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楽器演奏に男女の差はあるのか?

前回感想を書いたオンド・マルトノ、ニ台によるコンサート。時期こそ違うものの、演奏者原田節、市橋若菜は共にパリでジャンヌ・ロリオという同じ師匠の元で学んだ。興味深いと思ったのは、市橋はレッスンの中で女性であるロリオから女性らしさをよく指導されたということだ。
「オンド・マルトノを弾くときは、綺麗な服を着なさい。robe(ドレス)でね」と何度も言われたという。「あなたが一番好きな服を着なさい」との指導に、黒が好きだからと黒く美しい衣装に合わせてオンド・マルトノまで真っ黒に塗った演奏者もいたほどだった。こういった女性ならではのアドヴァイスは、演奏にどう影響していくのだろうか?

静岡市でコンサートを楽しんだ後、私は静岡雙葉中学・高等学校の前を散歩した。同校は伝統ある名門女子校だが、多様性の観点からか現在スラックスの制服を夏、冬共に用意している。

日本は歌舞伎やジャニーズ、宝塚などからも分かるように、ジェンダーを分けて活動することに元々あまり抵抗がない。特に若いうちは、男女が一緒に活動しない方が勉強や仕事に集中できると考える人もかなりいる。
実際東京に住む私の友人も、息子なら男子校の小学校、娘なら女子校の小学校に入れる人が圧倒的に多い。(というよりも共学の小学校に子どもが合格した方々のマウンティングに私のガラスのハートが耐えられない)
頌栄女子学院中学・高等学校のホームページには、校長先生が「男女は同権であっても同質ではありません。従って、受ける教育にも違いがなければなりません。特に中学、高校の多感な時期は、男女別学が大切と考えます。」とはっきり明記している。
かく言う私も、東京の女子のみしか学べないピアノ教室に十年以上通った。

都心では特に、我が子が受験する幼稚園や小学校を絞っていく際、大学の進学実績を気にする保護者は多いと思う。都内の某女子校幼稚園(男児の通園不可)は毎年東大をはじめとする難関大学や医学部に卒園生を合格させているし、某男子校幼稚園(女児は若干名のみ通園可)も「将来医学部に入れたいならここ」として有名だ。

東京では特に、筑附や渋渋といった人気共学は別として「難関大学に行きたいなら男女別学の中学」という神話を崩さない親たちがいる。当然楽器やスポーツなどの芸事、習い事も、男の子らしさ、女の子らしさを磨いていく目的で我が子に学ばせる家庭はよくある。

私も同級生たちのお嬢さん四名が出演するチアダンスの発表会を観に行ったりしているが、出演者は全員女の子。友人の娘たちは全員女子校の幼稚園や小学校に通う。

話を元に戻すが、今回私が鑑賞したコンサートでは静岡音楽館AOI 委嘱、伊左治直作曲の世界初演『歌おう、感電するほどの喜びを!』が演奏された。原田、市橋が弾くことが前提に書かれた曲だが、どちらがどのパートを弾くか指示があったわけではない。もし二人のパートが逆だったら?男性二人、女性二人、女性が男性よりかなり年上バージョンなど、いろんなタイプを想像するのも楽しい。

楽器の演奏はその人それぞれの個性や表現力によって大きく変わるのは当然だが、幼稚園の頃から男らしさ、女らしさを叩き込まれた人たちは、ふとした仕草やパフォーマンスのチョイスにどうしてもグローバリストが喜ばないエッセンスを入れていくものだと思う。

きっとこれからピアノの先生たちも「女性だからおしとやかに上品に」とか、「男性だから力強く」といった指導が出来なくなっていくだろう。アメリカのNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)では、トランスジェンダーのチアリーダーが誕生している。これがグローバリストの喜ぶ社会である。

オンド・マルトノという楽器は、演奏者の人柄をバラしてくれる。私が良質な音楽に求めるのは「知性」と「品格」。だから今回、私は原田&市橋のペアによるプログラムを楽しんだ。

ちなみに以前、原田節は前述した学園とは別の女子校の幼稚園の園児たちの前でオンド・マルトノを演奏したことがある。ここも男児は入園一切不可。目の前に現れた不思議な楽器とミステリアスな男性、さらにマイクを握って歌い出した原田が連れ込むフレンチ・シャンソンの世界に、普段男の子とあまり交流していない女児たちは目を丸くして夢中になってしまった。

ジェンダーフリーな世界は音楽や芸術、楽器演奏にどんな影響を及ぼしていくだろう?我が子に楽器を習わせている保護者にとっても、大きな課題になっていきそうだ。


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