[しくじり先生②]私が大学を中退した理由②

前回のお話(私が大学を中退した理由)の続きの話。1浪を経て、大学に進学するも、専攻内容(エネルギー工学)に興味が持てず、仮面浪人を決断した、というのが前回の簡単な粗筋である。今回は仮面浪人生として過ごしてきた1年間のこと、仮面浪人に関する見解も交えて、私という人物を反面教師にして、参考にしていただければと思います。

仮面浪人を決断した理由のもう一つの所として、学歴コンプレックスがあった。切っ掛けは、中学校3年生の頃に遡る。

進学塾に通い、進学校を目指していた。私は受験に対してはわりと特別な思いがあった。当時、私は陸上部に所属していたが、中学2年生の夏に無理がたたって足を怪我してしまい、部活人生をかなり棒に振ってしまった。部活で実績を残せなかっただけではなく、部活の練習にすら満足に参加出来なかった、という悔しさから、受験だけは何が何でも成功したいと思うようになった。

しかし、結果的に、目指していた進学校は不合格で、滑り止めの高校に進学した。仲良かった、一緒に進学校を目指していた友達は合格し、お互い某旧帝大で再開しよう!と私が別れ際に告げて、二人はそれぞれの進路へと向かった。ちなみに私が1浪してから進学した大学に、その友人も同じように進学したので、人生は面白い、と思う。

だから、高校に進学してからすぐに、私の進路は某旧帝大に決まった。足に負担が比較的少ない運動部+武道をしてみたいという動機で合気道部に入部した。勉強に部活に充実していた。滑り止めで入った高校だけど、アットホームな高校で、部活やクラスで新しい友達も出来て、青春時代を謳歌していた。高校2年生で鬱病になるまでは。

鬱病になった理由は本エントリと無関係だし、今は思い出すだけで精神的に辛いので、割愛するが、高校2年生の秋に主に対人関係が原因で、鬱病になってしまい、退学寸前まで行ってしまった。朝起きることも満足に出来なくなり、受験勉強はほとんど出来なかった。

某旧帝大への想いはあったが、気持ちがついてこなかった。そんな中で決めた、1年間の浪人生活。浪人して、猛勉強して、憧れの某旧帝大に進学する。これが当時の私の夢だった。

その頃、ラブライブというアニメが流行っていて、私も視聴していた。夢を追いかける穂乃花(ラブライブの主人公)の姿を自分に重ねるようになると、浪人生活にも身が入った。鬱病もある程度良くなっていたので、決まった時間に起きることも通常通り出来る様になっていた。

仮面浪人の話から逸れてしまったが、1浪して不合格、しかし、何が何でも某旧帝大生としての大学生活!を夢見て、仮面浪人(2浪)を決断した。時間は貴重なのだから、もう少し慎重になるべきだったが、夢、という言葉が当時の私のアイデンティティであり、某旧帝大で過ごす大学生活、が当時の私にとっての夢だった。

某旧帝大での大学生活を目的の基軸として考えるのであるならば、仮面浪人するより、純粋浪人する方がいい。単純に勉強時間を多く取れるからである。ここでセーフティネットの確保として仮面浪人をする辺り、当時の自分が夢見るだけみて、目的意識が皆無な人間ということがよくわかる。

一番得策なのは院進学の際に、某旧帝大の院を受験することである。目標を某旧帝大の院進学に置けば、大学の勉強にも身が入る。最も合理的かつローリスクな方法である。年齢が遅れる心配もない。デメリットと言えば、学部生として、某旧帝大での大学生活を送れないこと、くらいか。大したデメリットでもないが…

実際のところ、親から、純粋浪人は許してもらえず、仮面浪人をするケースが多い。私も実はその一人である。仮面浪人はやめておいた方がいい、院進学が最も合理的な手段でかつローリスクな手段でもある。その次に編入試験がある。というのは経験してきた私の意見としてある。

親としては、大学を進学した子供に対して、充実した学生生活を送ってもらいたいと思っている、と私は思う。だから、折角合格した大学を蹴って、浪人生活に入るのは了見が狭いのではないか?と思うのも致し方ない部分もある。現に私の家庭も純粋浪人は基本的に1年まで、であった。

私の持論はここまでにして、ラブライブを見たり、ちはやふる(かるた部の高校生の漫画)を読んだり、応援ソングを聞く(当時よく聴いていたのは、

君という名の翼(コブクロ)、                                One day (ワンピースの主題歌 )                  MIRACLE RUSH(咲っていうアニメのop) SHOOT(ロウきゅーぶ)                                          ユメノトビラ(ラブライブ)           僕らは今のなかで(ラブライブ)                          GO!(FLOW)                                     TSUBASA(咲)                                              beautiful dreamer(GLAY)                                    モーターサイクル(bump of chiken)

当時の記憶を辿り、思いついた10曲をリストにした。受験勉強をして、籠もりがちな生活を送るなかで、勉強前や寝る前に音楽を聞いたり、アニメを見たりすることが多くなった。生活としては、春夏秋冬とにかく勉強していた。

大学で何人か友達が出来た。仮面浪人のことは言わないようにしていた。気を遣わせてしまうのがあまり良くない気がしたから。それに、第一志望で来た人、滑り止めだったものの大学生活を楽しんでいる人、彼らに対する冒涜行為だと感じたから。ひっそり勉強して、合格後は、ひっそり去っていくのが、当時の私の理想だった。

でも、図書館で隠れて勉強してるのを同じ学科の同級生に見つかって、家庭教師のバイトをしてたわけでもないし、って考えると、言い訳が面倒になり、仮面浪人を自白した。

打ち明けた数名が心の中でどう思っているのかはわからない。皆表面的に応援はしてくれた。周りの人の優しさと気遣いがありがたかった。バカだけど、よりいっそう受験勉強を頑張ろう!と思うようになった。

しかし、肝心の模試の判定は良くなかった。夏に受けた大学別模試ではA判定に近めのB判定だったので、悪くないスタートを切れたと思っていたが、秋では成績が伸びず、C判定止まりであった。

この時、自分の実力の限界にぶち当たっているような気さえしていた。もう2年間も受験勉強している。体調が回復した現役の冬からここまで、毎日大量の時間を受験勉強に費やしている。的確なアドバイスが出来るかどうかは別にして、教育業界に就職しなければ、ほぼ携わることないであろう、受験の知識に詳しくなってしまった。

また、自分はアウトプットを重視するタイプなので、参考書にはそこまで精通していないが、特に問題集には変にかなり詳しくなってしまった。

しかし、肝心の結果は、2浪、第一志望C判定である。かなり厳しい。諦めるな、とだけ考えられるのは現役生だから。2浪もしていると、諦めるな、という言葉だけでは片付けられないバックボーンが多々存在する。伸び代の限界にぶち当たっている、という問題である。

英語、国語、理科、までは何とか勝負出来る点数でいられた。数学がどうしても出来なかった。一応数学が得意科目ではあった。実際、計算処理能力には自信があったが、証明問題はとても苦手としていた。私が受ける某旧帝大の数学は、証明問題のウエイトが大半を占めていた。

少しでも苦手を克服しようと思い、本質的理解、体系的理解を目指して、(こんなにわかる京大理系数学)書名が思い出せない…を購入して、勉強してみたが、私の使い方が悪かったせいか、効果は特に見られなかった。

ほぼ完治していたはずの鬱病が再発しそうであった。11月のことである。受験を辞めて元の大学生活を送るべきか迷うようになった。自分の中で、某旧帝大に受かる自信が持てなくなっていった。

そして、最悪の手段を取ることになる。大学の授業に全く行かなくなった。突然来なくなったから、同級生はみなビックリしていたに違いない。大学の授業の時間を削ってでも、受験勉強に回すことで、伸び代の壁と、数学の証明問題への弱点克服に繋がると思った。センター試験も近い。センター対策はここまでほぼしてない。地理しかやってない。やばい。焦燥感から、起きてる時間の全てを勉強に費やすという方針に転換した。

背水の陣、不退転の覚悟、振り返れば崖。夢に向かって邁進する日々であった。ずっと勉強していた。来る日も来る日も大学の図書館で勉強した。図書館が開いていない時は、近くの公民館で勉強した。家にいるとだらけてしまそうと考えて、家で勉強するのは、帰ってご飯を食べて、風呂に入ってから寝るまでの間。英単語、古文単語など、暗記単元のチェックが基本線だった。

時期が時期、ということで願書を出願した。卒業証明書をもらい母校に行った。物理の先生が対応してくれた。確か30歳くらいだったと思う。何を言われたかまで覚えていないけれど、励ましの言葉をくれたのは覚えている。アクティブな性格でいて、真面目で、根は優しい先生である。

精神的に追い詰められていた時期なので、悩みとか葛藤とか先生に聞いて欲しいと思ったけれど、忙しいだろうと思ったし、戻って問題集解かないといけない、という焦りもあったから、5分ほど話して、こちらから切り上げた。

冬になり、センター試験の季節。当日は仮面浪人していることを知っている友達から励ましのLINEが来た。制服姿の現役生に混ざりながら、2浪生が鞄を背負い、慣れた動きで受験会場に向かって行った。

この時、たまたまかもしれないけど、雪が降っていて、大学の門から会場まで、20分ほどの距離があり、その雪道を歩きながら、これで受験は最後ということは自分の中で決めていたので、ラスボスが迫っているようなワクワク感を感じていた。

センター試験の結果は8割。自分の実力の限界が見え始めてる気がした。2浪したとはいえ、こんなものなのだろう、と思うようにもなった。10問問題があれば、8問正解することが出来る。そして、それが今の自分の実力である。

足切りを食らうことはないけど、決して有利な点数ではない。難解大であればあるほど、センター試験よりも2次試験のウエイトが大きい。だから、2次試験でセンター試験のアドバンテージをひっくり返した前例は幾らでもある。要はセンター試験+2次試験の総合的な結果で、最低点を上回ればいい。

当時の私はそう考えて、最後の受験も、某旧帝大に出願した。ここまで来て、目標を曲げることが出来なかった。大学の期末は放棄してしまっているから、どう考えても滑り止めを用意しておくべきだが、私立で滑り止めの大学は受けなかった。ここでの無計画さにも、私の目的意識への杜撰さが現れている。まさに仮面浪人失敗者の末路である。

中期で府立大、後期で某国立大、に出願した。センター試験8割ではどちらの大学もアドバンテージにはなるとは言えないものだった。

周りの大学生はテストを終えて春休み。私はテストを終えて2次試験への最後の追い込みであった。猛勉強し続けた。弱点を洗い出し、弱点を重点的に解いた。化学だったら、理論分野、物理だったら、コンデンサー、数学だったら、証明問題。英語だったら、英文和訳。

そして、2月25日。戦場へ赴く日。独特の緊張感に揺られた。もし、中学時代の部活で大怪我してなかったら、最後の大会に出る時、このような緊張感なのかな?と勝手に妄想していた。嗚呼、今から自分は一世一代の勝負に赴き、2年以上やってきたことを、表現しに行くんだ、と思っていた。落ち着いて落ち着いて、何度も言い聞かせた。普段通りやればいい、とは言い聞かせられなかった。普段通りならC判定の不合格。逆転してやる、という根拠のない自信と情熱は確かにあった。それだけのことだ。

会場に到着すると、去年も行ったとは言え、全国から精鋭が集まってきている、とはこういうことかと思うようになった。取材班の人も来ていた。自分は取材はされてないが、現役の受験生の子が取材を受けていた。受験番号を握り締め、該当する教室へと足を踏み入れた。

1日目は、国語と数学だった。国語は配点が低いが、読解力と記述力には自信があった。難しかったが、問題なく解けた。このままいけば、受かるかもしれないと浮き足立ちそうな気持ちを、次の数学に備えろ、という強固な理性で封じ込めた。

昼ごはんにおにぎりを食べてから、数学の試験である。自信はなかった。最も配点が大きい。論述問題がどうしても苦手だった。克服は最後まで出来なかった。しかし、数学が出来れば、合格へのチャンスはあると、無理にでもポジティブにマインドを持って行こうとしていた。

数学の問題は難しく、ほとんど解けなかった。1問だけそれほど難しくない問題があり、完答した。何度も何度も計算ミスがないか見直した。ダメかもしれない、手応えがない、帰り道、そう思った。まだ1日ある、気持ちを切り替えていこう、と自分に何度も言い聞かせながら、帰りの電車の中で英単語帳を読んでいた。

2日目は英語と理科

英語の出来は最低限と言ったところだった。2年間も受験勉強を重ねていると、センター試験の英文や全統模試の英文、あるいは大学の授業での英文に関しては、大体内容を理解することは、難しくないという段階にはなっていた。しかし、某旧帝大の英語は内容の把握が難しい。意訳表現や見たこともない単語、熟語、言い回しの数々である。試験が終わった後の、後は理科だけか、という安堵感を抱いた。

理科

私は物理と化学で受験していた。化学に関してはそこそこの出来だったように思う。しかし、物理が思いの外難しかった。大学別模試では偏差値50をキープしていたとは言え、55辺りで平行線の決して得意科目とは言えない出来であった。崩れないだろうとタカを括っていた面もあったが、崩れてもおかしくはなかった。とにかく物理が解けなかった。

私の挑戦はこれで終わりか、奇跡が起きれば合格するけど、そんか簡単に奇跡は起きないよな。落胆の面持ちで試験会場の大学を後にした。緊張感で疲弊していたが、実力通りの結果が出た。それだけのことであった。京都の街並を噛みしめながら、切符を買って、電車に乗った。

仮面浪人編に関しては、思いの外長くなってしまったので、中期試験、後期試験、ネットでの人間関係の話も交えながら、仮面浪人失敗者の末路の話は次の記事でまた書くことにします。

結果が出なかったとは言え、少しでも良い点数を取れるようになるにはどうすれば良いのか、考え、実践してきた、という点で、一生懸命過ごした1年間ではあるので、振り返ってみると、意外と思い出はあるんだと思いました。

勿論、浪人や仮面浪人推奨をしているわけではありません!そして、大学の講義を放棄したくせに滑り止めを受けない危機管理の出来なさからも、私の目的意識への欠如が読み取れます。某旧帝大で過ごす大学生活という目的のために猪突猛進で進むことを決めたものの、目的が達成されない場合のリスクヘッジが皆無な点です。目標に向けて頑張る場合に、起こり得る全ての事象に対する対策を立てることを蔑ろにしております。

この記事を見て、しっかり反面教師にして、改善してくださる方がいれば、ありがたく存じます。










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