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モディリアーニ-愛と創作に捧げた35年/大阪中之島美術館/2022.4.9-2022.7.18 感想

瞳孔まで描きこむか否かで雰囲気が随分違う。

例えば《おさげ髪の少女》はこっちを射すくめるような視線で、「人と対峙している」感が強い。(名古屋市美だとガラス越しのためなのか、以前はあまり気づかなかった)。《裸婦》にしても、アントワープ所蔵と中之島所蔵のもので同じモデルが云々、との展示。そこではあくまで「人」が描かれている。

他方、白目/黒目を描き分けない場合(《大きな帽子をかぶったジャンヌ・エビュテルヌ》や《少女の肖像(ジャンヌ・ユゲット)》、その他多数…)は、第一展示室から示唆されている通り、彫刻仮面のように見える。人間主体と言うより「オブジェ」の感が強い。

なんとなく、前者からは目を背けたくなる。
他方、後者には視線が吸い込まれてしまう。


前者について言えば、「自分の視線」を「相手に見られる」ことの根源的な不安があるように思う。窃視者が見つめ返される時、自分の欲望が露呈することに覚える恥じらい。それは対“人”関係の問題になる。

後者について言えば、逆に、ブラックホールのような瞳=穴に、こちらの視線、情念が無限に吸い込まれていく感じがする........大山崎山荘美術館、円形の地下空間で、遠くに蝉のざわめきを聴きながら《少女の肖像(ジャンヌ・ユゲット)》の崩れた撫で肩と、それを見つめるあなたのシルエットが重なる、振り返ったあなたは、腕の時計のベルトの色を指して、絵の背景と同じだったと微笑う、今しがたその絵から出てきたみたいに。遠くで蝉の声が聞こえる。いつまでもここにいたい、もうこのまま羽化せずに、地中のセミとして一生を終えられたらそれでいいと思った2019年7月28日の抜け殻のようなジャンヌ・ユゲットの瞳=穴……云々。そんな風に情念が吸い込まれていく。

けれど、それもどこかでは途切れるのであって、途切れることには理由がない。仮面の瞳=穴は、彫刻の瞳=石になって遮断される。

誰かの解釈妄想を引き込みながら、《ジャンヌ・ユゲット》自身はきっとアクセス不可能な内奥の閉域に在って、観者を魅惑しながら、観者の情念からは切断されている。

只々、単に色が綺麗だと思った。

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