何かが欠けているからこそ生まれるもので世の中はあふれている
思いのままに生きることができれば、人は悩むことも苦しむこともないのだろうか。
自分のやりたいことが、何の障害もなく出来る。
それは、多くの人が思い描く幸せの形なのかもしれない。
反対されることもなく、ただただ自分のやりたいことに邁進できる。
それに加えて、もし安定した生活が保証されると言われたら、人は誰だって嬉しいと思える。
でも、本当に幸せを感じ続けることが出来るとは言い切れない。
この世に生まれる作品や商品の多くは、誰かが悩んだり苦しんだりしたことをきっかけにして生まれたもの。
その悩みや苦しみが世の中から消えてしまったら、人は何を道標に生きていくのでしょうか。
そう分かっていても、人は苦しみから逃げたいと思う。
私も正直なところ、気持ちを常に安定させたいと思っているし、そう出来るように努力したいとも思っています。
ただ悲しいことに、いろいろと不安定な時ほど、文章を発信することが出来ていることも事実です。
苦しみから逃げ出したいともがけばもがくほど、書きたいことや発信したいことが溢れてくる。
それがまた、生きていることを実感することにもつながる。
悩むことが少なく、比較的平穏に生きている時間も嫌いではありません。
むしろ、そうあり続けたいと思っています。
一方で、気持ちに余裕がありすぎると、どこかで”逃げ”を作ってしまう自分にも気づかされます。
ふと、自分は何者なのかを考えるような時間に遭遇した時。
きっと適当な答えを出そうと思えば出せるはずなのに、私はいつも言い訳を作って答えが分からない振りをします。
それがある意味では、自分の創作意欲を掻き立てるための火種を何とか残そうとしていることになるのかもしれない。
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