エール

私はいつも、辛くなった時に思い出す言葉がある。不思議と元気になる。父から言われた一言。

私の父は柿の木だ。近所の子達はみな、人間と人間のハーフだった。私だけが柿の木の血を継いでいた。柿の木と人間のハーフなど、他に聞いたこともなければ、会ったこともない。

父はよく柿を実らせた。母の話では、私が生まれる前、父が美味しい柿をたくさん実らせるという噂を聞きつけ、農協の職員がいかにもセールスマンといった怪しい男を連れてきたことがあったそうだ。なんでも、柿農家の優秀な柿の木と父を交配することで莫大な金になる。共同事業者になるか、交配の権利を200万円で売って欲しい。母は断った。生活のためとはいえ、夫を物のように扱うことは出来なかった。母は父を愛していた。

微かな記憶がある。幼稚園児だった私が母に旅行をねだった時のこと。お父さんは旅行に行けないのよ。お母さんと二人で行きたいの?子供ながらに悪いことを言ったようで、私は悪くないと悔しい思いをしたような記憶がある。父は庭に根付いていた。気軽に出掛けられるような状態ではなかった。父が出掛けたのは後にも先にも一度だけ。

私の小学校の運動会。父がどうしても私の徒競走が見たいと言っていると母が嬉しそうに言った。担任に相談すると、業者を手配し運動会の前日には、校庭のトラックから20メートル程離れた所に父を植えてくれた。当時私は、担任が母に恋をしていると気付いていたが、そのことについて特に何の感情も抱かなかった。

運動会の日、父と話す母の姿が珍しかったのだろう。ごく一部ではあるが、保護者の視線を感じた。父の見たかった徒競走が始まった。私の番が回ってくる。私は父と母に手を振った。パン。スタートの合図が鳴る。私は一瞬出遅れた。必死で走り出す。遅れを取り戻すには私の足は遅かった。それでも私の前を走る最後尾の子に追い付いた。さすがに追い抜くことは出来ないか。そう思った瞬間、足がもつれ、私は思いっきり前方へダイブした。一気に涙が出てくる。なんとか立ち上がろうとしたその時だった。

かきっ

かきいいいい

かきいいいいいいいいいいいいいいいいいい

父が声を発した。父が話せる人間の言葉は、唯一、柿だった。多くの人は意外に感じるかもしれないが、父の声は甲高い。それは父に出来る精一杯の私への応援だった。私は転んだことが恥ずかしくて、立ち上がってゴールするのに必死だったし、父の声は聞こえていたが、何を思うこともなかった。一人暮らしを始めてから、ふとその時のことを思い出し、それから父の一言が私のお守りのような存在となった。父の一言があれば、私は生きていける。

私の好物は、皆さんの想像にお任せします。

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