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第1話プロローグpart3

 暗い廊下にコツコツとヒールの音が響く。冷たいリノリウムに残響の跡をつけて行くその女性は、豊かな金髪を不機嫌そうに弄りながら、仕切りに周囲の様子を伺っていた。

 彼女の名前はモーヴェ。美しい顔だちと妖艶な雰囲気を持ち合わせている美女である。この研究所と称している会社で秘書として働く傍ら、モデルの仕事もこなしていると分かれば、恐らく十人中全ての人が「やはり」と頷くだろう。しかし、今の彼女は、そんな美しい容姿に疲労の色と皺を滲ませて憤怒の表情を見せている。一体何が彼女をそこまで憤慨させているのだろうか。
 やがて、彼女は扉を開け放してある部屋の入り口で立ち止まると、腕を組んで声を荒らげた。

「ちょっと! ソンブル!? いるんでしょ!? 早く出てきなさいよ!」

薄暗い部屋にモーヴェの声がこだまする。すると、その声に反応するように奥の方からガサリと物音が聞こえ、濃い紫色の髪と、目付きの悪い銀色の瞳を持った少年が姿を現した。
 眠そうに瞬きをし目を細めるこの少年の名はソンブル。彼はモーヴェの姿をとらえると、あからさまに嫌そうな態度で舌打ちをした。

「はぁ、うるせぇな。さっきからずっとここに居るよ。何だよ、声を荒らげて」

 ローテンションのまま無造作に髪をかき上げて、ソンブルはモーヴェを威圧するようにため息をついた。しかしモーヴェは、そんな彼の顔には目もくれず。彼の首筋に隠れるようにしてかかっている銀色のチェーンを見つめながら、神妙な顔つきで語り始めた。
「大変なことになったわ。エクラ王国があたし達の居場所を突き止めたの」
そこで言葉を区切ると、モーヴェは紅く染まった唇を歪め、ゆっくりと、皮肉めいた口調で言った。
「あんたのオトモダチの事よ」
「は……!?」

 途端にソンブルの顔が険しくなる。モーヴェと距離を取るように、彼が後ろに後ずさると、机の上に置いてあった大量の資料にぶつかり、紙の山がドサドサと音を立てて崩れていった。
「あーあ、それ、デザストル様に頼まれていた調べものの資料でしょう?これくらいの事で動揺するなんて、無様ね」
「はぁっ!? 誰が!」
 慌てて反論するも、モーヴェの言葉に反応してしまったのは事実だ。ソンブルは、視線を床に落とすと、きつく唇を噛み締めた。

 「何で今になってあいつが……と言うか、その言い方はやめろ! あんなやつ、思い出したくもないっ…!」

最後の方は叫びに近い声だった。ヒステリックになりながら、ソンブルは勢い任せにダンッと机を殴る。

 「思い出したくもない、ね」
モーヴェは、彼の近くにつかつかと歩いていくと、首のチェーンをぐっと引っ張った。
「いっ……!? 何すんだてめぇ!」
「よくそんな事言えるわよね。こんなもの持ち歩いて、未練たらたらの癖に」
「っ……」

チェーンに繋がれていたのは、表面の造形が美しい縦向き楕円のロケットペンダントだった。ソンブルの胸元に顔を寄せ、モーヴェはロケットを開く。中に入っていたのは、4人の子どもが写っている、少し色褪せた写真だった。
 今より快活で柔らかな笑顔を見せているソンブル、彼に良く似た1つ下の妹、桃色の髪が特徴的な5歳程の幼女、そして──
「この子よね、あんたのオトモダチ」
 モーヴェの目が、少女のように愛らしい無邪気な微笑みを捉えた。ソンブルの肩に、親しそうに手を回す青髪の美少年。彼が、今回の標的、その人である。
「随分と頭が良い子なんですってね。可愛い顔してやる事はえげつなさそう。捕らえたらどうしてあげようかしら?」
「やめろ、離せよ」
「デザストル様から許可が出たら、あんたに引き渡してあげても良いわ。そうそう、お付きのガキは馬鹿そうだし、使い物にならなかったら排除しちゃっても良いわよね」
「いい加減にしろよ! お前には関係ないだろ! 黙れ!」

 バッとモーヴェの手を振り払い、その反動でぐらりとよろける。胸元を整え、ロケットを服の裏に垂らしつつ、ソンブルはキッと彼女を睨んだ。その鋭い視線に、流石に踏み込みすぎたと思ったのか、モーヴェはからかうのを止め、再び腕を組んだ。
「あっそ、じゃあ言わないでおいてあげる。本題はここからだしね。……あいつら『伝説の戦士プリキュア』を探してるみたいなの」
「なっ、プリキュアって、あの『神話』の……?」
 ソンブルの脳裏に、遠い記憶が蘇ってきた。彼の祖国に伝わる神話、神々と同じだけの力を持ち、世界を救う、伝説の戦士……。

(馬鹿な。そんな事があってたまるか。だが、あいつらが根拠のない神話を信じるとも思えない。ただの伝承じゃなかったのか?)

 眉を寄せ、妙な顔をしたソンブルを見て、モーヴェはため息をつく。大方、似たような事を考えているのだろう。あの国に伝わる神話は一通り調べたが、本当に存在しているのかどうか疑いすら抱くような、僅かな情報しか集まらなかった。
「そう。所詮作り話だと見くびっていたけれど、まさか本当に存在しているなんてね」

 モーヴェは現物を見ていない。しかし、伝説の戦士の存在を裏付ける証拠は『彼』から聞かされていた。
 彼女は、ちらりとソンブルの後ろを見やる。一体いつの間に。足音ひとつ、気配のひとつをも、察する事が出来なかった。

背後に『彼』が立っていた。