パートナーに言いたいことは、自分自身からのメッセージ
「僕の誕生日当日は、一緒に過ごせないかもしれん」
そう言われてびっくりした。
誕生日って一緒に過ごすもんやってもう疑う余地なく思ってたから。
えっ、しかも初めての誕生日なんやし、なおさら一緒ちゃうの!これはわたしの勝手な思い込みなん!?
新年、誕生日、クリスマス、何かの記念日は大切な日として、一緒に美味しいものを食べて楽しく過ごす。
そんなイメージでいちゃったじゃないかー!
(映画だとかドラマだとかで「幸せな人はこうするもんである」みたいなハッピー像を刷り込まれてきたのもあるんやろうな)
その時Sunaoさんのnoteで読んだ
”パートナーに言いたいことは自分自身からのメッセージ”
っていうのを思い出してさ(すごく好きな記事)。
自分自身からのメッセージと捉えたら、
「私は私の誕生日をどれくらい大事にしてきたやろう?」
小学生くらいまでは家に友達を呼んだりして、家族が好きな食べ物やケーキを準備してくれて、誕生日パーティをしていたけど、
大きくなるにつれて気恥ずかしくなっていって、
仕事を始めてからはほとんど仕事。
誕生日やからって休んだり、
めちゃくちゃ自分を癒やし愛でて大事にする日にしたり、
「この日、私の誕生日やし、空けといてな!」などまわりに声をかけて一緒に祝ってもらう1日にしたり、
そんなことしてこーへんかった。
むしろ仕事にかこつけて、まあいいやって扱ってたな。
人に声かけて集まってもらえへんとかになって変に傷つくの嫌やしとか、
何もいまさら、また一歳トシとってしまう誕生日を祝うこともないって軽めにあしらってた。
私はわたしをちゃんと祝ってあげてた?
誰よりも「おめでとう!ここまで一緒に生きてきたね!」って愛でてあげてたかーーーい?
そんなことを自分自身から問われた感じやった。
お母さんの子宮からおぎゃあと出てきた日。
胎内記憶(になるのかな)で、「あ、そろそろ出ないと!」と思って掃除機のホースのような穴に向かった日。
そんな日をわたしは軽んじてきたのかもしれんって思ったのです。
彼には最初「そっか、わかった!」と答えたものの、
いや、違う、そんな気持ちじゃないと思い直し、
「そっかー、一緒にお祝いできないことが、想像してた以上に悲しい。」ってね、伝え直した。
そしたらなんか、わたしが私に思ってたことをちゃんと言葉にしてあげたれた気持ちにもなったよ。
私たちが外から揺さぶられた気でいることって、私たちが自分自身に言いたい声。
そう思ったら自分の声ってあらゆるところから聞こえてきてんねんな。
自分のうちなる声をきくことをちょっとずつ上手くなることが、自分を大切にして解放していける一歩。
たくさん声聞いて、自分と仲良くなって、もっともっと愛でて、気持ちが潤って、愛が溢れる毎日をみんなと一緒に過ごしていこうぞー!
いただいたサポートは今後作りたいと思っているメキシコでのレンタルショップを作る費用にさせていただきます。