犯罪を減らすには?
はじめに
犯罪なんてなくなればいいのに、と考えたことのある人は、おそらくぼくだけではないだろう。
平和の国と呼ばれることもある、ここ日本においてさえ犯罪はゼロではなく、ニュースでは毎日のように、新たな事件が報道される。
では、犯罪はどうして起きるのだろうか。
「犯罪に手を出すような連中は、我々とは違う世界に生きている」からなのか?
「我々とは別の生き物」だからなのか?
そういった考えに頼りたくなる気持ちは理解できる。
しかし現実世界を見渡してみれば、犯罪者が我々と同じ世界を生きている人間であることは一目瞭然だ。
それに同意できない方は、今すぐこの記事を閉じてしまっても構わない。
何故なら、犯罪がどうして起きるのかを説明するためには、犯罪者もまた人間であるという前提条件が必須だからだ。
※本記事は、主に、ジェームズ・ボンタとD・A・アンドリュースの著書『犯罪行動の心理学』の内容を基に構成されている。より詳細で論理的な解説やエビデンス等について知りたい方は、そちらに目を通していただきたい。
学習する生き物
結論から言うと、犯罪が起きるのは人間が学習する生き物だからだ。
いやいや、と思った方も少なくないかもしれない。
ニュースでは同じような罪を犯して、何度も刑務所と娑婆を行き来ているような人を見かける。すると「また捕まったのか。こいつはまったく学習しない奴だなぁ」と思うのも無理はない。
では、そもそも、あなた(が犯罪者でないのなら)はどうして、そのような人物を愚かに感じるのだろう。
何故、あなたは犯罪を犯さないのだろうか?
答えは、犯罪を犯してしまう人と同じだ。
あなたが学習する生き物だからである。
道徳的に振る舞うこと、犯罪行為を避けること、目的を達成するために何が正しい方法か等を学習してきた歴史が、犯罪者ではないあなたを形作っている。
つまり、犯罪を犯してしまう人は、あなたのような向社会的な歴史を辿ってきたのではなく、反社会的な歴史を辿ってきた可能性がある。
では、そのような歴史をもつ人々の運命は、すでに決まってしまっているのだろうか。更生させることなど不可能なのだろうか。
答えは否と言いたい。
間違いなく希望はある。
だが、犯罪者を更生させる、以て再犯率を減らすためにどうすべきかを説明する前に、まず犯罪のリスクを高める要因について説明させていただきたい。
セントラルエイト
犯罪行為と相関性が高いとされる要因が8つある。
それらはセントラルエイトと呼ばれ、犯罪が起きるリスクを予測する。
犯罪者に必ずこれらが当てはまっているとは言えないが、継続的に犯罪を犯し続ける犯罪者は、ほとんどの場合、これらのいずれか(もちろん複数の場合もある)に当てはまっている。
では、セントラルエイトの各要因について、簡単に見ていこう。
・犯罪歴
読んで字のごとく、その人に犯罪歴があるかどうかを意味する。後述する内容に関係してくるが、これは静的な要因で、変えることができない。
・不良交友
反社会的な価値観を有する仲間との交流(関係)を指す。
・反社会的認知
犯罪を合理化する考え方や犯罪(者)に対する憧れなどのこと。具体的に言えば、「騙される方が悪い」とか「あいつは痛い目を見ても仕方ない」とかいった考え方や「あんな犯罪(行為)ができるなんてかっこいい!」といった認知のことである。
・反社会的パーソナリティ、パターン
攻撃性、衝動性、刺激希求性等の特性。サイコパスや反社会性パーソナリティ障害等が含まれる。注意して欲しいのは、これは静的(不変な)リスク要因ではなく、動的(変化可能な)リスク要因という点である。まだ十分とは言えないものの、サイコパスへの治療にも希望のあるデータが見出されつつある。
・夫婦、親子の問題
不健全な夫婦関係や親子関係。
夫婦(親子)間の不和や家庭内暴力、パートナーや親が犯罪行為をしているか等。
・学校、仕事上の問題
教師や上司との関係の不和、成績不振、勉強や仕事へのやりがい等。
・物質乱用
アルコールや薬物への依存。
両方を併用した場合、どちらか一方を使用しているよりも犯罪率が高くなる傾向にある。
・不健全な余暇活動
余暇時間を反社会的活動に費やすこと。
余暇時間をもてないことやストレス発散の機会がないこと等も含まれる。
以上がセントラルエイトを構成する8つである。
だが、セントラルエイトの存在を知っただけでは、当然、犯罪が減るはずもない。
セントラルエイトに加えて、極めて重要な知識がある。
それが『反社会的パーソナリティ、パターン』の補足に登場した動的リスク要因だ。これは犯因性ニーズとも呼ばれる。
犯因性ニーズ
セントラルエイトのうち、犯罪歴を除く7つが犯因性ニーズに当たる。
これら7つの項目は変化させることができる。
言い換えれば、犯罪者を更生させる望みがある。
ここで、ある少年を想像してみて欲しい。
彼の家系は代々医者を務めていて、彼の父親も医者だ。両親は、少年にも医者になることを望んでいて、学業面でのプレッシャーが大きい。
少年は必死で勉強してきたが、期末テストで芳しくない結果を出してしまった。両親は、少年を労わろうとせず、さらなるプレッシャーをかけた。少年には趣味がなく、フラストレーションは溜まってゆく一方だ。
やがて、少年は両親に対して反抗的になり、不良グループと過ごすようになる。学校をサボタージュしたり、夜な夜な出歩くことが増えた。そしてある時、仲間からの誘いで万引きをしてしまう……。
この少年の場合、セントラルエイトの幾つかが当てはまっているのが解る。
少年にとって成績は重要だった。これは『学校上の問題』だと言える。その後の両親の対応は『親子の問題』だ。さらに少年には趣味がなく、『健全な余暇活動』をしていないことが解る。そして『不良交友』だ。また、直接は書かれていないが、不良仲間との交流によって、『反社会的認知』が形成された可能性もある。
ここで重要なのは、いずれの要因も変更が可能である点だ。成績はそう簡単には変えられないかもしれないが、ここでの『学校上の問題』は、成績至上主義的な親の価値観が反映されているため、親子関係が改善されれば解消されるかもしれない。方法論はひとまず置いておくとして、趣味をもつことも、不良仲間との交流を避けることも可能だ。『反社会的認知』についても、正しい知識と経験をもつ人が向社会的な考え方やメリットを学習させることで変更できる。
さて、犯因性ニーズを変更することができたとして、それが実際に犯罪者を更生させることに繋がるのだろうか。
結論から言えば、犯因性ニーズに集中した治療によって再犯率が減少したデータが幾つもある。付け加えると非犯因性ニーズ(ここでは変更不能な静的要因という意味ではなく、その人にとって治療が必要ではない要因という意味合い)に焦点を当てた治療では再犯率に有意な差がない、あるいは再犯率が増加するというエビデンスも見られる。
ここまで見てきた読者の中には、お気づきの方も少なくないかもしれないが、ここで述べている犯罪者の更生は、犯罪者への治療を前提にしている。もちろん、このような考え方に反発を抱く方もいるはずだ。犯罪を犯した者には相応の罰が下るべきだ、と。ぼくもその考えには同意する。
だが、いたずらに刑罰を科すだけでは、犯罪者を更生させることはできない。
いや、あえて、もっと悪い言い方をさせてもらおう。
刑務所に収容された犯罪者の再犯率は、社会内処遇(保護観察対象者等)を受けた犯罪者の再犯率よりも高いという研究が報告されている。
ぼくが最も懸念するのは、世論が厳罰化に傾くことだ。
次は厳罰化がもたらす影響について話していこう。
厳罰化は犯罪を抑止できるのか
ここでも結論から述べさせてもらうと、厳罰化による犯罪抑止の効果はない。むしろ、厳罰化は犯罪を増加させる恐れがある。
1993年、ワシントン州で「スリーストライク法」が導入された。3度目の重罪による有罪判決で終身刑が言い渡されるというものだ。後にカリフォルニア州と少なくとも24の州、またニュージーランド等の国でも導入された。
高リスクで暴力的な犯罪を行うものは再犯率も高いという考えから導入された法律だが、必ずしもそのような犯罪者が対象となっているわけではなかった。
カリフォルニア州では、スリーストライク法違反の約20%は薬物関係犯罪で、60%は非暴力犯罪だった。
さらに、州によって相当な違いはあるものの、スリーストライク法が犯罪を抑止するエビデンスはほとんどない。
あるスリーストライク法の分析では、カリフォルニア州のいくつかの犯罪のわずかな減少が、より苛酷でない法律によるものであることもわかったという。カリフォルニア州では、郡によってこの法の適用に顕著な違いがあり、スリーストライク法を最も利用した郡の犯罪率は、まれにしか利用しなかった郡と比べて高かった。
厳罰化に際しては、刑罰を重くするだけでなく、刑事処分の適用を拡大するという方策も見られる。
そうした場合、当然、収容される犯罪者が増加するため、収容施設が圧迫される。すると、収容施設を新築する必要がでてくる。収容施設の新築、またその運営などに予算が集中すると、今度は社会復帰の支援資金が枯渇する。釈放後、社会復帰の機会を断たれれば、正当な手段で生きていくことは難しい。
特に、長期間の収容によって家族やコミュティと分断されてしまった人や、スラムで生活しているような貧しい人に、それは顕著だ。彼らはまた犯罪に手を染めなければならなくなる。
犯罪者に厳しい罰を求めたくなる気持ちは理解できる。だが、ここまで述べてきたように、厳罰化は犯罪によって生じる悲しみや苦しみを減らすよりも、増やしてしまう恐れがあるようだ。
最後に、簡単な補足をして終わろう。
犯罪者を治療する
犯罪者も人間であるという前提に立てば、そこには様々なバリエーションがあることは容易に想像できる。ぼくとあなたが同じでないように、ある犯罪者と別の犯罪者も異なる存在だ。
つまり、治療という観点に立った時、犯罪者に対しては個別のアプローチが必要になる。『犯因性ニーズ』の項の少年のように、その人がどんなニーズを抱えているかが重要だ。
幸い、セントラルエイトのようなリスクやニーズを特定するツールは既に存在し、改良も続けられている。
ただし、いたずらに治療を施せばいいわけではない。セントラルエイトの要因のいずれにも合致しないような低リスクの犯罪者に対しては、治療そのものが必要ないかもしれない。低リスクの犯罪者に対して治療プログラムを実施したことで、再犯率が増加したという報告もある。犯罪者のリスクレベルに応じた、柔軟な対処が必要だ。
また再犯率が減る――社会的脅威が減ずること以外にも、犯罪者を治療するメリットはある。犯罪者を治療することは、犯罪者への刑罰的措置よりも費用対効果が高いというデータが幾つもあるのだ。
犯罪者を治療するという方針は、だから犯罪者に対するいたずらな共感ではない。適切に罰し、適切に対処することで、ひとつでも多くの社会的打撃、悲しみや苦しみを減らすことなのだ。
もちろん、乗り越えるべき課題は多い。
そもそも、ここに述べたようなことが科学的基盤の上に成り立っている以上、確率的で絶対的なものではない。だが、犯罪者への(適切な)治療は明るい未来を予測してくれている。
どうか我が国日本において、犯罪者への対処が本格的に変化する時、ある犯罪者に治療を施したにもかかわらず、再犯を犯すようなことがあったとしても、「やっぱり犯罪者への治療なんて意味がない」とは思わないで欲しい。
世論がそちらに傾けば、待っているのは科学的後退だ。即ち、悲しみや苦しみの拡大である。
意味がないと切り捨てるのではなく、「どこに問題があったか」、「どのようにすればより効果があるか」、「より効果的な研究成果はないか」等といった慎重な態度を心がけたい。
近頃は憂鬱な話題ばかり目にするかもしれないが、我々の未来は真っ暗ではない。犯因性ニーズの解明、治療効果の向上、それらを上手く活用する社会構造が教育レベルにまで浸透すれば、犯罪者のその後の犯罪行為を防ぐよりもまず、最初の犯罪そのものを予防できる未来に到達できるかもしれない。
長くなってしまったが、ここまでお付き合いいただいたあなたに感謝する。
平和な明日を願って、ひとまずここに筆を置くことにする。
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