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表現の不自由展・最期の日

 筆者は2019年8月3日(土)に、愛知トリエンナーレA会場(愛知芸術文化センター)に足を運んだ。表現の自由の一支持者として、『表現の不自由展』なる企画に興味があったためだった。また、この展示を目玉として本企画を取り仕切った芸術監督は「実物を見て判断してほしい」と主張しているため、良きにしろ悪しきにしろコメントするならば、正々堂々と現地入りしてからの方が誤りも少ないと考えたためだった。
 表現の不自由展・最期の日だった。

 会場の10階でチケット(一般¥1,600)を買い求め、8階の展示会場へ。私が並んだのは14:20頃。既に100人近い人が自分の前に列を成していた。入り口には白いのれんが掛けられ、内側は見えないようになっている。入り口の前には入場管理をしている係員と、SNS投稿禁止の掲示があった。のれんをくぐると、向かって左側の壁に昭和天皇と髑髏をコラージュさせた絵(遠近を抱えて)が4点掲示されている。

(※筆者が撮影した実際の展示品と、昭和天皇の写真が燃やされた映像を撮影したものを下書き段階では載せていたが、SNS投稿禁止ルールを考慮して見合わせる)

 部屋の中央に『時代ときの肖像ー絶滅危惧種 idiot JAPONICA 円墳ー』が展示されていた。全体はかまくらのような形で、頂上には寄せ書きのある日の丸の旗、それを囲むように注連縄が置かれ、かまくらの中には星条旗がある。それ以外の部分は新聞記事を貼り合わせスプレーで彩りを添えていると思われる。新聞記事の内容はどれも左派的な論調のもののように見えた。

(※筆者が撮影した実際の展示品(中略)、SNS投稿禁止ルールを考慮して見合わせる)

 そして部屋の入り口から最も離れた玉座から、≪平和の少女像≫は来場者を睥睨していた。

(※同上)

 この像は「慰安婦像ではない」とたびたび言われながら慰安婦像であると言われ続けるが、おそらく台座のレリーフのせいで、どちらとも取れるのが一因ではないかと思われる。

(※同上)

 その他、壁際には作者不詳の9条俳句(下記参考のサイトから確認可能)のほか、「表現の不自由をめぐる年表」なるものが掲示されていた。他の展示品が政治、党派性を強く帯びる中で、比較的中立な(※つまり多様なジャンルで起こった表現の不自由を盛り込んだ)内容だった。また、壁際には新聞のスクラップ記事(※おおむね反政府、反米、左派の観点から表現の不自由を扱ったもの)を集めたクリアファイルが数冊置かれていた。これは公式サイトにも記載のない展示品だった。

(※)

 私が会場を見て回った時には、正規の警備員が一名、その他「アーティスト」「アシスタント」の札を下げた人間が5名ほど会場の様子を観察しており、そのうち「アシスタント」の札を付けた男がタブレット端末を来場者に向けていた。いかにもアーティスト風のダボついた服装、髪や髭を伸ばした風体の人物も数人見かけたため、実際にはもっと多くの関係者が警備にあたっていたのかもしれない。不自由展にいるスタッフは、総じて県美術館のスタッフとは違う服装をしていた。後者はワイシャツにスラックスのホワイトカラー然とした男性か、学芸員らしい服装の女性で通路の整理や案内を担当していた。一方で前者はジーンズにTシャツ姿であり、もっぱら会場の保安が仕事のようだった。
 以上が、筆者が見た顛末である。

 帰宅して、表現の不自由展の死を知った。

 なぜこのようなことになったのか。筆者はこの問題は、表現の自由として是非を論じるだけでは不十分と考える。確かに一度は公開された展示品が、世間や行政の圧力で取り下げられることは表現の自由に反している。
 しかしながら、公共の展示であること、公の金が投じられていること、報道に際してメディアに主催者側が内容確認を要求していること、来場者が自由に感想や評価を語ることができないルールを敷いていること、それはトリエンナーレの趣旨に反する疑いがあること、政治性とは不可分の内容を扱いながら公正さを欠いていることなど、多様な切り口がある。この不自由展をめぐる問題はすべて表現の自由の問題であるのか、筆者としては確信が持てないほどに。
 なぜこのようなことになったのか。本展示の責任者である芸術監督(津田大輔)の日ごろの言動が、冒頭で紹介したジョン・ステュアート・ミルの言葉にことごとく反し、足場を踏み外すどころかほかのアーティストや現場のスタッフもろとも転落に至らしめたのは想像に難くない。即ち、常日頃の言動で敵を多く作っていながら、SNSの機能を使って自らの耳を塞ぎ、諫言を遠ざけ、根拠のない自信と杜撰な計画に基づいて行動した結果、社会の怒りを買ったのである。表現の自由のために彼を支援することも結構ではあるが、筆者の見解としては、明るい未来は見えない。
 さて表現の自由の支持者としてこの事例から何を学ぶべきか。ミルの言葉を実践することは当然として、やはり挑戦的なことをやる時ほど、周囲を説得する(言い換えれば、根回しをする)労を惜しんではいけないし、敵になりうる人物は可能な限り減らし、その影響力をできるだけ少なくする仕掛けを用意し、世の中の反応や身の安全にも備えておくべきだろう。事前の準備の精度こそ成否を握っている。別にクリエイターやアーティストに限った教訓ではないのだが……。

 マキャベリストとしての筆者は、リアルで、インターネットで、私的な、公的な、国内の、海外の、実に多彩な発表の場が与えられている今、「表現の自由」はいつでもどこでもその場の勝利を約束する魔法の言葉にはなりえないと思う。愛する「表現の自由」を守るためには、敗北の例から学ばなければならない。また、ある場所での発表が制限されたからと言って、即座に「表現の自由の危機!」と叫ぶことは短慮だと思う。叫び声で何かが解決したことなどないのだから。私的な場、学問の場、市場での言論や発表すら、一部の人間の身勝手な怒り、圧力、軽挙妄動によって潰されてきた。表現者が安全な表現の場を求めるならば自ら探す必要があるし、そこが発表に適していない場ならば新天地を求めなければならないだろう。その際に実際に役に立つ、つまりあなたの「表現の自由」を守ってくれるのは、表現者が常日頃の言動や作品で培ってきた支持者の人脈ではないだろうか。「表現の自由!」と叫ぶだけの負け戦に満足するのか、それとも、自分の力で支持者を獲得して自分の発表の場を探すのか。筆者がどちらを応援したいかは決まっている。

参考:
『自由論』ジョン・ステュアート・ミル、斉藤悦則訳
『孫子』浅野裕一
『君主論』マキアヴェッリ、河島英明訳
「表現の不自由展・その後」https://censorship.social/