の方は喜んでくれるんじゃないですか?と思えてなりません。
逆の立場であれば、自分が被害に遭って大切な人が平穏無事に暮らせるのであれば、復讐なんてしてほしくありません。もし、大切な人が生を全うして再会できたのであれば、辛かったのによく頑張ったねと言ってあげたい。
もし、説得されて止めてしまうぐらいなら最初からからやらない方がいい。
それまでの犯人のターゲットなんか、サスペンスの世界では先にめためたに悪いことしてる人ばかりですから、逆に最後の一人膝トクーンして残したら絶対非難轟々だと思います。「えっ!?じゃあ最初から膝トクーンしてや」ってなると思います。
ちなみに、なんやかんや、主役の皆様も同じように「それだけ別の事に力を入れられてればっ……残念だよ……」とたまに仰せです。
あくまでフィクションの中での話ですが、もし最後に諦めるなら初めからやるべきではないし、そこまでやれる行動力と覚悟、思考があるのであれば別の方向に悔しさや辛さなどの力量だけ向けられればよかったのにと思いつつも、でもこの犯人も一筋縄ではいかなくて、原因が起きた時からずっと泣いてるんだよなと二時間ドラマを観たあとに二時間以上考えてしまいます。
大好きなサスペンスに出てくる切なくて可哀想な犯人が、最後までやりきれない中途半端さがそれこそなにも報われなくて大嫌い話でした。
P.S.
特に好きなのは、話の途中で残りの展開を予想してどれくらい合ってたか見守るのが個人的なサスペンスの楽しみで、ストーリー上の因果応報は読後感としての余韻を噛み締めてる要素が大きいです。
皆さんの中でサスペンス好きの方いらしたら、何楽しみに観ているのかぜひ教えて欲しいです!
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