音楽との向き合い方

 子どもの頃は音楽を好んで聴いていたという記憶がない。今のように端末を持ち歩くということがなかったということもあるかもしれない。(なぜか森進一の”冬のリヴィエラ”をテレビの前で、カセットテープで録音していた記憶がある。サビのとこは未だに頭に残っている…)

 ただ、高校生の頃に同級生が洋楽を聴いていたので、色々と教えてもらって聴いた。ガンズ・アンド・ローゼズやモトリー・クルー、ボビー・ブラウン、MCハマーなんかがパッと記憶に蘇ってくる。友達に教えてもらっただけなのに、洋楽を聴いていることがとてもカッコいいと感じられた。

 大学生になって、同じ寮に住んでいた同期でひとつ下のヤツが音楽好きで、それはそれは凄かった。一体部屋に何枚のCDが積み重なったいるんだろう!?なんて驚いたことを覚えている。その彼から、ロッキン・オンという雑誌を教えてもらって読み始めた。まるで知らないバンドがたくさん紹介されていて、その彼とあれやこれやと話したのがとても楽しかった。バイト代をCD代に結構つぎ込んだのを覚えている。

 ただ、大学当時の、自分の音楽への向き合い方にずっと違和感があった。ただ、そのことは自分の意識下にはあるものの、そして分かってはいるものの、でもロッキン・オンを読んで新しいバンドのCDを買って聴くのがカッコいいことだと思っていた。

(いまは分からないが)当時のロッキン・オンでは、後ろのほうに今月のイチオシの新譜のコーナーがあった。特に一番最初に紹介されている新譜はロッキン・オン編集部イチオシという位置づけだったと思う。そのCDを買っては”やっぱ、いいなぁ”なんて思っていたものである。

 がしかし、ちょっと考えるとおかしな話である。試聴もろくにせずに、雑誌で紹介されているCDを買って、良いと判断するのって。どこにも自分の判断が出てきていないのである。雑誌は雑誌で今月のイチオシを判断しているので、それは何の問題もない。問題は自分である。他人の力を借りて、自分がイケてるみたいな感じになっていたのである。なんとも恥ずかしいことだ。もちろん、若さゆえの未熟さということもあるだろうし、そもそも音楽を聴いていた量が少なかったので、自分の好みの音楽が確立していなかったというのもあったのだろう。

 その後、30代はあまり音楽を聴いた記憶がない。そんな音楽の聴き方に自分自身で嫌気がさしていたのかな!?と思う。

 ただ、最近になってまた聴きだした。きっかけはApple Music である。自分ひとりではサブスク代を毎月払ってまで聴こうとは思わなかったが、子どもが音楽を聴くくらいに成長してきたので、ファミリープランに入れば家族が自由に好きな音楽に触れれるかなと思ったからである。

 いまはロッキン・オンも購入しておらず、Apple Music で適当に聴いてみて、良いなと思ったものをダウンロードして、シャッフルして聴いている感じだ。はっきりいって、バンド名の読み方すら知らなかったりするが、自分の耳で聴いて良いなと直感したものを選んでいるので、かつてのような音楽に向き合う違和感はない。本当に聴いていいかどうかだけである。

 ただ、そんな”聴いていいかどうかだけ”という判断基準も、かつてのカッコつけだけで聴いていた時の音が自分のベースになっているような気もする。もちろん、あの頃はUKロックをメインで聴いていて、いまはそれとは少し違うものを(実は違うかどうかも分かっていないのだが…)聴いているが、それでも自分の音楽の好みはまちがいなくあの大学時代のカッコわるい音楽との向き合い方があってこそだと思える。それは先日、コンサート等のスタッフを長くやっていた方と話をした際に、”音楽って若い時に聴いたものが自分のベースになっていくんですよね。だから、うちの若いスタッフの子たちにも「いまのうちにこだわりなく色々と聴いておいたほうがいいよ!」って伝えてます。”という言葉を聞いて、スッと腹に落ちたからだ。

 いまは自然体で気負わず音楽を聴けているような気がする。その事実が自分にとってとても心地がいい。

 (今日はこの辺で)

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