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私たちは何を着ているのか

「私たちは何を着ているのか。

ファッションを哲学する8つの問い」という記事を

読んでいて、なるほどなって思って。

そもそも自我があれば、流行はいりません。
〜 
しかし人間はそんなに強くありません。
「自分らしさ」なんてわからない
という人が大半です。
そうなった時に、
人は安心できるものを選びます。
流行しているということは、
それだけ世の中の価値観と合致していて、
良いものと認められているということ。
つまり流行しているものは
安心できるものなのです。

私たちは何を着ているのか。ファッションを哲学する8つの問い。

「流行を追う」ってなんか

主体性に欠ける感じがして、

いややなって思ってたんですが、

それは生き延びる上で、

すんごい重要な選択やったんやなって

改めて思ったんです。

だって世の中の価値観と合致してないと大変。

人から

「なんか昔流行ったような服着てる…」

「髪型おかしくない?」

「いや、その歳でそれは」

そう思われたあかつきには、

「あなたは世の中の価値観とズレてますよ」って

言われてることになるし、

ダイバーシティや何やと言われても、

自分の価値観を押し通して、

生活圏での居心地が悪くなるかもしれない、

そんな状況はやっぱり無意識に避ける。

だから世の中の価値観で

「よし」とハンコを押された流行を

身につけて安心を得るっていうことが、

生存本能みたいなもんやったんやなって。

ショップで販売をしてた時も、

「この形、今すごい流行ってますよね」って

よく言ってたなって思い出した!

それはこれを通して

あなたに安心を売ってますよって

言ってたんやなあ。

でもさ、その世の中の価値観で「よし」の

ハンコをもらったものを

身につけても、

ずっと気持ちに終わりがない。

「これでかわいいんやんな?」

「この着方で合ってるんやんな?」

答えは世の中が持ってるって感じるから、

結果まわりの反応が気になったり、

「こうすべき」っていう方に

意識が持っていかれてしまう。

そして、

自分は何が好きなのか

どんどんわからなくなる。

それで流行を取り入れて安心して、

けど、自分が好きなんって何やっけ?

流行で安心

そもそもこれは私が好きで着てるんやっけ?

と自分は誰なのかわからなくなる。

これでは悪循環から抜けれへんくなっちゃう。 

メキシコや他の国でも思うことの一つに、

流行が薄いというか、

スパンが長いというか、

あまり顕著じゃないなって

思うんですよね。

好きで似合うものを

楽しんで着る。

そんなところからもメキシコ人女性たちは、

自分を持っているように見えたり、

自分の好きに自信があるように見えたり、

だからさっきの悪循環にいないような

気がするのかもしれません。

そんな彼女たちの哲学や価値観を

ファッションを通して見ながら、

もっと自由に自分らしく生きる

ヒントを見つけていけたらいいなと思っています。

いただいたサポートは今後作りたいと思っているメキシコでのレンタルショップを作る費用にさせていただきます。