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『グッバイ、ドン・グリーズ!』は『よりもい』とは違う、偶然と奇跡の物語

『宇宙よりも遠い場所(よりもい)』は1クールアニメの傑作にして一つの正解だと思っている。

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物語として都合のいい偶然によって積み重ねられた日常ではなく、等身大の女子高生4人が確かな足跡とともに積み上げた、日常の先にある物語を12話という時間で魅せてくれる。

中心となる4人の気持ちにそれぞれ焦点をあて、彼女らの心の動きを丁寧でありながらも押し付けることなく視聴者に伝える展開。
辛いばかりでも楽しいばかりでもなく、十数年生きてきた中で抱いた彼女らの葛藤と心地よい日常のゆるさや暖かさがとても絶妙なバランスで描かれている。

名場面と言われればたくさんのシーンが思い浮かび、いずれもが異なるメッセージを持っていながらも、そのどれもが作品の中で大切な意味を持つ。

そんな1話1話を12回積み重ねて描かれた『宇宙よりも遠い場所』というアニメは、僕の中で1クールアニメの正解で傑作だ。


そんな大好きな『宇宙よりも遠い場所』スタッフが手掛けた映画『グッバイ、ドン・グリーズ!』を見に行ってきました。

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先に述べた『宇宙よりも遠い場所』と今回の『グッバイ、ドン・グリーズ!』。ガールミーツガールとボーイミーツボーイという設定の違いはあれど、どちらの作品も「自分にとって大切なもの(宝物)を探しに冒険へと身を乗り出す青春の瞬間を切り取った作品」という点で似ているのかなと思っていた。

しかし見た後の印象は自分の中で結構対比的な作品だ。

この映画は、1時間半という時間の中で物語の多くが語られない。

決して観客を突き放すわけでもなければ無秩序な展開があるわけでもない。しかしながらこの作品は決して多くを見せず、語らず、説明してくれない。

その一方で、「深々とした緑が夕陽に照らされて玉虫色に輝く土と木々」「深い音を立ててカーテンのように視界を覆う荘厳な滝の鮮やかな水飛沫」など、この『グッバイ、ドン・グリーズ!』では丁寧な情景描写が非常に多い。

それらは観客に対して、彼らが自らで辿り着いた、奇跡のような日常の景色を印象付ける。

すなわち『グッバイ、ドン・グリーズ!』は、積み重ねた日常の先にある彼女らのこれからも続く物語ではなく、偶然によって走り出した彼らのひと夏の奇跡の物語として描かれている。


アニメ映画における偶然や奇跡は、ご都合主義といってしまえばそれまでだ。

この作品内では語られないていない、キャラクター同士の出会いや冒険の端々については、観客が納得する十分な描写や説明はなかった(ように思う)。
し、実際に僕はその点でちょっと残念だったなと消化不良に感じている。

しかしこの作品において語られなかった出来事のほとんどは、実際の平凡な日常のどこかしらですら起こり得ることばかりだとも感じる。

顔も名前も知らないどこかの誰かと簡単に仲良くなれるし、人がいなくなる時には簡単にいなくなるし、死ぬときには簡単に死んでしまう。

奇跡のような日常はすぐに当たり前になり、そしてそんな当たり前はすぐに消え去ってしまう。

文字にしてしまえばありふれたテーマに過ぎないが、奇跡のようで、しかし自分にとっては当たり前の日常の大切さを最近痛感した自分には結構刺さる映画だった。


総じて『宇宙よりも遠い場所』で感じた感動と完成度を期待して観に行くと肩透かしを食らう作品ではあると思う。

しかしながら、心に残る数々の景色とともに描かれる、少年たちの宝物を探す奇跡のような日常の一端を楽しめる点で十分に魅力的な作品だろう。

そしてなによりも登場人物のドロップ。彼の15歳最後の雄姿には、映画館へ足を運ぶだけの確かな価値があった。

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