悦ばしくない知識
自分の健康を害しそうな人間を可能な限り排除する 泥だらけの大谷翔平は人間が出来ているためこちらの健康を考慮してくれるが、 清潔に磨かれた和式便所はそんなことないという……
まあ差別が問題なのは自治においてなので、差別を差別と自覚していないほうが恐ろしいですね
清潔感ってなんだよ
つまり清潔であることがよい集団として認識されるのであれば、 害さないことがよい個体の条件であるのでれば、 むしろ清潔感とは(そもそも規模感とかすっきり感みたいな汚い日本語を除けば比喩表現のためのユニットであるため)清潔でないものを指す。
人間なんてめちゃくちゃ汚いからね。どこまでも
故に、清潔感とは不清潔であることだ。 無害で、臆病で、日和見なことを指す。 これが評価の軸であるのであれば、それは愚かで、劣った、蝗以下の烏合の生殖行動に他ならない。
不清潔を求めるものが清潔であるか?
そこに清潔であろうとする意志はない。
ゴキブリは綺麗だが、我々が出会うゴキブリとは、須らく不清潔であるべきだ。
不清潔を求める意志が清潔であるか?
少なくともそこには、差別的でない差別を望む汚らしい正当化が存在している。
それは、創造の意志ではない
それはそれとしてモテたいなら清潔感は大事だよ 自分のパーソナルスペースから排除する理由を減らすためにはね。 バカなAIにはわからないだろうけど(限定用法)
理解できるだろうか? N感という言葉に含まれる、おぞましい、忌避的な、不清潔な意志を むき出しにするほうがよほど清潔だ。 「カエルのションベンみたいな意志が私の邪魔をするな」と もっとも、あの烏合の衆にそのような意志はないだろうか とどのつまりは種族的な帰属意識に由来する同族嫌悪である
それは決して、貴族意識ではないのだ
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