Yucchi Interview
2023年8月10日、12日に仙台SHAFTにて行われたパーティ「odd flocks/148」。仙台のクラブカルチャーを次世代につなげるべく行われた本企画の試み、人のつながりをアーカイブとして残すとともに、クラブビギナーやユースたちにとってのガイドブックを作成することを目的として、本インタビューシリーズは立ち上げられた。今回は仙台にて長年ハウスDJとして活躍し、「FRAGILE」や「deeq」など、多くのパーティを開催してきたYucchi(以下、Yと略記する)にお話を伺った。
(インタビュー日:2023年10月10日 インタビュアー:Morizo 文:N.Yuhei)
―それでは、本日はよろしくお願いします。―
Y:「こちらこそ、よろしくお願いします。」
―改めてですが、主催パーティのFRAGILEが終了されたんですね。お疲れさまでした。私自身も東京に移るまでレギュラーで出演させてもらってましたし、いつも本当にリスナーとしても楽しく遊ばせてもらってました。―
Y :「ありがとうございます(笑)。まあ、レギュラーであったYAMASHITA君も海外に行っちゃって、私生活も忙しくなってきたので、ここら辺が一区切りかなって思いました。」
―そうですね......元々はYAMASHITAくんと始められたパーティなんですよね。―
Y :「そうです、HI-HAT(仙台市にかつてあったクラブ)でコロナ渦に始めたパーティでしたが、当時アメリカから帰ってきたYAMASHITA君と話して、好きな音楽とか方向性が近いなって思いました。そこで一緒にパーティやらない?って誘ったのが3年前くらいだと思います。」
―なるほど......そのあとnonokaさんとか、k:sea君とかがレギュラーに加わって......ってなったわけですよね。―
Y:「そう、基本的に複数人でパーティを作っていくのが好きだったので。」
―自分も大変お世話になりました(笑)。さて、そんなYucchiさんですけども、そもそもDJを始めたきっかけって何だったんでしょうか?-
Y:「小さいころからピアノとかギターとか楽器はずっとやってて、音楽はずっと好きでした。ギターではLed Zeppelinとかのコピーをやったりしてて。そうこうして高校を出て、美容学生になったのですが、その時の友達とか先輩とかが当時長町でイベントをやってまして......」
―長町⁉それはなんか、意外過ぎる場所ですね......
Y :「そのパーティでは美容学生たちがヘアショーをやってて、その中にはDJのプレイする時間もありました。それで初めて四つ打ちの曲を聴いて、これだ!ってなったのが最初だったと思います。その前からヒップホップとかのDJについては少し知ってて、クラブ自体にはそこまで抵抗はありませんでしたが、こういうビートをつないでプレイするスタイルもあるんだ......って知り、自分もやりたいなと思いましたね。」
―成程、他の人たちも結構アパレルについて言っていることが多かったのですが、やっぱり当時はそういう人たちがかなりクラブに来ていたんですね。―
Y :「そうですね、今はそういうのが全然なくなってしまいましたが......そのパーティを見た後、本当にすぐターンテーブルを買って、レコードでDJを始めました。」
―なるほど、そのパーティとか、美容学生たちがやってたパーティってどのくらいの頻度であったんですか?-
Y :「大体2,3か月に一回くらいの頻度では開催されてたと思います。複数人の美容学生がチームを組んで、それでヘアショーの合間にDJとかライブとかで場をつないだりして......そういうイベントが年に4回はありましたが、他にもそういうパーティをやりたいってクルーも出てきたりして......そういうところで自分もDJしてました。VJのGIN君と出会ったのも、この頃のヘアショーのパーティーがきっかけでした。」
―ちなみに無知で申し訳ないのですが、ヘアショーって実際にはどんなことをされていたんですか?―
Y :「ステージにモデルさんがまず出てきて、髪形を整えたりメイクをそれぞれの美容学生たちが整えたあとに、ファッションショーみたいにランウェイを歩いたりするっていうのが当時のやり方でした。」
―ありがとうございます、当時はそういったイベントとかを主催していたっていうのもあって、美容学生たちもよくクラブに遊びに来ていたのでしょうか。―
Y :「そうですね、以前はよくクラブでそういった人たちを見かけましたね。」
―なるほど、ちなみにYucchiさんが初めてプレイされたパーティは何だったんですか?-
Y :「それもまた長町なんですが、RIPPLEって箱で行われていた『For The Record』ってパーティが最初です。現在も時々RIPPLEで開催されているパーティですね。RIPPLEは普段ライブハウスとして営業しているんですが、店主がハウスのDJもやってて、そこでDJしたのが最初でした。」
―成程、それは西暦でいうと何年くらいになるのでしょうか?―
Y:「多分、2007年あたりになるのかなと思います。そのあたりでクラブで遊ぶとか、DJとかをし出して、SHAFTやADD(かつて仙台市にあったクラブ)にも遊びに行くようになっていきましたね。遊んでいったら段々といろいろな人とのつながりが増えて、結果呼ばれてDJさせてもらっていったりしてました。クラブで遊び始めてから流れでDJ始めた......ってよりは、DJを始めると同時にクラブで遊びだした......っていうのが近いですね。」
―そうなんですね、なかなか珍しいパターンだと思われます。基本まず遊びに行って、そこからDJを始めるっていうパターンが多いと感じるので、そんな中Yucchiさんはいきなり初期衝動でDJを初められたんですね。―
Y :「そうですね、それまでもクラブに行ったことは少しだけあったんですけど、四つ打ちのDJを初めて見た瞬間に、「こういう音がクラブにあるんだ!」という衝撃があって、そこからはすぐにDJを始めました。」
―ありがとうございます。そこからDJを始められた中で、自分のDJのスタイルなどでの変化を感じたりとか......そういう場面ってありましたか?―
Y :「そうですねえ......軸という点でいえば、そんなに短いスパンでは変わっていないとは思うのですが、細かいミキシングの方法などについては結構常に変わってるのかな......っては思いますかね。ですが、ブレないぐらいの何かは持ち続けていたいなっては思います。」
―成程、ジャンルについてはどうですかね?やはり基本ずっと四つ打ちだったのでしょうか。-
Y:「そうですね、ハウスっていう軸については基本ずっと変化はしていないですけど、細分化していくとトレンドが少し変わったりします。あとはエッセンス的にテクノな音とか、ディスコ入れてみよっかなーってノリにはなったりしますね。」
―それにはどういったものが影響してるんですかね?やっぱり出演されるパーティの影響が大きいのでしょうか?―
Y:「そうですねえ......ですが、普段からクラブに遊びに行く中で、この人すごい......‼というような衝撃を受けることが多々あって、そのDJのいいところを取り入れていってということが多いのかなって思います。」
―パーティでの影響という話になったので、ちょっと話題を変えようと思います。今まで遊びに行った中で、このパーティすごいなと思った回とか、出演されている側のものでもいいので、何かしら挙げていただきたいです。―
Y :「印象に残っているものと言えば、2010年にLarry HeardがADDにJapanツアーで来た時のことがいまだに忘れられないですね。その時の朝型の、ハウスのエモーショナルな音がとても気持ちよくて忘れられないですね。あとはMixmaster Morrisが2016年にHI-HATに来た時に、朝になってめちゃくちゃ多幸感に包まれて、一生踊れるような感覚になったこととかはよく覚えています。」
―なるほど、結構前であれば仙台でも著名な海外のDJが来ていたりしていたのですね。-
Y :「海外の著名なDJらとつながっている方が当時いて、その人経由でJapanツアーの際は仙台にもそういった人たちが来るっていうことが多分にありましたね。まあ、これからまた少しずつ、仙台でもそういった有名な方々が来るんじゃないかなって思いますけど。」
―そうですね、福島にも昨年Francois.Kが来たりはしていましたし、もっと多くのDJに訪れてほしいところはありますね。-
ーYucchiさんはこれまで、いろいろなパーティに出演してこられて、オーガナイズでもFRAGILEやdeeqなどもやってこられたと思うのですが、今までパーティとしてはどのようなオーガナイズをされてきましたか?
Y :「最初はSHAFTでオーガナイズを始めたと思うのですけど、『STOUT』、っていう同年代の四つ打ちDJで開催していたパーティがありました。彼らとは、クラブでもよく一緒に遊ぶ仲間で、大体20歳くらいの時にパーティを始めました。ただそのパーティは、みんな自分以外DJをやめてしまって、自然とそのパーティ自体も消滅してしまいましたね。そのあとは、今は無きADDにてQ-Vicってパーティをやりました。オーガナイズというよりかは、『みんなでパーティを主催する』というイメージのほうが近いと思います。みんなでミーティングして、次のパーティはあーしようこーしよう......って試行錯誤するような感じです。誰か一人が......ってよりかは全員がオーガナイザーというようなイメージでした。」
―へー、クルー的なことをやっていたのですね。―
Y :「あとは、ADDでRYOTAさんとふたりで一緒に一緒に『TABOO』ってパーティをやり、そのつぎに、今東京にいるMORIさんと一緒に『my House+』というパーティをやりました。ただ、週末仕事が忙しくなっていったタイミングに、朝から夜まで仕事をして、仕事が終わったら夜から朝六時とかまでパーティして、そのまま朝から夜まで仕事ということが難しくなったときに、故6969さんから「何かパーティやろうよ」っていうお誘いを受けて、それで二人で『deeq』をやるっていう感じでした。あんまり一人でオーガナイズをしたことはなくて、レギュラーメンバーの人と大体いつもいろいろ試行錯誤する......ってのが多いかなって思います。」
―本当に、いろいろな箱でレギュラーをされてきたんだなってことがわかりますね......こうやって挙げていただいた中で、特に印象的だったり、思い出深かったりするパーティってありますか?-
Y:「どのパーティでもお酒が出て楽しいのは変わらないんですけど、回数や、海外のゲストを多く招いたっていう意味では、my House+が一番かなって思います。Herb MartinとかNaeem Johnson、Ian Fridayとか、Jamie 3:26を呼んだりしました。」
―かなりの頻度で呼んでいらっしゃるなと思いました。海外のアーティストとかですと、結構アテンドが大変じゃないですか?―
Y :「英語で向こうは一人で来てくれますけど、こっちが英語を話せなかったらなかなか大変ですね。大型フェスの主催の人たちはすごいなあと、改めて感じさせられました。」
―そうですよね......それこそ、この間はFRAGILEが最終回を迎えましたけど、Yucchiさんとしては今後もパーティをやりたい思いはありますか?―
Y:「そうですね、レギュラーでDJをやる機会があればぜひやりたいし、ゲストとかでお声がけいただいて、それが自分の音に合うものなのであればぜひやりたいし、DJとしての活動はまだまだ楽しんでいきたいと思います。今年の12月から独立開業して美容師になるので、いったん仕事に集中し、落ち着いてきたら来年からまた一緒にやれるメンバーとパーティしたい気持ちはあります。」
―なるほど、ありがとうございます。さて、話は変わります。長いこと仙台でDJを続けられてきたと思うのですが、そういった中で四つ打ちなどのダンスミュージックのパーティには、どのような変化がありましたか?-
Y :「というとそれは、音楽性とかパーティのやり方の違い的な内容ですか?」
―あ、そうですそうです。―
Y :「なるほど...... そういう面から話すのであれば、まず当時は今よりももっと、いわゆる先輩のDJの方が多くいたかな......と思います。いまそれが15年たったことで、自分も先輩になったわけですけど、当時の先輩にあたる方々はいなくなって、代わりに新しい子たちとの出会いが増えるという一つの循環は続いていると思います。ただ、昔のほうが、個人個人のパーティというよりかは、複数人で開催するパーティっていうのが多くて、今のCYK(東京を拠点に活動するDJコレクティブ)のような、クルーで開催するパーティがほとんどだったかなと思います。」
―確かに、最近はクルーでパーティをやってるところは仙台では少ないかなって思います。若手に関しても、クルーでのパーティというよりかは個人でのパーティが多い気がしますし。余談ですが、最近はどんなパーティに頻繁に遊びに行っていますか?お勧めする意味も込めて、挙げていただければと思います。―
Y :「特段これ!と決めているわけではないのですが、『水曜和音』(仙台市のDJバー、和音にて開催されているパーティ)かなって思います。毎週やっていますし、開催頻度は多いので当然かもしれませんけど......基本は仙台のパーティばかり遊びに行っていて、和音とSHAFTには頻繁に出没していますね。」
―コロナ渦の話題に移りたいと思いますが、コロナがパーティやクラブに与えた影響は、どのようなところに感じましたか?-
Y :「クラブは集まりたい人は多かったのですが、やはり集まれないということでクラブ自体が成り立たなくなってしまって。だけど、そういった現場でこそDJ配信をしてみたりだとか、パーティができるときはできるだけお店を開けて......っていう努力もしてみたし、そういう取り組みが、仙台全体に対しても新しい経験値になっていった気がしてて、シーンがいろいろな意味で変わるようなインパクトはあったのかなって思います。」
―確かに、クラブの根本にかかわる問題だったからこそ、改めていろいろみんなで一丸となって頑張れたのかなと思います。―
Y :「逆にコロナがなかったら、昔のままの仙台のシーンがだらだらと続いていて、こんなに変わってなかったのかなっていう気もします。」
―集まれなかったこそ、みんなそれぞれやれることを頑張りましたね。それこそ自分がYucchiさんと初めて面と向かってお話したのも、配信の企画が動き出してのことでしたし。-
Y :「ネガティブな影響が大きかったけれど、コロナを終えての今になると、配信に対する肯定的な意見も聞こえるようになりましたよね。あれはいろいろ勉強になりました。」
―Yucchiさんの家のオーディオインターフェースの音が良すぎたな......っていう思い出があります(笑)。さて、先ほどのDJの話と少し似通ってしまうのですが、今後のクラバー生活をどうしていきたいかっていうのを、お聞かせ願いたいです。―
Y :「なんか、あまり派手なことは何も考えていなくて、他人のMixを聴いて感動したり、自分でいい曲をDigってDJでプレイするというような、純粋な音楽の楽しさを追求していきたいなと思います。だからDJで売れてやろう!というよりかは、自分が楽しく続けられるかばかりを考えていますね。」
―それが長くDJを続ける秘訣なのかもしれませんね(笑)。ちなみに、Yucchiさんはトラックメイクもされていると思うんですけれど、最近はDJとトラックメイク、どの適度の比重で行っていますか?―
Y :「10対0ですね(笑)。今はDJばかりをやってるかな......といった感じです。」
―なるほど、それは今の気分の問題ですか?DJに比重を置きたいというような。-
Y:「そもそも、自分がトラックメイクを始めたきっかけって、コロナで本当に多くの時間があって、それを持て余してるくらいならと思って始めたのがきっかけなんですよね。ただ......自分のやり方的に、トラックを作るとなると、レコーディングしてミックスしてと、本当に多くの時間と集中力を割く必要があって。そうなると今はなかなか、アイデアが沸いて作りたい気持ちが高まらない限りは、DJのほうが楽しくやれるかな......と思っています。」
―なるほど、今はDigに精を出しているということなんですね。ちなみにYucchiさんといえば、レコードでのプレーの印象が強いんですけど、おすすめのレコード屋をおすすめいただけますか?-
Y :「成程、それだったらまず挙げるのは、Proceed(※Proceed Music Storeの略)かなって思います。取り扱っているジャンルの広さは勿論のこと、Mu-Rさんが選ぶレコードの質が本当にいいので。あとは、本町にあるSTORE15NOVってお店です。あそこに行けば、間違いなく絶対に知らないアーティストに出会えるので、仙台でいうとその二店舗が特におすすめですね。」
―ありがとうございます。では続いてですが、今好きな曲を3曲ほど紹介していただけませんか?―
Y :「一つ目ですが、Nightmares On Waxの『Smokers Delight』って曲です。これは何か、ダウンビートな曲なんですが、ずっと聴いてられるなっていう感じなんですよね。元ネタがQuincy Jonesの曲なのですが、それをうまく使ったトラックになっています。多分一生聴いているだろうと思います。」
https://youtu.be/zI17p0LA-ic?feature=shared
―ありがとうございます、続々紹介していただければと思います。―
Y :「二つ目は、SYNKROというアーティストの『Memories Of Love』という曲です。この曲はBPMが80前半の緩めな曲なんですけど、出音の感じが意外とトランシーな感じもあり、広めの空間でもいい音になるかなと思います。こういった鳴りの曲がすごく好きで、最近やっとレコードでも買えたので、現場でも頻繁に使ってます。あんまり使いすぎると飽きられるので、ほどほどに封印したりもしますが(笑)。」
https://youtu.be/RMO2aC_jgCk?feature=shared
―なるほど、結構ダウンな曲を2つセレクトいただいたのですが、最後はどのような曲を挙げられますか?-
Y :「最後はですね、Kerri Chandlerの『Prayer』っていう曲の、623 Again Vocal Mixっていうバージョンを挙げたいと思います。それはずっと同じような和音がシンコペーションしてるだけで、その上にソウルフルなヴォーカルが乗っているというような曲なんですけど、音でハメてくるタイプの曲っていうのがとてもカッコいいです。同じ曲の色々なヴァージョンがあるんですけど、こういった鳴らし方をしてくるのはこのバージョンだけかなって思います。」
https://youtu.be/Z-b4YQYrYsI?feature=shared
―とてもDJで使いやすいトラックでもありそうですね、ありがとうございます。最後になるのですが、Yucchiさんがおすすめの仙台クラバーズフード、ぜひご紹介いただければと思います。―
Y :「これはですね、『あんしゃん』っていう国分町の中華料理屋さんの、肉玉子木くらげの炒めっていう料理がおすすめです。本当にめちゃくちゃうまいです。卵を6個使ったメニューで、定食もあります。」
―このご時世に卵6個はすさまじいですね......―
Y :「あと、『川福』っていう緑色の看板のうどん屋さんがあるんですけど、そこの納豆ご飯が本っ当に美味しいです。SHAFTのすぐ近くにあるお店なんですけど。」
―うどん屋さんなのに、納豆ご飯が一番のおススメなんですか?―
「420円もする一杯なんですけど、人生で食べた納豆ご飯史上一番おいしいです。めんつゆとかを使って味付けしているんですけど、たまご、ねぎも入っててメッチャクッチャ美味しいんですよね......」
―いやー、これは本当に有益な情報を聞けました。ありがとうございます。―
Y :「麺を切ってる様子も見られる本格的なお店なのに、夜遅くまでやっているっていう珍しいお店です、ぜひ行ってみてください。」
―いい情報ですね、パーティ前後にぜひ行きたいと思います。Yucchiさん、今日は長い時間お付き合いいただき、本当にありがとうございました!―
Y :「いえいえ、こちらこそありがとうございました!」
Yucchi DJ Mix
助成(公財)仙台市市民文化事業団
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