選択肢があることに怯える前にまずは感謝してみる

人生には分岐点がある。

数年前の私には、その言葉の意味がさっぱり分からなかった。
何となく日々を過ごして、周りの目を気にしながら、自分がしたいこととか考えないようにして、はみださないことだけを考えていた私にとって、大きな分岐点など出くわしたことがなかった。

でも、今なら分かる。
自分にとって、どちらを選ぶのがベストなのか。
どちらを選ぶか、その選択一つで今後の人生が変わる気がする、そんな分かれ道。

今歩いている道を進み続ければ、多分ある程度は安定した生活が出来る。
それなりの企業で、自分のやるべきことをやって、それなりの給料をもらったり、比較的休みは融通が利く。
一定のラインにくれば、それなりの責任を負う立場になって、人を引っ張っていく立ち位置になる。
でも、何か大きなことをやらかさない限りは、今よりも生活水準が下がることはない。

でも、今目の前にある別の道を選べば、これから先の生活は未知だ。
きっと評価の軸も定まりきっていない。
休みもなかなか都合よくは取りづらくなるだろう。
まだ曖昧で見えない形のものを、手探りで追い求めて、何が正解で何が失敗かも分からないまま、目の前のことに追われ続ける。
でも逆に、やりたいと思ったことが受け入れられやすくて、何かおかしなことを言っても、それをおもしろいと受け取ってもらえるような場でもある。
周りの目など気にしている余裕などないほど、自分がしたいことや、こうしたらいいのにと思うことを常に考えて、まだ見ぬ会社の未来をみんなで作り上げていくことになる。
今までの私にはない生き方。
そして、とてつもなく不安定で冒険的。

「どうあるべきか」という問いには、実は正しい答えがない。
その人がどんな生き方をしたいのか、どんなことをめざしているのか。
それによって、答えが変化する問いだから。
それは人によってというよりも、状況によって答えが変化する。
同じ人でも、置かれた状況や変化した思いで答えは変わってしまう。

一つの分岐点でした選択が、結果的に正しかったのかというのは、後になってみないと分からないもの。
だったら、今悩んだって意味がないと思ったりもするが、そう簡単な話でもない。

ただ生きていく中で、葛藤出来る選択肢があるということは、実はある意味幸せなのかもしれない。
選択肢のない人生は、悪くはないけれど、それはそれで自分自身を顧みるタイミングがなくて、自分自身を見失うことになる。

人生の分岐点に立っていると思ったら、まずは自分の気持ちと真っ直ぐ向き合ってみる。
予防線とか保険とか、確かに必要になるかもしれないけれど、それは後からでも出来る。
まずは、素直な決断から。

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