見出し画像

東京に越してきて、親への電話を逡巡する

数日前、東京に越してきた。

就職をきっかけに親元を離れ新生活という、一番オーソドックスであり心躍る内容だ。

東京はひたすらに物価が高いという。
確かに家賃はその通りで、関西で就職した友人が広々としたキッチンと部屋で悠々自適と暮らしている一方で、こちらでは倍額を出して狭いキッチンに悪戦苦闘しながら洗い物を乾かす場所もなく頭を抱えざるを得ない。
しかし、高い高いというがニトリはどこも同じ値段だし、食料品も特段目を見張るような価格では売られていない。

東京は人が冷たいという。
確かに駅前はその通りかもで、人はせかせかと肩をぶつけていくし、その癖振り返ったり会釈すらない。
しかし、これは関西でも全然目にかかる光景だ。
なにより普段ほとんど外に出ていなかったのだから、比較のしようがない。

一人暮らしは天国だという。
確かに全てが思いのまま好き放題できそうだ。
人に気を遣う必要もなければ、家に居る家族の行動でヤキモキすることもない。
トイレの順番を待つ必要もなければ、風呂にもいつだって入れる。

東京という街で始まった新生活に不安はあれど、不満はない。
住めば都というし、文字通り都で生活を悠々と送ることができれば最高だ。

ただ、一人暮らしが始まって数日。
母親の手料理をすでに待ち焦がれている自分がいるかもしれない。
乾くと思っていた洗濯物が乾かなかったとき、置けると思った洗い物が置き切れなかったとき、スーパーで何を買っていいか分からなくなったとき。
「なんなんこれ」と気楽に愚痴れる親の存在を、こんなにも遠くに感じるのは、どこか心に影を落とす。

ちょっと、いやだいぶ寂しいのかもしれない。
ただ、その気持ちを真っすぐ受け止められず認められない自分もどこかにいる。
「私は一人でもやっていけるぞ」「この生活を楽しめるぞ」と声に出して言いたい自分がいる。
でもやっぱり、少し生活が落ち着いたら、電話してみようと思う。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?