神経発達症における精神障害者保健福祉手帳の判定

 外来で書類の記載に関して親から殴り込まれた件。神経発達症(発達障害)で知的障害のない場合には精神障碍者保健福祉手帳の発行を受けられる場合がある。色々調べた内容。

 精神障害者保健福祉手帳制度の目的は、一定の精神障害の状態にあることを認定して交付することにより、手帳の交付を受けた者に対し、各方面の協力により各種の支援策が講じられることを促進し、精神障害者の社会復帰の促進と自立と社会参加の促進を図ることであり、平成7年(1995年)に創設された。平成 23 年にそれまで障害者としての位置づけと支援が不十分であった発達障害及び高次 脳機能障害について、精神障害者保健福祉手帳の診断書が各疾患の病状や状態像等の評価がしやすい様式に改定された。しかし、元々成人を対象にした手帳の制度に付け焼刃で小児の神経発達症までくみこんでおり、大きな問題を孕んでいる。神経発達症に特化した制度が望まれているが、国にそのような動きはない。各等級の程度は以下の通りである。

表1 各障害等級に該当する精神障害の程度
障害等級 / 精神障害の程度
1級 精神障害であって、日常生活の用を弁ずることを不能ならしめる程度の もの
2級 精神障害であって、日常生活が著しい制限を受けるか、又は日常生活に 著しい制限を加えることを必要とする程度のもの
3級 精神障害であって、日常生活若しくは社会生活が制限を受けるか、又は 日 常生活若しくは社会生活に制限を加えることを必要とする程度のもの

表2 2級に相当する生活能力の状態
1 調和のとれた適切な食事摂取は援助なしにはできない。
2 洗面、入浴、更衣、清掃等の身辺の清潔保持は援助なし 日常生活が著しい制限 にはできない。
3 金銭管理や計画的で適切な買い物は援助なしにはできな い。
4 通院・服薬を必要とし、規則的に行うことは援助なしにはできない。
5 家族や知人・近隣等と適切な意思伝達や協調的な対人関係づくりは援助なしにはできない。
6 身辺の安全保持や危機的状況での適切な対応は援助なしにはできない。 7 社会的手続や一般の公共施設の利用は援助なしにはできない。
8 社会情勢や趣味・娯楽に関心が薄く、文化的社会的活動 への参加は援助なしにはできない。
(上記1~8のうち複数に該当し、とくに日常生活に関連す る1、2、3、6の複数が該当するもの)

 この基準を小児にそのまま当てはめれば、幼児はすべからく1級ないし2級に該当してしまう。そのため、小児では年齢相当の能力と比べて判断されなければならない。そうでなければこどもであれば全員精神障害者認定や心身障害者認定されることになる。従って、小児の申請の場合には年齢相応の生活能力が精神障害の存在によって損なわれていることを具体的かつ詳細に記載することを要求される。「年齢が低いことにより日常生活能力が不十分であることを、精神障害による生活障害に加味するようなことは厳に慎まなければ いけない」と精神障害者保健福祉手帳の判定マニュアル(2017年)にある。さらに、このマニュアルには未就学児、小学生、中学生の各等級に該当する具体的な像が示されている。

1級 未就学児においては、異食・偏食等のために、介助があっても食事が十分に摂取できない、排便後の処理など身の回りのことが十分にできず、介助にも抵抗があるため、整容・ 保清が保てない。家族との間でも、日常的な意思伝達が全く行えない。 小学生においては、上記と同様に異食・偏食等のために、介助があっても食事が十分に 摂取できない。こだわりなどのために、支援にも抵抗があり整容・保清が保てない。家族 との間でも、日常的な意思伝達がほとんど行えない。学校生活には適応できない。 中学生以上においては、日常生活上は成人に準じ、また、学校生活には適応できない。
2級 未就学児においては、常に誰かが介助しないと食事を食べられない、排便後の処理がで きないなど、身の周りのことすべてに濃厚な介助が必要である。家族との間の日常的な意思伝達にもかなりの困難がある。自分のものと他人のものの区別がつかなかったり、自分のルールにこだわったりして、特別な配慮をしても、幼稚園・保育園などでの集団への適応が難しい。小学生においては、上記と同様に、常に誰かが介助しないと食事を食べられない。身の回りのことも自分ではできず、濃厚な介助がなければ、整容・保清が保てない。 家族との間の日常的な意思伝達にもかなりの困難を伴うこだわりやかんしゃくなどが高度であり、相当に特別な配慮をしても、小学校への適応が困難である。 中学生以上においては、日常生活上は成人に準じ、相当に特別な配慮をしても、学校等 への適応は困難である。
3級 未就学児においては、食事、入浴、洗面、下着の交換の際に常に声かけや見守りが必要、 幼稚園や保育園では集団の輪に入ったり遊んだりすることが難しい。 小学生においては 、上記と同様の状態で、家庭での生活においてもある程度の援助を必要とする。学校生活にも不適応を認め、何らかの配慮を必要とする。 中学生以上においては成人に準じるが、学校生活や家庭生活における困難を認めることも多い。

 今回のトラブルは、他市で2級の手帳を持っていたこどもの手帳更新で3級になったため書類の書き直しを要求してきたというものである。ちなみに特児の更新書類も同じ程度の障害内容で私が記載をしていたが、そちらについては通っていたので苦情はなかった。ちなみに前医の書類のコピーも確認していたが、特児の記載内容はほとんど自立しているのに精神障害の書類は成人基準でほとんどできないように記載されていた。前医を非難するわけではないが、特児書類と手帳書類の記載内容が違いすぎており、書類内に年齢を勘案した項目をもたない精神障害者保健福祉手帳の制度に小児の発達症をなし崩しで入れ込んだ弊害としかほかに言いようがない。2年前の生活能力からしても2級は取りすぎだろう。速やかな小児の発達症を対象とした新制度の導入が望まれる。

  件のこどもの生活能力はというと、支援級は使っているものの学校では自ら進んでできることをやっていると支援級の先生から情報をもらっている。「相当に特別な配慮をしても、小学校への適応が困難」なのだろうか。一方で家では父親に無理やり40kmの距離を歩かされたり、長期休暇の課題を数倍解かされたりしているらしい。最近親が話しかけても、「別に」で済ませるようになったらしいが、「家族との間の日常的な意思伝達にもかなりの困難を伴う」に該当するのだろうか。言っても通じないと悟った思春期のこどもであれば、そういう方法でやり過ごすのも理解可能だろう。そもそもリハビリスタッフとは普通に意思疎通可能である。父親はこどもには障害があると公言しているが、こどもの様子では例えば外食で自分の好きなものを頼んで食べている様子も述べられている。これが「常に誰かが介助しないと食事を食べられない」ほどの精神症状なのだろうか。

発達障害の診断は結局のところレッテル貼りである。しかし、養育環境や本人の成長のなかでその特性が障害とならない程度でうまくつきあえるようになる人もかなりいる。こどもは成長できるのである。2級から3級に上がったのであれば、それを成長と素直に喜べばいいのだ。それをうちのこどもが正当に評価されていない、うちのこどもは障害を持っているんだ、と乗り込んでくるあたりは親の特性だろう。結局発達症は8割が遺伝なのだから。自閉の特性の一つは融通の利かなさ、変更が苦手ということ。今回の親の言い分は、自分の子どもの客観的な評価を拒絶して「うちの子を精神障害者にしろ」と強迫してきたようにしか医療者は受け取れないので、自分の子どもが障害者というこだわり、囚われから抜け出して支配的父親から脱却して自分の子どもの才能と努力の背中をそっと押すようになれればいいのに。

※症例は第三者が特定できないように省略と脚色を加えております※


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