【緊急投稿】おじさんはとても悲しいよ【天開司氏の神域リーグ辞退を受けて】

とてもムカついているので早速本題へ。




「訴えてみた」から24時間後の急展開

2024年2月7日正午、神域リーグの主催者である天開司さんは、以下のポストと動画を公開しました。

現時点で競技としての麻雀に対してモチベーションを保つことができない状態になってしまったため、ドラフトへの志望を辞退させていただきます。

天開さんのXより

動画は「猫ミーム」や「猫マニ」といった名前で今流行っているものに、天開さんの心情を当てはめた内容になっています。配信者としての意地が、あえてあの形の動画で表現させたように私は感じました。もっとシリアスな雰囲気にも出来たはずですが、あえてそうしなかったようです。

私はポストを動画を見た後、すぐに前日公開されたポストと動画を思い出しました。

先月行われた神域リーグ2024の記者会見で、「リーグ終了後のアンケートで40%の選手がリーグ期間中に不快な思いをしたという結果が出た」と明かされましたが、そのうちの1人が天開さんだったというわけです。

私は悪質な書き込みをした者に対して損害賠償命令が出た判例を知っていただけに、天開さんが訴訟や示談に持ち込めなかったことを意外に思いました。アクセスプロバイダのログ保存期間が3ヶ月間のみだったり、コンテンツプロバイダがなかなかIPアドレスの開示に応じなかったりと、「出るとこ出る」のにそれほどまでハードルが高いとは。その結果、「だったら楽勝じゃん」だなんて思うヤツが湧いてこなければいいのですが。

私は天開さん自身でもないし、天開さんの友達でもないので、天開さんの真意はわかりかねます。「主催者が辞退することで打牌批判への警鐘を鳴らせる」などと考えたのかもしれませんが、そんなものはあくまで憶測の域を出ません。しかし、主催者が出場を辞退したという事実は、重く受け止める必要があります。主催者が楽しめない大会って、ホントに良くないですよ。


「note書こうぜ」と私は勧めてみたものの

私ごときのnoteが多大な影響力を持っているだなんて、これっぽっちも思っていません。とはいっても、「神域リーグ2024」でググれば私のnoteが割りと上位でヒットするので、やはり責任を持ってnoteを公開すべきでしょう。よって、私も様々なことを勘案してnoteを書く必要はあります。

打牌批判に関して、私は以前「note書こうぜ」という提案をさせていただきました。意図としては、「noteなら短文投稿とは違い、じっくり考えて意見できるだろう」というものがあったんですね。反射的に書き込むものって、どうしても感情的になりやすいものですから。noteであれば、少しは冷静になって意見できると考えたんですよ。

ところが、あるVtuberさんのポストを見て、私は愕然としました。そこには、
「(雀魂の)段位戦を配信でやらなくなった」
「配信の打牌を勝手に検討してnoteでまとめられた」
「配信でやってなくても牌譜を見て検討して送りつけられた」
などといった文章が。もちろん、note書きの私は2つ目の文章に注目せざるをえませんでした。

私は当該noteを読んでいないので、内容に関してどうとも言えません。「この人の打ち方にはこういった傾向がある」といった感じの客観的な事実を並べただけのものであれば、まだ価値はあったのでしょう。しかし、本人が不快に思ったのであれば、そのnoteは公開すべきものではなかったということになります。

私も神域リーグのnoteを何本か書きましたが、選手の打牌を評価することは書いていないはずです。放銃などがあったとしても、事実を提示しただけに過ぎません。もちろん、天開さんの「選手に打牌批判をしないでほしい」という意向を汲んだがゆえの表現に留めています。それに、私は麻雀の打ち回しに関して、他人にどうこう言える立場ではありませんから。

それでも、私のnoteが曲解して伝わったとすれば、それは痛恨の極みです。「神域リーグ_つまらない」というキーワードで検索すると私のnoteがヒットする状況も、私の本意ではありません。ともあれ、どんな大会でもそれぞれのルールを設けているものなので、それを遵守するのは当然のことです。主催者が「選手への打牌批判をしないでほしい」とお願いしている以上は、いくらnoteで文字数をかけて丁寧にやったとしても、神域リーグにおいては選手への打牌批判をするべきではありません。


ドラフト会議までに「やっぱり出ます」と言ってほしい

そもそも天開さんは「ドラフト会議までに(雀魂の段位である)雀聖にまで上がれなかったらドラフト指名を辞退する」と公言していました。よって、はじめから天開さんがドラフト会議に参加しない可能性はあったわけです。私はその条件を必ずやクリアすると信じていましたが。

どころが、ドラフト会議まで多くの時間があったにもかかわらず、天開さんはドラフト辞退を申し出ました。実力的にはいつか雀聖に昇格できると考えていますが、「モチベーションの低下」を理由に挙げている以上は、雀魂をプレーできるメンタルにはないということでしょう。楽しくなければ無理にプレーする必要などありません。天開さんは麻雀プロではないのですから、自由にやればいいのです。

しかし、自由にやればいいからこそ、逆に「やっぱり神域リーグに出たいです」も許されるのではないでしょうか。「ドラフトまでに雀聖」とか、そんなのどうでもいいんです。ドラフトまでまだ時間があるのだから、また気が変わったってかまいません。

そもそも神域リーグって、「配信者もMリーグみたいに麻雀のチーム戦をやってみたい」という、天開さんの夢を形にしたものではなかったでしょうか。だったら、その言い出しっぺが神域リーグにいないのはおかしな話です。やはり、どこかのチームに「天開司選手」がいないと、神域リーグは始まりません。

そうはいっても、やりたくないことを無理強いすることなどありえないでしょう。結局は、天開さんの気持ち一つということになります。無駄かもしれませんが、私は天開さんの「やっぱり神域リーグに出たい」を待たないことなどできません。勝手に待っています。


「麻雀プロに対して批判するのはかまわない」に違和感

そういったことがあったからなのか、とあるMリーガーの方がこういったポストを投稿しました。

「アマチュアの方に対する辛辣な打牌批判はやめようって促すのは素晴らしい」
「麻雀プロにも批判するなよってそれは違う」
「プロなら批判されても気にならないくらい選択に誇りを持つべき」

といった感じでしょうか。やはり真意は御本人に尋ねるよりないのですが、「アマチュアには優しく」「プロには厳しく」と言ったように私は捉えました。何の競技のプロでもない私には未知の領域ですが、プロというものは覚悟を持って活動すべきだということなのでしょう。確かに、「プロは批判されてナンボ」といった話はよく聞きます。

しかし、それでもプロに対して批判するのは、よほどのことがない限り慎むべきです。まず、その道のプロに対して中途半端に意見しても、大抵のものは聞き入れられないのではないでしょうか。よほど筋の通った意見でないと、プロには響かないはずです。

ましてや、短文投稿でプロに意見しようなど、無謀としか言いようがありません。短い言葉で赤の他人を説得するのって、よほどの技術がないと無理ですよ?私もnoteなどを通じて「文章でお金をいただく」立場ではありますが、文章で人の心を動かすのって難しいんです。お陰様で、私のnoteは今年に入り通算8万ビューを超えましたが、スキの数は1000行くか行かないかですよ。


批判するにもやり方がある

ここからは以前公開したnoteの繰り返しにもなるので、私のnoteをよく読んでくださる方には不要かもしれません。しかし、大切なことなので、ここでも同じようなことを書かせていただきます。

仮にプロへの批判が認められるものとします。でも、批判にもやり方というものがあるのですよ。それを欠いているものがほとんどだから、大多数の批判が受け入れてもらえないわけです。「言論の自由」を履き違えてはいけません。

実社会でも「〇〇しろ!」「〇〇するのはダメだ!」って言われたら、カチンときませんか?「〇〇や〇〇といったメリットが期待できるので、ここは〇〇したほうがいいと思います」とか、「それでは後に〇〇する危険性があるので、〇〇するのはやめましょう」とかなら聞けるじゃないですか。知り合いに言うのはまだしも、YouTubeのチャット欄で「〇〇しろ」「〇〇はダメだ」って言っても、配信者に聞いてもらえる訳がないでしょう。配信者はあなたの友達じゃないんだから。

短文投稿って、合理的な説明をすっ飛ばすことが多いから、言い方がキツくなるんです。つまり、命令文に近くなるわけですね。配信中でも何でも、赤の他人から命令なんてされたくないじゃないですか。だから、迂闊にコメント欄やチャット欄に短く書き込まないほうが良いんです。

これはあくまで私の線引ですけど、私は2023年後半からABEMAのコメント欄はもちろん、YouTubeのチャット欄に書き込むのを原則控えています。ライブ配信後にコメント欄に書き込むことは稀にありますが。私にはnoteがありますし、それに私のコメントでライブ配信の流れをぶった切ることはしたくないんです。

よく「言葉に責任を持て」などと言うじゃないですか。ライブ配信のコメントも言葉だし、批判も言葉なんです。実生活で許されないことが、2次元では許されることなどないですからね。ルールを守ってコメントや批判といったものをすべきなのです。


誹謗中傷と批判の区別すらつかない〇カが多過ぎる

私のnoteでも打牌批判について何度か取り上げましたが、noteを準備する際に絶句したことがあったんです。それは、「誹謗中傷と批判の区別がつかない」という意見があったこと。

ここで「誹謗中傷と批判の違い」について述べても良いでしょう。しかし、「その前に2つの違いについて自分なりに調べてみましたか?」と聞いてみたいですね。調べればわかることだし、一般的な道徳心さえあれば「やっていいことと悪いこと」くらいは判断できるんです。誹謗中傷が絶対ダメなことくらいわからないと。

批判することって、本来はとても難しいことなんです。判断基準がしっかりしていないと、批判なんてとてもできっこないはず。「誹謗中傷と批判の区別がつかない」人に、確固たる判断基準があるとはいえませんよね。

そういう方は、誹謗中傷はもちろん、人を批判するのもやめたほうが得策です。批判1つで争いに発展するのはよくあることですからね。ケンカにならないように批判するのって、物凄く難しいですよ。

もちろん、公衆の面前でケンカしたら、それは迷惑になります。ネット上でも同じこと。ネット上で厄介事を起こされたら、それを見て萎える人は多いでしょう。

「誹謗中傷と批判の違い」がわからなければ、無理してコメントする必要はありません。わかるまで控えればいいんです。言わなくても良いことを言うなどありませんからね。他人が怒ったり悲しんだりしないようにするだけのことです。


麻雀で打牌批判は「なじまない」のでは?

これもあくまで私見ですが、麻雀では打牌への批判が「なじまない」と考えています。「批判することを否定する」というより、「そもそも批判という行為自体が適さない」といった感じです。

麻雀が「運ゲー」であることに異存がある方は、ほとんどおられないでしょう。ここで誤解してはいけないのは、運ゲーだからといって「麻雀という競技をバカにしている」訳ではないということです。運の要素が大きいという特性があるに過ぎず、そのために麻雀という競技の面白さや奥深さを損なっていることなどありません。

運の要素が強いということは、予測不可能な部分が多くなるということです。たとえば、牌山がどのように積まれているかなんて、「神のみぞ知る」領域ではないでしょうか。効率や確率といったものはある程度介在するのでしょうけど、運という要素が色濃い以上は、そういったものって麻雀という競技を構成するためのほんの一部にしかならないでしょう。

ほんの一部でしかないものを持ち出して、「あそこはこうすべきだった」「あれはダメだった」などと断定するのはふさわしくないはずです。「こういうやり方もあった」「私ならこう打っていたかもしれない」とかだったら、まだ聞く価値はあるのでしょうけど。麻雀が運ゲーだということをわかっていれば、そういう物の言い方しかできないはずです。

だからこそ、麻雀で打牌批判は「なじまない」という意見を私は持っています。断定しづらいものを批判するなんて、とても難しいでしょう。麻雀にもセオリーなるものはあるかもしれませんが、果たしてセオリーだけで勝てるほど単純なものでしょうか。

いろいろな要素が複雑に絡み合うからこそ麻雀は面白いと、私は思っています。だからこそ、チャット欄の数文字だけで打牌をどうこう言えるはずはないんですよね。短い文字だと感情的になったり命令口調になったりするので、そんなものを配信者さんがリアルタイムで目にしたら、気分が悪くなるに決まっているでしょう。

自由度が高いのが麻雀の良さであるはずですよ。打ち手の自由にさせておけばいいじゃないですか。プレーヤーの意思を尊重すべきです。麻雀プロでもアマチュアでも、プレーヤーへのリスペクトは大事。


思っている以上に人は簡単に「いなくなる」

私がここまでしつこく書くのには理由があります。それは、私の目からは事の重大さを認識していない人が多いように映るからです。人って、思っている以上に簡単に「いなくなる」んですよ。

最近でも、「原作に忠実な作品にしてほしかったのに脚本は大幅に書き換えられた」ことを理由に、「いなくなった」漫画家の方がおられました。昨年には、ジェンダーフリーの立場で活躍されていたタレントさんが「いなくなった」ことがありましたよね。リアリティーショーに出演していたプロレスラーさんが、SNSでの誹謗中傷が原因で「いなくなった」こともありました。

「いなくなってしまいたい」という気持ちがわからない人に、私は安易に意見してほしくはありません。そんな気持ちを抱えながら生きているのって、とても辛いことなんですよ。私にはそれがわかるからこそ、こうしてnoteを書かせてもらっています。

時に言葉は刃となるんです。刃で切りつけられたら痛いって感じるのって、当たり前じゃないですか。不必要な打牌批判で切り刻まれた天開さんは、さぞかし痛い思いをしてきたはずです。神域リーグを毎回楽しみにして、神域リーグをnoteでおすすめしている者にとっては、主催者の方がそうなるのを見たくなどありません。

「選手への打牌批判はやめてください」と言っているのに、それを守れない人は、神域リーグから出ていってください。ルールを守れない人が退場を言い渡されるのは、どの競技でもあることです。神域リーグが選手への打牌批判を求めていない以上、求められていないことをする必要はありません。

神域リーグの本配信だけを見る限りは、チャット欄でネガティブなコメントを発する人はほぼ見かけず、ほとんどの方がマナーを守って観戦していることがうかがえます。だからこそ、神域リーグは胸を張っておすすめできるコンテンツだと思っていたのに、ごく一部のヤツのせいで胸糞悪くなるとは。「やめてください」と言っていることを、平気でやってしまうヤツの気が知れないわ。何かあってからじゃ遅い。

おじさんはとても悲しいよ。


おしまいに

最後に、私もモチベーションを保つことができないので、今後は神域リーグ2024に関してnoteを書かないつもりです。他にも素晴らしいnoteを書くクリエイターさんはいらっしゃるし、私もちょっと忙しいし。最初からそうなのですが、私は陰ながら神域リーグ全体を応援するというポジションを取らせていただきます。天開さんが「やっぱり出る」って言うなら別だけど。

神域リーグを取っ掛かりにして、その後Mリーグの視聴を始めたり雀魂を打ち始めたりしたなんて話を、私は何十回も聞きました。神域リーグ自体はまだ2シーズンだけの開催なのにもかかわらず、既に麻雀という競技の普及に大きく貢献しています。だからこそ、しょーもない誹謗中傷や過度な打牌批判を許さないよ私は。みんな、マナーを守って神域リーグを応援しようぜ!


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