MTGのプロキシカードの使用を辞めてほしい話
MTGで遊んでいるとどうしても直面する問題がある。それは資金の問題であり、高額カードをいかようにして揃えるかという話だ。
例えば《Mana crypt》は平気で1万円以上を要求してくる。おいそれと高額カードは買えないものだ。
MTGを遊んでいく上で、プロキシカードというものは出会いは必然だ。
(プロキシとは代用品の意味、カラーコピー等の模造品を用意すること)
「あのカードを使いたいけど高いなぁ…… ならばプロキシ(代用)でいいではないか?」
ごく自然な考えといえるだろう。
かくいう私も、恥ずかしながらプロキシを使っていた時期があった。《Underground sea》というカードなのだが、それを違うデッキで使用していた。私は他のデッキとカードを入れ替えるのが面倒だった。しかも高額なカードであるため、追加で購入したくなかった。
ところで私の仲間に、プロキシカードを多用している友人がいた。その友人は対戦前に言っていたのは、「カードは持っているのですが、デッキ毎に入れ替えが必要です。それは時間を取るのでプロキシカードを使います。プロキシに不快を感じる方であれば入れ替えます」といった文言だ。
私は、プロキシ自体については問題はないと思っている、対戦相手の許可を取っていることが前提だが。
そんなプロキシ好きの彼は《Mishra's Workshop》といった高級カードも所持していて、たくさんのEDHデッキを遊んでいた。プロキシで使っているカードは勿論本物を所持していたが、それは1枚のみだ。
そしてプロキシを気にせず遊んでいたある日の出来事。
対戦相手にプロキシの《金粉ドレイク/Gilded Drake》(お互いのカードを交換する効果がある)をプレイされた。カラーコピーされたそれと、私のお気に入りのカードが交換された。ゲームの進行には何の問題もない。
問題は「私の思い入れのあるカードが、カラーコピーされたソレと交換された」ということだった。
私の場には手間と情熱をかけて集めたカード達が並んでいる。そこにカラーコピーの《金粉のドレイク》も並んだ。
マジックのカードでも何でもないカラーコピーが私の場にあったこと、それが違和感だった。
別にそんなことで怒ったりしないし、機嫌を損ねるような問題でもない。対戦前にプロキシを承諾していたので、当然だ。
だが私はそれが、ほんのちょっとだけ、気に入らなかった。ネガティブな感情が芽生えた。
マジックで遊ぶということは、マジックという商品を遊ぶということである。私はこの時、マジックは正規品で遊ぶべきであるという、当たり前のことに気づいた。イラストや質感もマジックの大事な要素なのだ。そこにカラーコピーがあって良い訳がない。本物が必要だ。
私はプロキシに対して浅い考えをもっていた。プロキシを対戦で使うのは間違っている。
それに気づいた時、私はデッキからプロキシカードを抜いた。
《Underground sea》の偽物は消え去った。
代わりに《島》を追加した。
ある日EDHを遊んでいると、「《Underground sea》があれば!」 という場面に出くわした。早い話が、《Underground sea》を入れなかったことが原因で負けた。
だが、それはプロキシカードを入れなかったせいで負けたのではない。ただ私がそれをデッキに入れておらず、用意しなかっただけだ。
EDHはカジュアルなゲームだ。プロキシも認められやすい傾向にある。
だけど、よく考えてほしい。カジュアルだからプロキシを使っていいわけではない。対戦相手の許可を得て、プレイしているに過ぎない。何事にも限度がある。カードを安易にプロキシにして遊ぶのは辞めてほしい。
誰だって、「入れたいカード・採用したいカード」があるが、様々な事情で使えない。金銭的な問題であったり、持っていないカードであったり、手に入らなかったり。しかし、プロキシを使用している人は少ない。当たり前だ。安易に使用すべきではない。
そんなわけで私は「プロキシゆるふわ容認派」から「プロキシ否定派」に転身することになった。
プロキシ否定派となった私は、対戦相手に「プロキシカードはやめてください」とお願いすることもある。するとうるさいやつだなという目で見られる。経験上、お願いした相手がそれを聞き入れてくれたことはない。
そんな人達は「プロキシを君も使えばいいじゃないか、君は勝手に使ってないだけだ」なんて平気で言う。そういった問題ではない。
プロキシで遊んでるプレイヤーなんて、マトモなプレイヤーではないといえばそれまでなのだが。
私は組みたいデッキがたくさんある。でも気に入っているデッキとカードが被っている。だから、用意できないデッキが山ほどある。
プロキシカードを使っている人は、自由にデッキを作る。デュアルランドをカラーコピーして、好きなデッキを組んで遊ぶ。
なんと不公平だろう。正当に対価を払っている私より、プロキシカードを使っている人がたくさんのデッキを遊んでいるのだ。
プロキシを使った人が得をして、プロキシを使わなかった人が損をしている。不正というのは、なんでもそうだ。他人に不利益を強要する。仕掛け人は澄ました顔をして乗り切り、相手に押しつける。
さて、ここまでウダウダと書いておいてて申し訳ないが、私は他人がプロキシカードを使っていても本気で止める気はない。人に進言することはあっても、他人のプロキシカードを採用する自由を止める権利はないからだ。
まぁ初見の人に、プロキシだらけのデッキを見せられたら、対戦拒否するだろう。その人と遊ぶと不愉快になる可能性が高い。
だいたいプロキシ等といった問題は、おおらかさを持てば問題ないのだ。「プロキシカードなんかにグチグチいうな」と言われると、そうかもしれない。人生において頭の固い考え方はシンドイものだし、おおらかに許容する度量も必要だろう。
プロキシカードを容認して友達と仲良く遊ぶ。それも良い遊び方である。友達に使いたいとお願いされれば、私は容認する。程度はあるが。
だけども他人がどうであれ、私はプロキシカードは使わないことにした。それは今まで書いてきた通りだ。
私はプロキシカードを全部抜いたことに自己満足している。誰にでも顔向けできる正しさというのは、スッキリとした気持ちでいられて良いものだ。
プロキシカードを使わないのは自己満足かもしれないけど、私はそれが正しいと思っているし、足りないカードがあるデッキでも楽しく遊べている。
不自由さは、ある意味の友人だ。ゲームを楽しくしてくれる。それのせいで負けることもある。でもそれくらいが丁度良い。
だからこれを読んでいて、プロキシカードを対戦で使っている人に、少し考えてほしい。一度辞めてみてほしい。もちろん、私がそれをやめさせる権利はないですが。
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