見出し画像

東海道線ボックス席のかわいい乗客

 

朝8時、土曜日の下りの東海道線はすいていて、ボックス席の窓側に座った。横浜に着くと、かわいらしい乗客が二人、それまで一人で座っていたボックス席の、向かいに座った。ベージュのパーカーを着た6~7歳の女の子と、真っ赤なカーディガンと同じぐらい赤いほっぺの3~4歳の女の子の二人姉妹だ。座ると、私の右隣の女性に「ねえ、早く」とせがんでいる。姉妹のお母さんは大きなバッグから絵本を取り出して読み始めた。東海道線に乗ったら、いつも本を読んでもらうことになっているらしい。

 お話が始まると、お姉さんのほうはじっと聞き入っていた。ほほえましく思って様子を見ていたら、はす向かいに座った妹さんと目があった。思わず微笑みかけると、照れくさそうに笑ってこちらを見ている。気になるのか、私と絵本を見比べていたが、やがて物語が佳境に入ると、お母さんの声に耳を傾け、お話に引き込まれていった。

 (何を読んでもらっているのかしら?)本をのぞいて(あら!)と思った。福音館書店の昔話シリーズ、『きこりとおおかみ』である。幼稚園から帰ってから、母が夕食を作りに台所に立つまでの間、姉と二人でよく本を読んでもらった。その中にこの絵本もあった。このシリーズでは『かちかちやま』、『大きなかぶ』『ブレーメンの音楽隊』、その他に『ちいさなももちゃん』『おやすみなさいフランシス』『ももいろのきりん』、次から次へと読んでもらった本が浮かび上がってくる。どの本もお話と一緒に、内容にぴったりあった絵が、色も鮮やかに思い出される。リカちゃんハウスやおままごとセットに囲まれた部屋で、窓から差しこむ西日がいつもまぶしかった。

 自分の子供二人に、伊豆の海や新潟のスキー場に行く車内で、ちょうどこんな風に本を読んで聞かせたこともあった。おかげで2時間から3時間の長旅でも、子供が騒いだりぐずったりして困ることがなかった。一人は男の子だったから、『しゅっぱつしんこう!』や、『しょうぼうじどうしゃ じぷた』という乗り物シリーズにも世話になった。『いやいやえん』や、『ぐりとぐら』は二人ともお気に入りで何度もリクエストされ、「もう一回」「もう一回」とアンコールがとめどなく続き、目的地に着くまで、こちらが試練だった。 

 1年前の年末にはその長男に子供ができ、初孫に絵本を送プレゼントしようと、銀座の教文館を訪れた。子供が小さかったころ、よく絵本を探しにきた。日産ビル、日立ビル、ソニービルが消え、銀座も世代交代している。教文館はあい変わらず中央通りに面し、少し窮屈そうに流行りの店と肩を並べていた。(今時の子供はさぞかし、スタイリッシュな本に触れているだろう。)と楽しみに、白い漆喰壁が昭和の面影を残すビルの階段をのぼり、絵本売り場の『字が読めない赤ちゃんに送る本』のコーナーに立つと、そこに並んでいたのは、安野光雅さんの『いない いないばあのえほん』に、瀬川康男さんの絵に、松谷みよこさんの文の『いないいないばあ』、ディック・ブルーナの『うさこちゃん』をはじめ、お馴染みの絵本ばかりだった。思いがけないところで出会った『不動のベストセラー』である。プレゼントには、安野光雅さんの『いない いないばあのえほん』と『くっついた』を選ぶ。いない いないばあのえほん』は、今や父親となった長男が大好きで、赤ちゃんの顔のページが破れて、テープで貼るほど愛用した本で、今も人気で在庫がなく、わざわざ取り寄せてもらったのである。『くっついた』は、最後のページで、お父さんと赤ちゃんとお母さん3人がくっついて笑っている。赤ちゃんというとお母さんを連想する身には、お父さんの登場が新鮮で選んでみた。しばらくして長男が送ってきた動画では、なんとかおすわりできるようになった6か月になる子が、たどたどしい指で一生懸命ページをめくり、最後の3人の笑顔のページにやっとたどりついて、満足げに笑っていた。 

 絵本の話は進み、『きこりとおおかみ』のきこりは、無事に窮地を脱したようである。読み終えて本をバッグに片付ける隣の女性に、「懐かしい本です。私も母に読んでもらったんですよ。」と話しかけると、「そうですか!私もなんですよ。これ、実家から借りてきていて、今返しにいくところなんです。次は何を借りようかしらねえ。」そう話している間に、お姉さんはもう、二冊目を読んでほしい様子だった。

 こどもの時、夢中だったリカちゃんハウスは、シルバニアファミリーに変わった。小学生になると、ゲームに夢中になる。子供の遊ぶ環境も変化している。遊ぶ空間は減り、お稽古に通う子供が増えて、その分遊ぶ時間が減っている。世の中は加速度をつけて変化している。カラーテレビが普及した頃子供だった世代は孫を持つようになり、テレビゲームが進出した時代の子供が親となり、今や生まれた時からスマホとパソコンが当たり前の世代である。そんな世の中でも、長時間こどもと電車に乗るときに、iPadやスマホでスワイプして絵本を見せるのではなく、今も紙のページを1枚1枚めくって本を読み聞かせる習慣が残っている。そして今人気の絵本は、私が子供のころ夢中で読んだ本とそう変わらない。「古きよき」昭和のこども時代を思い出して懐かしむことが多くなったこのごろだが、変わったのは道具や環境だけで、中身は「今もよき」まま受け継がれているのかもしれない。

 茅ヶ崎で降り、3人に手を振ろうと車内を振り返ると、ボックス席の横に立っていた男性の姿が、先ほどまで私が座っていた席にあった。家族でご実家にむかうところだったのだ。この先の東海道沿線のどこかの駅で、白髪交じりのご夫婦が、一家が到着するのを今か今かと待っているに違いない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?